桜の木の下には恋心が埋まっている(1)プロメテウスの悔恨



 ○月×日 曇り

 月夜の隠し事って何だろう。少なくとも私と一緒にいる時は、特別変わった事は無いと思うんだけど。月夜の事はタナトスたちに任せておけば大丈夫だろう、たぶん。さて、目下の私の悩みと言えば……まぁ、記憶の足りない兄の事だ。記録としての知識を得ても、やっぱりどこか食い違う。先日のヘンゼルとグレーテルの任務でも、降谷さんとヒロが疑問を抱くくらいには私と兄は意思疎通が出来ていない。これは早めに何とかしなければ。



 * * *


 ヒロを送り出してから一通りの家事を終えて、ちょっとひと息つく。

「リコ、ちょっと休憩しよう」
「アイヨー」

 リコ用の小さいハタキを受け取って、硬く絞ったタオルでリコの身体を拭く。豆皿からぐびぐびと水を飲むリコを眺めながら、私もコーヒーをひと口。

「……そう言えばリコ、銀狐の処に居た時は何してたの?」
「ンー? クダギツネ ト アソンダリ、クチナシ ト トブレンシュウ シテタ!」
「管狐と……クチナシ?」
「アノナー? クチナシ ハ トリニンゲン ナンダゾー!」
「……鳥人間??」

 頭の中いっぱいにハテナを浮かべていると、水を飲み終えたリコが「クチナシ、ゲンキ シテルカナー?」と呟いた。

「優しくしてもらったんだ?」
「ソダナー、クチナシ ハ ヤサシイ ダッタゾ!」
「そっか……会うことがあったら、お礼言わなきゃね」
「ウン! リコモ オレイ スル!」

 パッ! と両翼を広げたリコの頭を撫でながら、買い物に行こうかどうか考える。窓の外は薄曇り。雨が降る前に行った方がいいかな。マグカップと豆皿を片付けて、私は出掛けることにした。

 * * *

「……大丈夫か、ミヤ」
「ん? ……あぁ、大丈夫だ」
「少し休憩にするか。根を詰め過ぎても良くない」

 そう言うと、ミオは書斎を出てキッチンへと向かった。凝った肩をほぐしてから、目頭を揉み込む。目の前の机に積み重なるファイルは、俺が思い出さないといけない記憶の記録。あー……面倒な事ばっかしてんなぁ、俺。

 それにしても、だ。『今回』の妹は、『今まで』の妹と違って健康優良児、しかも禁書を使える程の特異点。ミオの説明だと、『今まで』の妹の……魂、というか、思念体は、無事に輪廻の輪に還ったらしい。それはそれで喜ばしいんだが、『今回』の妹と、自分は一体どうやって折り合いをつけていたのか、未だに想像出来ない。

(……何だかなぁ……)

 ハァ、と無意識に溜息が溢れる。誰も悪くない、ヘマした俺が悪いのはわかっている。そのせいで、また……傷付けて。嫌になるな、もちろん自分の事が。

「……『Regrets and ghosts come from the past.(後悔と亡霊は過去からやってくる)』……身に染みているだろう」
「まぁ、な。でもさ、今のヒナにはモロフシくんが居るし、大丈夫だろ」
「……そう思うのか?」
「……そうじゃなきゃ困る」

 手渡されたコーヒーをひと口飲んで、そっと息をつく。壁に凭れたミオが、俺を見下ろしながら口を開いた。

「……『今の』ヒナにとって、掛け値なしで信頼を寄せていたのはミヤ、お前だ。そしてそう仕向けたのも」
「まぁ、それは何となくわかる。じゃなきゃ会の体術と体感織覚延長なんか使えないだろ」
「……相変わらずの寂しがり屋だな、ミヤは」
「否定はしないが……もうちょい言い方あんだろ、ガキじゃあるまいし」

 揶揄ってくるミオに苦笑を向けると、真顔を返される。何だよ、言いたい事があるなら言えばいいだろ。

「……ならば言わせてもらうが、これ以上ヒナを傷付けるのであれば、私にもそれなりの考えがある」
「へぇ? どんな?」
「…………『世界座標(トップオブザワールド)の変更』……今ミヤが持つ、その権利を剥奪する」

