それからの私たち(1)平穏には程遠い



 ○月×日 曇り

 同棲して一ヶ月。その間にヒロが帰ってきたのは片手で足りるくらい。非常にレアな遭遇率だと理解した。私の課金が足りないのかも知れない。とりあえず風見さんと降谷さんの方がヒロと会ってると思う。当たり前か。私はというと、いつもの通り家事をして散歩をしてたまに仕事をしたりしている。やっぱり普通には程遠いけど、慣れてしまえば日常だ。概ね不満はない。

 * * *

 新居となった真新しいマンションのリビングで、夜遅くに帰って来たヒロが、その重い口を開いて放った言葉を思わず聞き返す。

「……え、ヒロがお見合い?」
「ああ……どうしても断れなくて」

 それはあれか、上層からの縁談とか、そういうやつなんだろう。それにしてもお見合いかぁ。優秀で人柄も良く勤勉な国家公務員で結婚適齢期のイケメン。私が言うのも何だけど、優良物件過ぎる。

「お見合いってやっぱり『後は若いお二人だけで』みたいな事言われるのかな? 初対面の相手と二人っきりにされるとか怖すぎる。未知の世界だ」
「ヒナ?」
「うん? なに?」
「え、そこは『お見合いなんてしないで!』とか言ってくれるんじゃないのか?」
「あー、やっぱりそういうの言った方がいい? 加点される?」
「いや……その、やきもちとか、焼いてくれないのかと思うだろ。あと何に加点されるんだ」

 少し拗ねたような表情のヒロに、思わず笑みが溢れる。それを見たヒロがくちびるを尖らせて本格的に拗ねた。なんだこの可愛いアラサー。この世の奇跡かよ。知ってた。

「……万が一ヒロが策略に嵌って政略結婚でもしちゃったら、私はただこの身をもって武力行使するだけだよ。やられる前にやり返す。百倍返しだ!」
「ヒナ、最近益々ミヤビに似てきたな? その悪い笑顔と言動はしまっとこうな?」

 別に兄に似て来た訳じゃなくて、ネコが剥がれてきただけなんだよなぁ。言わんけど。無言無表情で指を弾く構えを取ると、ヒロが盛大に慌てた。そんな行動もかわいい。すき。

「あのね、ヒロは私が傷つくことしないって、知ってるから。どんな事があっても、ヒロはちゃんと私のところに帰ってきてくれるんでしょ?」
「ハァ……また、そういう可愛いこと言うもんなあ。ずるいだろ」

 顔を両手で覆ったヒロがテーブルに突っ伏した。今のは我ながらちょっとあざとかったかな。もう少し練習しないと。

「遠慮せずに行ってきなよ、ヒロ。ミヤたちにはちゃんと教えとくから」
「待て、俺で遊ぶつもりだな!」

 やきもち焼かないと思った? 残念、私結構やきもち焼きだと最近気づいたぞ! 絶対邪魔してやるんだからなっ! 

 *

 とは言ってもなぁ。こんな個人的な事に兄たちを巻き込む訳には……まぁ、教えたら嬉々として参戦するだろうけど。ヒロは私に何度も何度も謝って、私はその度に大丈夫だよ、と返すしかない。うむむ。
 そもそも立場上断れない縁談ってパワハラだよね? 降谷さんも縁談とかめっちゃ来てるんだろうな。みんな住みたい優良物件。でも残念、人間はシェア出来ないのである。

「俗にこれを同担拒否と言います」
「ちょっと、何の話?」

 阿笠邸で志保とお茶を飲みながら、急に胡乱な眼差しになり訳の分からないことを言い出した私に、志保が眉根を寄せる。そんな顔も美人である。明美ちゃんは大学に通い直して居るので今日はいない。阿笠博士はフサエさんとデートで三泊四日伊豆の旅だそうだ。金髪美女とデートとか、博士も隅に置けないなぁ。私も一度お会いしたけど、とっても素敵な女性だった。初恋は実らないなんて嘘だ。だって私もそうだもん。

