「コスチューム持ったな。本来なら公共の場じゃ着用厳禁の身だ。落としたりするなよ」

朝8時、駅のエントランスにいなり達A組と相澤はいた。これからそれぞれの職場体験先へと向かい、プロヒーローの元で一週間の間、共にヒーロー活動を行う。その為の着替え等が詰め込まれた大きな鞄と、それぞれコスチュームの入った鞄を大切そうに腕に抱え、嬉々とした表情で相澤の話に耳を傾けていた。時折、雄英高校の制服に気付いた人々の視線を感じながら、いなり達は相澤に見送られて職場体験先へと散り散りに向かう。

「行こう、常闇君!」
「張り切ってるな」

いなりの職場体験先が常闇と同じだと知ったのはつい昨日の事。これから二人は新幹線に乗り、職場体験先であるホークス事務所のある福岡県へと向かう。張り切りすぎて昨晩あまり眠れていなかったいなりだが、今朝も変わらず高いテンションで常闇よりも先を歩く。

「古狐」
「ん?」

いつになく揺れるいなりの尻尾を常闇は追いかけて、二人が新幹線の改札口へ向かうその途中経過、轟がいなりを呼び止めた。振り向いた先で彼は僅かに寂しそうな顔でこちらを見ていた。

「……会うのが楽しみだな…」

だがそれも一瞬の事で、感情の読めない静かな瞳がいなりを映すだけ。轟の感情が揺れ動き、訴えかけたい何かがあるように感じたものの、彼は自らその言葉も感情も飲み込んでいた。

「…そりゃあね。遂にここまで来たって感じがする」

何もかもを内包した轟の表情にいなりは僅かに返す言葉に迷ったが、自分が触れてよいものか分からず、結局は当たり障りのないことを口にしていた。轟がこうしていなりに見せる迷う表情は、体育祭を経ても以前から変わらない。彼とはもう仲直りをした。その表情の訳を知りたくても、教えてくれない気がして今日まで聞けずにいた。

「ホークスから指名が来たと知った時の喜びようは凄かったからな」

そんないなりと轟の気まずい空気を感じ取ったのか常闇が助け舟として間に入る。

「常闇君までそんな……あれはだって、しょうがないやん、ホントにびっくりしたんやもん…!」

一週間前、指名リストの中からホークスの名前を見つけた時、驚きと嬉しさのあまりいなりは心配するクラスメイトに囲まれながら号泣した。

昨日の事のように話す常闇に、いなりは頬を真っ赤にしながら「ホークスの前で言ったらいかんばい?!」と念を押す。

「あ、あぁ……」
「それを言うなら、古狐は顔に出やすいから浮かれすぎんなよ」
「ご、ごもっともです……」

轟の指摘にいなりはきゅっと顔を引き締める。

「じゃあ、轟君またね」
「あぁ」
そして互いに手を振り、いなりは轟に背を向けて今度こそ歩き出した。


***


新幹線に乗ってからもいなりが落ち着くことはなかった。何をする気にもなれず、車内では窓の外の流れていく景色をひたすら眺めていた。
福岡に入り、ホークス事務所近くの駅に降りてから鼓動は一層速くなるばかりだった。

「地図でいけば確か……」
「こっちやね。何となく分かるから着いてきて」

常闇が携帯の地図アプリで事務所の住所を検索する隣で、いなりはそれを軽く見ただけで歩き出す。迷うこと無く歩き進むいなりの足は緊張を隠しきれずに少し早足だった。平日の昼間でもオフィス街のそこは人通りが激しい。はぐれないようにと、常闇も早足で隣を歩く。

「古狐は福岡が出身だったな。ここら辺に住んでいたのか?」
「うん。小さい頃にね」

懐かしい地元に帰ってきた割にはどこか寂しそうで、いつも落ち着きがないいなりにしては妙に大人しい。そんなアンバラスさに常闇が違和感を感じた頃に、いなりは急に立ち止まった。

「ここ、かな?」

人や車の往来の激しかった大通りを抜けた先、ビルが建ち並ぶその通りに目的の事務所はあった。建物の入口には“ホークス事務所”と掘られた館名版が静かに立っている。

「そのようだな」

常闇は立ち尽くすいなりを追い越して先に玄関へと足を踏み入れる。その後ろで、柔らかいものを思い切り叩いたような音がした。常闇が驚いて振り返れば、いなりが自分の両頬に手を当てていた。