 冷徹に言い放ったミオは、紛う事なく『管理者』の顔だ。

「あっそ。まぁ、しょーがないんじゃねぇの。今の俺に拒否権なんて無いんだし」
「……ミヤ」
「……なに」
「失敗したなら、同じ轍を踏まなければ良い。後悔があるのなら、それを忘れなければ良い。希望があるのなら……最後まで足掻け」
「……それでも駄目なら?」
「そうだな……何事も諦めが肝心だ。その場合は潔く死ぬといい」
「成る程、相変わらず参考にならないアドバイスだな」
「だろう? もっと褒めてくれてもいいんだけどな?」

 そう言って、ミオは心底愉しそうな笑みを浮かべた。



・・・‥‥……………………………‥‥・・・



 朝食を食べていた手を止めて、クチナシちゃんがじっとテレビのニュースを見た。オレも釣られてテレビ画面を見れば、レポーターが最近東都で起こっている猟奇殺人事件の新しい被害者を報じていた。

「……また被害者出たんだ……今度は高校生? まだ若いのに……許せないね。捜査一課もピリピリしてるみたい」
【あと三人か。私が動くわけにもいかないだろうし……月夜に押し付けようかな】
「えっ? あと三人、ってなに?」
【あぁ……この事件、禁書の仕業だよ。手口を見るに『恋慕』か『執着』辺りか……面倒だな】

 ニュースを見ただけでわかるもんなのだろうか。そこら辺は今ひとつわからないので、まだニュース画面を見つめるクチナシちゃんの横顔を見ながら自分の朝食を食べ進める。化粧っ気のない素顔なのに、キメの細かい綺麗な肌に長い睫毛、澄んだ瞳は春の空色。長い髪はうなじで結われ、後毛が何とも言い難い。今日も三百六十度かわいい。こんなかわいい女の子と同棲してるなんて信じられない。美味しいご飯も作ってくれるし、掃除も洗濯も完璧にしてくれる。こんな幸せある? 許される事なら誰彼構わず教えてまわりたい。まぁ、惜しむらくは付き合って無いってことかな。手を出したら秒で殺されると思う、月夜に。

【研二くん、今日は遅いんだっけ?】
「ん? あぁ、うん。新人教育の順番来たから、今週はずっと遅くなっちゃうと思う」
【そっか。晩ごはんは、作っておいた方がいい?】
「もちろんお願い! なるべく早く帰ってくるから!」
【了解しました。リクエストがあれば午前中のうちに。今日も月夜と買い出し行ってくるよ】
「わかった! それにしても、クチナシちゃんも月夜も変身出来るの凄いねぇ。羨ましい」

 そう、まさか月夜が話に聞いてたあの変身するでっかい鳥のロキだったとは、オレも陣平ちゃんも死ぬほどびっくりした。降谷たちが知ったら倒れるんじゃ……いや、怒り狂うな、たぶん。ごく普通の一般人としては、変身能力とか憧れる。何ていうか……ロマンがあるよなぁ。

【……研二くんは、適応能力が高いね。普通だったら気味悪がって嫌厭されるんだけど】
「うそ!? クチナシちゃんみたいないい子、嫌いになるやつ居るの?」
【いい子って……こう見えてもわたし、研二くんの数十倍は長生きしてるよ】
「えっ、うそ……もしかして、月夜も?」
【月夜はわたしの数十倍だね。さて、そろそろ支度しないとお仕事に遅れてしまうよ?】
「あっ! もうこんな時間!?」

 バタバタと支度をして、玄関で靴を履いているとクチナシちゃんがランチバッグを手渡してくれる。いってらっしゃいの代わりに手を振るクチナシちゃんに「行ってきます」と告げて玄関を出る。やばい、幸せ過ぎて死にそう。いや、死なないように頑張らないとな! 今日も一日がんばろー! と心の中で気合を入れながら、足取り軽く職場へと向かうのであった。


 …………………………


(……さて、面倒な事になったな)

 研二くんを送り出し、食べかけの朝食もそのままにテレビ画面を注視する。場所は、此処からそれ程離れてはいない。前回、前々回の犯行地点より、この場所に近付いて来ている。

(禁書は禁書を呼ぶ。五冊も持っていれば当然か。だから現世に戻りたくなかったんだ。銀狐め……覚えてろよ)

 あの小憎たらしい妖艶な笑みを思い出しながら、心の中で悪態をつく。とりあえず月夜が来たら作戦会議だな。こうなったら、月夜にはこちらに付いて貰うしかない。義理堅い月夜の事だから渋るだろうけど……まぁ、なんだかんだ言って手伝ってくれるんじゃないかな。