「それで? 何があったの」
「ヒロが今度お見合いするんだけど、どうしたもんかなぁと思って」
「……え? ちょっとそれどう言う事?」
「なんかね、上層からの縁談で断れないんだって。だから不可抗力みたい」
「みたい、って。ヒナはそれでいいの?」
「いいわけないじゃん。今どうやって穏便に妨害しようか考え中」

 志保の淹れてくれた紅茶をひと口飲む。今日はアールグレイか。美味しい。

「あの人たちの立場上どうしても断れなかったんでしょうけど、不誠実だわ」
「うーん、不誠実ともまた違う気がするけど、不愉快だよね。もちろんヒロじゃなくて、その話を持ってきた愚か者が。みんなまとめて逆さに吊ってやろうか」
「出来るでしょうけどやめなさい。アナタさっき穏便にって自分で言ったわよね?」

 呆れ顔の志保が、私が持参したクッキーを齧った。穏便にこてんぱんにしたいんだよ私は。

「場所と日時は分かるのよね?」
「うん。ちゃんと教えてくれたよ」
「そう。それで、今のところどんなプランがあるの?」
「えっとね、まだ考え中なんだけど聞いてくれる?」
「まぁ、聞くだけならいいわ」

 すらりと長い手足を組んだ志保が優雅に微笑む。女神かな? カップを置き私も腕を組んで、何度も頭の中でシュミレートした結果を話してみる事にする。

「ヒロの性格を考えると、まず間違いなくスマートにお断りしてくるよね。そして縁談は無かったことになるはず」
「だったらそれでいいんじゃないの? ヒナが手を出さなくても大丈夫でしょう」
「あのね、志保。ヒロだよ? お見合い相手が惚れないわけがない」
「ねぇ、ヒナ。アナタまさか、諸伏さんが誰に対しても自分と同じ態度で接してると思ってないわよね?」
「ん? 思ってないよ? ダンタリアンの時めっちゃ怒られたし」
「あの悪魔は比較対象にならないでしょう。でもまぁ確かに私とお姉ちゃんに対しても優しく接してくれたけど……諸伏さん、ヒナが思ってるよりずっと狡猾な性格してると思うわよ?」
「うーん、そうなんだけど。だからね、つまり、お見合い相手がヒロにガチ恋しちゃって、必殺・親の七光りを発動されたらただの庶民の隼雀ヒナにはどうしようもなくなる。それにヒロの仕事に支障が出るかも知れない。そんなの嫌だから、お見合い前にあちらさんから破談させたいのであります」
「ヒナって見た目に似合わず過激なこと考えてるわよね。手っ取り早い方法ならひとつ思い付くけど?」
「ミヤでしょ? でもこれは本当に私個人の問題だから、巻き込みたくないんだよな」

 兄に頼めば秒で解決するだろうけど、それは何か違う気がする。異能を使うのもフェアじゃない。となれば、ただの私に何が出来るのか。それが問題である。

「うーん、手っ取り早く弱みでも握るか」
「手っ取り早く弱みを握るのを世間一般的に穏便とは言わないわ」

 呆れを通り越して諦めの表情をした志保が、紅茶のカップを傾けた。

 △▽△▽△

「反応が遅い、動きに無駄が多過ぎる、攻撃を躊躇し過ぎだ。合格点には程遠いぞ、ダンタリアン」
「キミの基準で物を言わないでくれるかい、タナトス。僕だって一生懸命やっているんだけれど?」

 容赦なくダメ出しされる書の悪魔(ダンタリアン)を降谷さんと風見さんが物珍しそうに見ている。半壊した建物からこぼれたコンクリートの塊に腰掛け、お仕着せのプリーツスカートからすらりと伸びた長い脚を組んだタナトスが私の手の中の禁書を見た。

「そもそも君はそれ(禁書)に頼り過ぎだ。身体技能の強化を推奨する。講師は……ヘルメス辺りから始めるか」
「やめてくれるかい、さすがの僕でもナノセカンド(十億分の一秒)で捻り殺されてしまうよ」

 無理無理無理! 関節という関節へし折られてジ・エンドだよ!! 

