◆36◇
キッドさんとおしゃべりしているうちに甲板からは少しずつ人がはけていたようで、今や潰れきっている数人を残して皆部屋へと戻ってしまっていた。
「随分人が減りましたねぇ」
「……テメェももう寝ろ。いつもより飲んでたろ」
「え、私まだらいじょうぶ」
「舌が回ってねェんだよ」
おかしいなぁ。私よりよっぽどお酒を飲んでいたのに、キッドさんはまるで普通だ。かっこいい。憧れる。すてき。
私がお酒にもう少し強ければまだ飲んでいられたのに、と思うとやはり残念な気持ちになる。
「……ホラ、立て」
「はぁい」
言われるがまま立ち上がると、ふらりと足元が軽くなった。気がした。あ、やばいこける。そう思った時、キッドさんが腕を伸ばして私の襟首を掴んだ。
「ぐえっ…………だ、抱きとめてくれるオチはどこへ」
「ねェよそんなオチは。しっかり立て間抜け!」
「は、はい、すいません」
叱られてぴしっと立とうとするが、中々うまくいかない。キッドさんが、飲ませすぎたとため息をつくのが分かった。
謝ろうと振り返れば、なぜかキッドさんの手が目に止まってしまった。
「……」
今日の私は、いつもあるほんのちっぽけな自制心が遥か上のほうを漂ってしまっていたように思う。
とにかく、目に付いたその手に腕を伸ばし、欲求のままぎゅっと握ってしまったのであった。
「…………は、初めて手を繋いでしまった」
「テメェが勝手にな。何やってんだオイ」
「ごめんなさい。あんまりにもおと、男らしい手で……ときめきがぎゅんぎゅん止まりません」
キッドさんに振り払われないのをいいことに、大きくてゴツゴツした手のひらを何度か握って
形や暖かさを頭に覚え込ませた。
(しっかり覚えるんだわたしー!こんなチャンスめったにないぞー!)
それにしてもキッドさんはどうしてされるがままなんだろう。そろそろ、ゲンコツの一つでも来そうなものなのに。
「そんなにゲンコツが欲しいならくれてやるが」
「な、なぜ心の声に返事が」
「テメーの口から全部ダダ漏れなんだよ!」
「アウチ!…………え、で、でもじゃあ、何で……」
この前抱きついた時もそうだった。
最近は握り返されたり抱き返されたりはしないけど、ぶん投げられたり振り払われたりもしない。
純粋な問いかけに、キッドさんはチッ、と一つ舌打ちをした。
「それはテメェが、……ッ」
「わ、わたし?」
「…………とにかく、振り払う程不快でもねェだけだ」
それって最高のデレ言葉なんじゃないだろうか。
もうやだつらい。好きすぎて辛い。
「じゃ、じゃあ!!もうちょっとだけこの手貸してくれますか…!不快じゃないなら」
「……二分だ」
二分もくれんの!?!ヒャッホーー!
私はキッドさんの手を引いて船縁に背中を預けた。ここなら暗いしキッドさんが誰かに見られて恥ずかしがることもない。
私はドキドキしながら、キッドさんの手を自分の頭にのせた。
「ふふ、エアーなでなで」
「オイ。見てて虚しくなるから止めろ」
「し!二分間はこの手は私のものです!誰にも渡しませんよ!」
あとは、あとはどうしよう!!
あと18秒はキッドさんになでなでしてもらうとして、のこりの1分40秒は……!?
さすがにぺろぺろしたら海に落とされるだろうってことは分かる!
手を繋いで甲板中歩き回りたいけどシュールすぎて何の儀式??ってなるからからやめるとして、
あとは……あとは……
ちゅ。
「…………ちゅうしました」
「…見りゃ分かる」
手のひらにキスは、世界一の愛情表現だって何かの文献に書いてあった。キッドさんは知らないだろうけど、私は今初めて言葉以外の方法でこのありあまるラブを伝えているわけである。……キッドさんは知らないけども。
ちゅ、
ちゅ、ちゅう……
(伝われ、つたわれ)
何度も何度もそこに唇を寄せていれば、唐突に動きを見せた手のひらに頬をギュッと潰された。
「も……もうにふゅんでひゅか?」
「…………俺が耐えてやってると知っててコレなら……もう文句は言わせねェ」
「え、」
さんざん挑発しやがって、と目を光らせたキッドさんに問いかけるより早く、私の唇は彼のそれに飲み込まれてしまった。
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