(別に好き好んで禁書の蒐集をしているわけでは無いんだけど……仕方ないか)

 手数は多いに越した事はない。捕らぬたぬきのなんとやらをしながら、わたしはそっと、時計の針を見上げた。


・・・‥‥……………………………‥‥・・・


 降谷さんに呼び出されてセーフハウスに向かうと、そこに居たのは兄と降谷さん、そしてヒロとタナトス。何事かと思いながらもソファーに座り優雅にカフェオレを飲むタナトスの隣に座ると、無言のまま降谷さんがテレビをつけた。ニュース番組では、昨晩起きたという謎の爆発事故について報じている。

「……昨夜、廃倉庫群の一角が吹き飛ぶ事故が発生。死傷者は無し。爆発原因は未だ不明。そしてこれは公表されて居ないが、爆心地とされる場所は、直径百メートルのクレーター状に鏡面仕上げになっていた。自然にできる痕跡ではないし、勿論人為的にも不可能だ。言っている意味が分かるな?」

 低い声で降谷さんが説明した。つまり、だ。

「……我々の仕業だと言いたいのだろうが……生憎だが、我々は一切関与していない。勿論、ダンタリアンも含めて」
「その時刻のヒナのアリバイは俺が証明出来る。しかし、そうなると……他の異能持ちが関係してるのか?」
「鏡面仕上げ、ねぇ。どう思う、タナトス」
「まぁ、ミヤの考えと同じだ。禁書の仕業だろう」

 禁書かぁ……となると、また回収しなきゃいけないのかな。今度は何巻なんだろう。そんな事を考えていると、いつの間にかリビングに居たわんころが決まりの悪そうな顔で頭を掻いた。

「ダメッスねぇ、痕跡ナシだったッス。あんだけ派手にやり合ったら、ニオイが残る筈なんスけどね?」
「そうか……私の“影視”でも視えなかったから、相当な手練だろうな」
「えっ、こわっ」

 思わず声を上げると、黙って会話を聞いていた降谷さんの携帯端末が着信を告げた。目線で断ってから、降谷さんは廊下に出て電話に出た。

「……禁書については、詳しく教えられないんだったか?」
「えっと……ダメ、なんだよね?」
「……禁書は、言わば人間を用いたゲーム装置だ。人間の欲求を肥大させ、どの欲求が勝るかを競い合う悪趣味なゲーム。禁書に魅入られなければ、その力を奮う事も可能……例えば、ダンタリアンの様に。だが、それを為すには強靭な精神力が試される。何事にも囚われない、確固たる意志。それが無ければ禁書を手にした人間は、只の傀儡に成り果てる」

 あー、うん。これこの前のタナトスの講義で習ったところだー! じゃなくてだ。そこは教えていいんだ? 相変わらず基準がよくわからん。あと、私は兄たち程強靭な精神力とか無いと思うんだけどな? 我ながらお豆腐メンタルだと思うぞ。

「……可能性としては、何巻辺りなの?」
「あの威力だと『葬送』じゃないッスかぁ?」
「あー……最強火力の九十九巻か……仕合いたくねぇな」
「もし使い熟して居るとなると……厄介だな」

 それぞれ暗い顔をしていると、電話を終えたらしい降谷さんが怪訝な顔をしながら戻って来た。

「……連続婦女殺人事件の犯人が捕まったそうなんだが……左手に『二十五・恋慕』と読める火傷の跡があったらしい。心当たりは?」
「成る程、そう来たか……心当たりしかねぇな」
「索引知ってるって事は、会の関係者ッスねぇ〜……誰だろ?」
「……禁書の件はこちらでも調査を進める。進展が有り次第報告する。これでどうだ?」
「ああ、宜しく頼むよ。ところで、今日は月夜は一緒じゃないんだな?」

 ヒロの何気ない言葉に、会の関係者一同が固まる。うむ……今それ地雷なんだよなぁ。

「……月夜は別行動中だ。詮索は無用。さて……私は戻るぞ。ではな」
「じゃー、オレも帰るッス〜!」

 タナトスが指を弾くと同時にわんころも消える。残った私と兄に、降谷さんとヒロの視線が刺さる。

「えっと……ヒロは、このままお仕事に行くの?」
「ああ、でも明日の夕方頃に着替えを取りに一度戻るよ」
「そっか。じゃあ、片付けたら私も帰るね」
「俺がやっとくから置いとけ。今日ここ泊まるし」
「あ……うん、だったらお願いする」