「……ダンタリアン、そろそろこの状況を説明してくれるか」
「あぁ、失礼。でも残念だけど見ての通りだよ、僕たちが来た時には建物は半壊。恐らく残党だろう構成員が襲ってきたから、僕とタナトスで返り討ちにしたのだけれど」

 そこいらに転がる屈強な男たちを眺めながら言うと、降谷さんがタナトスと私を順番に見た。

「それはわかったが、なぜ君たちがここに居る?」
「それはタナトスに訊いてくれるかい。僕も急に連れて来られただけなのでね」
「何、只の暇潰しだ。そら、これをやろう」

 タナトスが降谷さんに向かってUSBメモリを三つ投げると、それを見事にキャッチした降谷さんがかたちのいい眉を顰める。

「改竄前の会計データと裏会員名簿、関連会社への不正出資履歴。欠損も幾つか有ったが他部署に置いていたデータで補填出来るだろう」
「何故、これを?」
「さぁな。ダンタリアン、帰るぞ」

 タナトスが指を弾く。

 *

「ちょっとミヤ……アレを習得しろと? 無理だろ」
「まぁ無理だろーよ」

 秘密基地のウッドデッキで紫煙を燻らせながら、兄が胡乱な眼差しで見つめた先には、月夜とわんころ相手に組手をしているタナトス。

「その程度で瞬間移動だと? 平和呆けで腕が鈍ったのではないか、ヘルメス」
「その余裕顔泣かせてやるッスよ! ……グェッ」
「ロキも、相変わらず力押しの悪い癖が出ている。基礎からやり直しだな」
「うるっせえ! 黙って蹴られろ! ……ガッ」

 わんころと月夜が無様に芝生の上を転がった。うへぇ、何も言えねぇ。泥だらけの二人が素早く起き上がり、またタナトスに攻撃を仕掛ける。

「こわっ。あの二人相手に無傷だと? どの戦闘民族の星から来たの?」
「残念な事に地球人なんだよなぁ。アイツまた腕上げたな、一体今度は何処で何見て来たんだか。おー、こわっ」

 携帯灰皿にタバコを押し付けながら、ちっともこわがっているようには思えない、いつもののんびりとした口調で兄がぼやいた。

「そーいや、ヒナ。モロフシくん今度お見合いすんだって? フルヤくんが心配してたぞ、ヒナは我慢するのが得意だからって」
「あー、うん。まぁ、でもヒロなら大丈夫でしょ」
「ふーん? お前がいいならいいけど。フルヤくんも見合い強制されたみたいだから調べとくけど、結果要るか?」
「うっ、い、要らない……」

 嘘、本当はめっちゃ欲しい。でもこれは自分で何とか……する、しか。ぐぬぬ。葛藤する私を見た兄が、呆れたように肩を竦めた。

 *

 結局泥ひとつ付かなかったタナトスに、泥だらけの月夜とわんころが意気消沈しながらシャワーを浴びに浴室に消えた。あれ、一緒に入るんだ。仲良いな。

「で、暫くこっちに居るんだろ? 期間は」
「そうだな、こちらの時間軸で半年位はゆっくり出来る筈だ」
「こちらの時間軸というパワーワード。ねぇ、タナトスはどんな案件を処理してるの?」
「まぁ、色々だな。簡単に言うと人類が滅びないように調整をしている」
「よくわかんないけどとにかく壮大なのはわかった」