「どうした…?」
「ちょっと、喝を入れようと思って…」
「だから頬を叩いたのか…」
「そんなとこ」

至極真面目な顔で行われるいなりの突拍子もない行動に驚きつつも、常闇は気を取り直して自動ドアを抜けてエントランスに入る。いなりも駆け足で常闇を追いかけた。

「あ…」

エントランスにはいなり達の他に人がいた。その男はいなり達に気付いて振り返る。

「あ、雄英高校の生徒さん?いらっしゃい」

真っ先にいなりの目に飛び込んできたのは、その男の背中に生えた夕陽のような、ヒーローのマントのような、赤い翼だった。瞳と髪は琥珀色。黒くはっきりした目尻と梟のような三白眼。丁寧な言葉遣いだが、やや砕けた話し方。口元は機嫌良さそうに弧を描いていた。

「来てくれてありがとうございます」

いなり達を出迎えたその男こそ、この事務所の所長であるホークスだった。そして、やはりいなりが探し求めた“鳥のお兄ちゃん”とホークスは酷く似ていた。



***



午後15時8分。福岡市某所、銀行強盗が現金1億を奪い、逃走したとの通報が警察へ入る。警察から知らせを受けたホークスはいなり達を置いて、予想される銀行強盗の逃走ルートを辿った。いなり達が彼に追いついた頃には、既に銀行強盗と思しき人物を捕えていた。

「遅いですって」

漸く追いついたいなり達をホークスは電信柱の上から彼らを見下ろす。捕らえた銀行強盗は気絶しており、ホークスの操る剛翼達が銀行強盗の服を引っ掛けて宙吊りにされていた。

「完庭那(かんていな)のバーで客が暴れてるらしいから次そこで!事後処理よろしくお願いしまーす」

銀行強盗と彼の所有していた刃物、現金の入ったアタッシュケースをサイドキックに預け、ホークスはあっという間に次の現場へ向かってしまう。

「速すぎる…」

遠ざかるホークスの背中を見つめながら、いなりは深く息を吐いた。それは息を整える為に吐いたものであり、取り付く島もないホークスの態度に対してでもあった。

ホークスには会えたものの、あれから彼とまともな会話をする機会は訪れなかった。サイドキック達を含めたいなりと常闇の挨拶、朝のミーティングの後はすぐに出動要請を受けて事務所を出た。一つ解決する度にまたすぐに次の出動要請が入る。ホークスはいなり達を置いて、その日だけで一人で何件も事件を解決していった。

出動要請が入れば現場に駆け付けるのがヒーローだ。それは仕方ない。だがそうこうしている内に、職場体験一日目が終わろうとしており、いなりの中に不安と焦燥が渦巻いていた。

(全然相手にされん…。まだ鳥のお兄ちゃんかもわからんけど、あの様子やと違うんかな……?)

それでもサイドキックや常闇と共にホークスの背中を追いかける。その時、サイドキック達が楽しそうにその背中を見つめながら会話をしているのが聞こえた。

「今日の所長、ばり気合い入っとるわぁ。新しくサイドキックが入ってくる時はそうでもなかったとに」
「いつもは指名せんのに珍しく体育祭食い入るように見とったからね。その割には俺らと一緒に置いてけぼりやけど」
「そういや、朝もそわそわしとったな。流行りのツンデレ?」
「どっちかと言うとその流行りは過ぎとるよ」

その時、いなりの中で何かが吹っ切れた。
そして気が付いた。期待されているからこそ指名されたのだと。

「タマモ?」

常闇がいなりのヒーロー名を呼んだ。しかし、白鳩へと姿を変えて空へ飛び立ったいなりにその声は届かない。いなりが目指すのは言うまでもなくホークスの隣だ。

いなりにとって、鳥のお兄ちゃんとホークスの関係を明らかにする事こそ今回の職場体験の目的だった。
しかし、ホークスが“鳥のお兄ちゃん”であろうとなかろうと、いなりはヒーローを目指す者として彼から学びたいという気持ちは変わらない。この職場体験に辿り着くまでにいなりが並々ならぬ努力をしてきた事は紛れもない事実だが、今は真偽を確かめる時ではないと、いなりは漸く頭の中を切り替えた。

自分を指名してくれたホークスの期待に応えたいと、いなりは彼の背中を必死に追いかける。ホークスに追いついたのは、彼が次の目的地である完庭那のバーに降り立って数秒後の事だった。

浮き足立つ



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