 みんなが使ったカップを片付けようとした手を引っ込めて、鞄を手に取る。うぅ、早く帰りたい。チラ、とヒロを見ると、何だか居た堪れない顔で私と兄を順番に眺めている。降谷さんも。うへぇ……やっぱり違和感あるよね? 兄はと言うと、自分の携帯端末を弄っている。何て言うか……話し掛けるなオーラが出てる気がする。これが心の壁か……早く帰ろ。

「……家まで送ってくよ、ヒナ。いいよな? ゼロ」
「……ああ。先に戻ってくれ。俺は少し残る」

 降谷さんが兄を見たまま言う。うーん……今はそっとして置いてくれると助かるんだけど……そんな事言えないので黙ってヒロと一緒にセーフハウスを後にする。兄の事だからボロは出さないと思うけど、喧嘩しないか心配ではある。大丈夫かなぁ……。


・・・‥‥……………………………‥‥・・・


 オレの部屋で、美少女二人がじゃれあっている。いや、まぁ、片方は男なんだけどさ。

「エレ! お前……ッ!! あれ程目立つ行動すんなっつったろうが!!」
「イタタタ! 痛い! 頭蓋陥没する!! 首もげる!!」
「ちょっと月夜!? やり過ぎだって!」

 クチナシちゃんに容赦なくアイアンクローをかます月夜を引き剥が……力強ッ!! とにかく宥めて落ち着かせると、涙目のクチナシちゃんがオレの背中に隠れた。

「痕跡は消したからバレない! 安心しろ!」
「そういうことじゃねぇんだよ! また所持禁書増やしやがって! このバカ!!」
「バカって言うな! 被害が拡大するよりはマシだろう!」
「お前……! 他人の心配より自分の心配しやがれ!!」

 ギャーギャーとオレを挟んで言い合う二人に、ちょっと遠い目になりかける。ヒナちゃんたちの使う隣の部屋と反対隣を月夜が借り上げて、オレの部屋と繋げた上に改装とか防音他諸々の処置をしたらしいんだけど、夜分にこんな大声で喧嘩して本当に大丈夫なのか不安になる。しばらく言い争って、疲れたのか二人は段々と落ち着いて来たようだ。

「ハァ……ただでさえ今オレがタナトスたちに疑われてんのに、これ以上問題起こすんじゃねぇっての……」
「わたしが問題を起こしているわけじゃない。問題を起こす禁書が悪い」
「お前なぁ……あー……もういい。疲れた。オレは寝る」
「そうだな……わたしも眠い」

 あれ程ヒートアップしてたのに、あっさりと喧嘩は終わる。それぞれ寝室に向かうのを茫然と見送ってから、リビングに取り残されたオレはそっとため息を吐く。

 詳しくは聞いてないけど、あの連続婦女殺人事件を解決したのはどうやらクチナシちゃんらしい。そしてその事件には、禁書が関わっていた。解決したのはいいんだけど、どうやらまたクチナシちゃんの禁書が増えたらしい。それがどう言う事なのか、よくわからないけど。月夜の怒りようを見るに、あまりいい事じゃないんだろうなぁ。

「ふぁ……オレも寝よ……」

 一気にしんとなったリビングの電気を消して、オレも自分の寝床に潜り込んだ。


・・・‥‥……………………………‥‥・・・



 とある廃倉庫群の一角。爆心地とされる場所は、降谷さんが言っていた通り、直径百メートルのクレーター状に抉れた地面は滑らかな鏡面仕上げになっていた。その淵に立って中を覗いていると、背後からよく知る人の気配。

「……ダンタリアン?」
「おや、諸伏くんもクレーター見学かい? ご苦労な事だ」

 現場周辺に規制線は張られているものの、警察官の姿は無かった。と言う事は、ヒロは個人捜査的なやつなんだろうか。

「規制線の内側に勝手に踏み入った事については謝罪するよ、でもまぁ、大目に見てはくれないかい」
「このクレーターは、本当に禁書の仕業なのか?」
「それを今から調べるんだけれど」

 ぴょんと穴の淵から跳んで、クレーターの中心付近に着地して禁書を開く。中から取り出した紙飛行機を滑らかな地面にくっ付けると、白い紙飛行機がじわりと空色に染まった。……うん、いけそうだ。紙飛行機を宙へと放つ。一度だけクレーターの上空を旋回した紙飛行機は、街の方へ向かう。再び地上へ戻り、そのあとを追うと……やっぱり、ヒロがついて来た。