 滅びないように調整ってなんだ。人類の管理者か。兄がタナトスにカフェオレを、私にブラックコーヒーを渡しながら席に着いた。

「じゃあ偽名とかもう用意したんだろ? どれ使うんだ?」
尾峰真朝(おみねまあさ)でいいだろう、一々考えるのも億劫だ」
「そっちか。何か違和感あんなぁ」
「まあさ? マーサ? かわいい名前だね」
「フッ、それは初めて言われたな。それよりヒナ、体術の会得が難しいのであれば、せめて他でアドバンテージを取らないと危険だ。理由はふたつ。ひとつに、精神操作系の強い能力者がミヤたちを操った時に対処出来る様に。もうひとつは、単独で状況を打破しないといけない事態に陥った時に必要になるから。理解出来るか」
「えっ、こわ。待って、ミヤは出来るってことだよね?」
「まぁ、ギリ合格点貰ったけど」
「マジか。えぇ……アドバンテージ? 例えば?」
「そうだな、ヒナの場合は身体加速も充分では無いから、最低でも絶対防御くらいは必要になるな」
「最低でも?」
「最低でも。死にたいのなら別に構わないが」

 死にたくねぇ……死にたくねぇよぉ!! 知ってたけどタナトスの基準厳し過ぎない? 

「私は事実を述べたまで。それに私の基準では無く、会の基準だ」

 あ、そうだった。タナトスは心が読めるんだった。うぅ、余計なこと考えないようにしないと……頭の中とっ散らかってるのを知られるなんて恥ずかし過ぎる。

「……それもそうか。すまない、配慮が足りなかったな」

 スッ、とタナトスの赤と青の双眸が一瞬で射干玉色に染まる。え、すごい。

「ヒナ、私は瞳の色が黒い時は他人の思考を読まない。覚えておいてくれ」
「えっ。そうなの? でも不便じゃない? 大丈夫?」
「あぁ。私なら大丈夫だよ、ヒナ」

 タナトスが眦を緩めながら、私の髪を優しく梳いた。

「相変わらずヒナには甘いのな」
「当然だろう、ヒナはお前たちと違って可愛いからな」

 カフェオレをひと口飲んだタナトスが、何かを思い出したように小さく笑った。

 △▽△▽△

「尾峰真朝、二十五歳、生業は占い師。覚えたか?」
「えっと、真朝、同い年、占い師。すごい、何ひとつしっくりこない」

 私服姿のタナトスは、どうサバを読んでも高校生くらいにしか見えない。しっかし何着てても美人だな。顔とスタイルが良過ぎる。そしてはちゃめちゃに強い。

「さて、米花町も久しいな。ポアロにでも行くか」
「タ、真朝もここに住んでた?」
「まぁな。ミヤはそこまで教えなかったのか。成る程、矢張り私の過失はそこに回帰するのだな」
「真朝?」
「いや、こちらの話だ。ほら、行くぞ」

 スタスタと歩き出すタナトスは、迷うことなくポアロへと到着する。外で掃き掃除をしていた安室さんが、驚いた顔で私たちを見た。

「えぇと、二名様ですか?」
「あぁ、私はカフェオレ、ユイはコーヒーでケーキセットふたつだ」
「かしこまりました……」

 安室さんが開けてくれたドアを潜る前にオーダーが終わる。淀みない足取りでカウンターに座ったタナトスが、ぐるりと店内を見渡し「懐かしいな」とこぼした。安室さんがコーヒーを淹れつつ、さりげなくタナトスを観察している。

「お待たせしました。ところでユイ、こちらの方は?」
「えっと、尾峰真朝。私と同い年、です」
「同い年……?」
「これでも大分少なく見繕ったんだがな」
「えっ、ちょっ、真朝?」
「ホォー。参考までに、ご職業は何を?」
「何だろうな、当ててみるといい。安室透探偵?」

 カフェオレをひと口飲んだタナトスが、僅かに口角を上げて挑戦的に安室さんを見た。あーあ、安室さん、いや降谷さん負けず嫌いだから、当てるまで引かないぞ。

「そうですね……所作や物腰とその落ち着きよう、相当な武術の心得が有るようですね。でもそれを活かす必要の無い職業、だからといって不要では無い。となれば、命に関わる危険を伴う……まさか、警察官?」
「えっ。違うよね?」

 安室さんと私の視線を向けられたタナトスが、一瞬キョトンとしたあと、心底可笑しそうに笑った。

「ふっ、あはは! やめてくれ、笑わせるな! はぁ、全く……記憶処理が甘かったのか」

 最後の言葉でトーンを落としたタナトスに、思わず冷や汗が滲む。え、こっわ! どうしたどうした!? 不穏すぎるんだけど!? 

「選択としては間違っては居なかったが、そうだな。選び取った結果の今は違うとだけ伝えておこうか。ところで、ハムサンドも追加で頂きたいのだが」
「え。あ。いえ、かしこまりました……」

 怪訝な顔をしたままの安室さんが、珍しく狼狽えながら肯いた。

 *

 ポアロから出たタナトスは、米花町の景色を愉しむように私の前を足取り軽く歩いて行く。時折立ち止まり、彼女が目を細め見つめた先には特に何もない、普通の景色が広がっている。しばらく歩いて人通りの少ない歩道で立ち止まったタナトスに話し掛ける。

「次はどこに行くの?」
「さぁ、何処にしようか。ヒナは行きたい所はあるか?」
「いや、特に」
「そうか。ではそろそろ訓練に入るとしよう」
「えっ」
「先ずは一時間、私から逃げ切る事。異能の使用は不可とする。隠れても良いが、私に対しては意味を為さないのを忘れるな。十分後に追いかける」
「えっ」
「ではスタートだ」
「えっ、えぇっ!?」

 ちょっと!? 何か始まったんですけど!? これってアレだよな、ずっと前に月夜と私が兄に仕掛けたヤツ! 慌てて路地裏へと駆け出す。えーと、えーと、どこに行こう。異能ではなく体質らしいタナトスのあの不思議な眼の事を考えると、人が少ないよりは多いところの方が見つからないだろうか。でも猶予は十分しかない。ここから近い場所で、見つかりにくいところ……懸命に足を動かしながら、私は国道沿いの繁華街を目指す事にした。

 *

 ……まぁ、結果は言わずもがな。開始三分で捕まったので、タナトスに「もう少し頭を使うべきだ」と言われてしまった。私の脳味噌がポンコツですんません。家に帰ると、玄関にヒロの革靴が揃えてあった。あれ? 帰ってくるって連絡なかったけどな? どうしたんだろう。ただいま、と声を掛けると、寝室の方から「おかえり」とヒロの声がした。

「どうしたの? 何かあった?」
「この前の見合いの話、先方の都合で前倒しになってさ……今から行かなきゃいけないんだ」
「そっか。気を付けてね」

 着替え中のヒロにそう言ってから手洗いうがいをする。うむ、結局何も手立てを考えてなかったな。ほんとポンコツ。でも、ヒロならきっと上手く立ち回るはずだ。私が引っ掻き回して問題が起きたらそれこそヒロの信用に関わるだろう。今回は様子を見た方が得策だろうか。洗面所を出てキッチンでお湯を沸かす。きっと何か食べて来るんだよね? あれ、でも公安の人ってそういうところでは食べないんだったかな。どうだろ。着替え終わって寝室から出てきたヒロに聞いてみる。

「晩ご飯は食べて来るの?」
「……一応、相手の顔を立てないといけないからな、食べては来るけど」
「そっか、わかった」

 じゃあお茶くらいなら持って行ってくれるかな。この間兄から貰った美味しいほうじ茶淹れよう。タンブラーと水筒どっちがいいかな。

「ヒナ」
「うん? どうしたの」
「ごめん、嫌な思いさせて。でも俺が好きなのはヒナだけだ、信じてくれるか」
「信じてるよ。この前も言ったけど、ヒロは私のところに帰って来てくれるんでしょ?」
「ああ、約束する。だから……待っててくれるか」

 真剣な眼差しを真っ直ぐ受け止める。

「もちろんだよ。ヒロがそう、望むのなら」

 * * *

 ガヤガヤと賑やかな大衆居酒屋の一角で、私の話をテーブルの向かいで聞いていた兄が呆れた声を出す。周りのお客さんたちは自分の仲間とのお喋りに夢中なので、私たちも割と気兼ねなく話が出来る。