「……相手は禁書を所持しているんだ、危険だからキミは来ない方がいい」
「断る。俺も行く」
「相変わらず聞き分けがないな、僕にキミと同行するメリットが無いと言っているんだけれど?」

 頼むからちょっと今回ばかりは遠慮して欲しい。微かな痕跡を汲み取った紙飛行機は、ゆっくり歩いても充分追い付く程の速度でしか飛行出来ない。人通りのある道に出てしまったので、今から不可視化するにも人目があり過ぎる。

「俺にはある。だからついて行く」
「全く……危ない目に遭っても僕は知らないからね」

 人間というのは不思議なもので、ある一定の高さにあるものを見ながら歩く人間はまずいない。そんなわけで、ダンタリアン姿の私とヒロが口も利かずに並んで歩くという絵面が完成したわけだけど。うむ……何か話題振った方がいいのかな。ただシンプルに気まずい。

「……ヒナから聞いたんだけれど、同棲を始めたんだって?」
「ッ、何で今その話題を振るんだ?」
「何となくだけれど……」
「……それで? ヒナは何て言ってたんだ?」
「うん? まぁ、凄く嬉しそうだったよ。ただ、ご近所付き合いが未だに不安だと言っていたね。ゴミ捨てに行くとご近所の奥方の井戸端会議に巻き込まれて、キミの職業なんかについて根掘り葉掘り聞かれるものだから、無駄にジャーナリストの生態に詳しくなったらしい」
「あー……フェイクの職業か……」
「ヒトの噂好きにも困ったものだね、根掘り葉掘り聞いても根も葉もない噂ばかり流布させるのだから」
「……どういう事だ?」
「さてね? 本人に聞いてみたらいいよ……この辺りか?」

 立ち止まって、大きく旋回を始めた紙飛行機を見上げる。フラフラと覚束ない飛び方で飛ぶ紙飛行機に、やっぱり要素が薄すぎたのかなぁ、と考えていると、突然、紙飛行機が何かに引っ張られたように真横に姿を消した。

「!? 何だ!?」

 驚いた声を上げたヒロを置いて、紙飛行機が消えた路地の方へと駆け出す。

「……まさか、勘付かれたのか?」

 路地裏の地面に散らばる、細切れにされた空色の紙片。指を弾いてそれを消してから、表通りへと戻る。

「……うわっ、ダンタリアン……」
「何て声を出すんだい、失礼だね……萩原くん」

 表通りでヒロと話す萩原さん。こんなところで何を? と思ったけど、そう言えば萩原さんのマンションってこの辺りだったな、と思い出す。萩原さんの隣のセーフハウスもだいぶ長い間使ってないな、そろそろ掃除しに行かなくては。買い物袋を携えた萩原さんは、どこか決まり悪そうに私とヒロを交互に見る。

「えっと……取り込み中?」
「あ! ダンタリアン、紙飛行機は?」
「さて、どうなったかな……僕の役目は終わったからこれで失礼するよ」
「えっ、待て、ダンタリアン!」

 踵を返して路地裏に向かった私を、ヒロが追いかける。だから、それを見送った萩原さんがどんな表情をしていたのかなんて、私とヒロが知る由もなかった。


 * * *


 秘密基地のリビングテーブルの上に広げた、先程回収した紙飛行機の破片を手に取り眺めたタナトスが、小さく息を吐き出す。

「……駄目だな、何も視えない」
「何のニオイもしないッス〜」
「切断面は鏡面。共有結合切断に似てるが……原理は不明だな」
「となると……やっぱ『葬送』だな。あの辺りに潜伏してたか、若しくは現場の確認に来たか」

 続いてわんころ、月夜、兄も神妙な面持ちでテーブルの上の紙片を見下ろした。

「……どうする? もう一回やった方がいい?」
「いや、あまり深入りすると逆手に取られて嵌められる可能性がある。追尾探索まで容易に気取り無効化、禁書の零巻から生成した紙飛行機を一瞬で細切れにし、その痕跡すら完全に消せるとは……ここまで手慣れているとなると、ヒナひとりで相手にするのは危険だ」
「うへぇ……もしかしてこれも『スペクター』の仕業?」
「いや……リリスを散々脅して間諜として戻したからな。その契約を反故にした様子は無いから、スペクター関係ではないだろう」

 散々脅した、の部分がこわすぎる。あと契約ってなんだ。こわすぎるから聞けないんだけどさ。みんなが紙片をテーブルに戻したので、指を弾いてそれを消す。うーん、スッパリ切れる攻撃? は、私の能力では防げない。もし身体がスパッとされたら……想像しただけで嫌すぎる。やめよやめよ、考えるのやめよ。

「えっと……こんな時は、その……昔の黄昏の会では、どうしてたの?」

 私の質問に、みんながそれぞれ表情を曇らせた。ありゃ……また地雷踏んだ? もう喋らない方がいいな私。

「……『エレ』ちゃんの異能、『アンサー』で万事解決だったッスからねぇ〜」
「オイ、クソ駄犬。蹴るぞ」
「別に禁忌(タブー)なコトじゃないからよくないッスかぁ〜?」
「こら、わんころ。ステイ」
「ウッス」

 うむ……相変わらず手懐けてんな。

「次にその話題出したら本気で蹴るぞ。クソが」

 ぶっきらぼうに言った月夜が、どかりとソファーに座る。

「……昔は彼女を宛てにし過ぎていたきらいがあるが……他の手立てが無い訳でもない」
「まぁ、あの異能は特別便利だったッスからねぇ〜、しょーがないッス〜」
「そうなんだ……」

 チラ、と兄の表情を盗み見る。黙ったままの兄は、何て言うか……苦しそうな顔をしていた。……やっぱり、兄と何かあったんだろうなぁ。うむむ……余計なことを言ってしまった。話題……話題を変えよう。

「えーと、明日は私が島の見回りだったよね? 何かしておく事とかある?」
「あっ! 妹ちゃん、有刺鉄線の中の温室には絶対入っちゃダメッスよ?」
「えっ、何で?」
「ダメなものはダメなんス! 頼むから入らないで欲しいッス〜!!」
「うわ……そう言われるとすごく気になる」
「フリじゃないッス! 絶対ダメッス!!」

 何だか必死なわんころに、タナトスが胡乱な眼差しを向けた。

「わんころ、何を植えたんだ? 正直に答えろ」
「うっ……な、何も……フツーの植物ッスよぉ〜!」
「……ハオマの亜種植えてたぞ。ヒュプノス、全部引っこ抜いとけ」
「なっ!? ちょっ、ロキの裏切り者!! 非道いッス〜!!」
「ハオマって……ポチ公お前、使い道無いだろ?」
「いつか! 使う時が来るかも!! 知れないじゃないッスかぁ!!」
「うるっさ……わんころ、ステイ」
「ウッス」

 ピタリと口を閉じたわんころに、首を傾げる。

「……ハオマ、って何?」
「……滋養強壮に効果があって、元々は怪我の治療に用いられる妙薬の材料になる植物だが……まぁ、簡単に言うと色々元気になる草だな」
「あぁ、うん……そっか。長生きしてると、やっぱりその……大変なんだな。どんまい」
「違う……違うッス……!!」

 ちょっと涙目のわんころに、生温い視線を送る。すると居た堪れなくなったのか、わんころは瞬間移動で姿を消した。



・・・‥‥……………………………‥‥・・・




 玄関から、近頃聴き慣れた人の気配と声。

「たーだいまー……」
【おかえり、何だか元気が無いね?】
「あー、うん……今さっき、この近くでダンタリアンに会った」
【あぁ、わたしの事を追ってたみたいだな。大丈夫、バレてないよ】
「そうなの? はぁー、焦った……」

 胸の辺りを押さえて大きく息を吐いた研二くん。気を取り直し「手洗ってくんね!」と洗面所に向かう背中を見ながら、彼に聞こえないように声を出す。

「……戻っていいよ、『レム』」

 しゅる、と先程まで彼が立っていた場所に留まっていた影が、わたしの影の中へと戻る。

(ダンタリアン……あの子の能力は厄介だな)

 流石はの妹なだけはある。“前の”彼女とは面識があるけれど、“今回の”彼女とはまだ逢った事はない。なまじと顔がほぼ同じなので、逢いたいとも思わないけれど。

(タナトスの“眼”の掻い潜り方は盤石だけど……あの子の能力がどこまで及ぶか、少し試してみる必要があるな)

 そんな事を考えながら、わたしは夕食作りを再開した。






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