「だから聞いたろ? 情報欲しいかって。それなのに変な意地張って要らないって言ったの誰だっけ?」
「うぅ、私です……でもさぁ、見合いした次の日に『彼にはわたしの方が相応しいから別れなさい!』なんて言われると思わなかった」
「甘いな、趣味が婚活な女性をナメちゃいかん。サメかハイエナの方がまだ大人しいぞ」
「こぇえ……って、その言い方。まさか引っ掛けたりしてないだろうな」
「俺の危機回避能力舐めんなよ? それに地雷は見りゃ分かるしな」
「うわ、なんだその嫌過ぎる情報……じゃなくて! 私とヒロの危機なんだよー! 助けろください!!」

 お願いします! と両手を合わせて兄を拝むと、心底面倒そうな顔をした兄がジョッキのビールを飲み干した。

「いいけど、条件がある。最初に(隼雀雅)の提案を蹴ったんだから、次に頼むのは誰か、わかるよな?」
「えっ、小鳥遊のほう」
「お前なぁ。流石に今回は報酬貰うからな」
「うへぇ……どんな?」

 戦々恐々として問うと、兄はニヤリと悪い笑みを浮かべた。嫌な予感しかしねぇ。

「そりゃもちろん、面白いコトに決まってんだろ?」
「あー、うん。遊ばれる予感を察知。でもまぁ、死ななきゃ安いか……情報と策を要求します」
「じゃー交渉成立な」

 うむ、魔王と取引してしまった。これうっかり魂取られないよな? 大丈夫かな。兄が自分の携帯端末を弄ってテーブルに置き、視線で私に画面を見るように促す。そこに表示されているのはつい数時間前に見た女性の顔、そしてずらっと個人情報と日々の素行が羅列されている。プライバシーとは。

「一応聞くけど、これ法に触れる?」
「いや? 全部この女が自分でSNSに上げてた情報組み合わせただけだからな。プライバシー侵害には該当しない」
「わぉ……SNSこえぇ。それにしても、旅行ばっかりしてるのに家事手伝いを公言するってすごいな。未知の世界だ」
「有名ブリーダーから買ったって散々自慢してた子犬も成長したら放ったらかしだからな。トイプーかわいそ。まぁ、見ての通り親が散々甘やかした結果誕生した承認欲求モンスターだから、ヒナがエンカウント後速攻逃げたのは正解。今呟きSNSの裏アカで勝ち誇ってお前の事バカにしてんぞ」
「私のことなら別にいいけどさぁ……この書き込みはアウトでしょ。ヒロのお仕事に支障が出たらどうするつもりなんだ」

 兄の携帯端末の画面を指でつつきながら顔を顰める。そこにあるのは呟きSNSの書き込み『パパに薦められてエリート公務員サンとぉ見合いぁまり気乗りしなかったケド、会ってみたら紳士的なイケメンでびっくり! 運命って本当にぁるんだネ.:☆*:。』の文字。それを見下ろした兄も、心なしか遠い目をしている。

「まぁ、ギリアウトだな。これは後で消しとく。しっかし、ここまで地雷原だと逆に笑えるよなぁ」
「笑ってないで策をくれ。この奇行種に太刀打ち出来る装備で頼むよ」
「奇行種とか言い得て妙だな。お前が表立って動くと火に油だから、とりあえず……」

 そこまで言いかけると、兄は急に口を閉じて携帯端末の画面を素早く消した。何食わぬ顔でたこわさを食べ出した兄が、チラ、と私の背後の席を見る。うむ、こっそりとボイスレコーダーをこちらに向けているのは今さっきその席に着いた二人組の男性。意識を私たちに向けて居るのが丸わかりなので素人だろう。めんどくせぇなぁ、と兄の目が雄弁に語っている。同感である。少し視線を動かした兄がゆっくりと口を開く。適当に話をするから調子を合わせろ的な事か。了解した。

「……ユイ、今度の日曜どうせ暇だろ?」
「あー、うん。どうせ暇だけど」
「明後日クリスが来日するんだけど、その時に話し相手が欲しいから俺とお前ご指名だってさ」
「クリスが? 行っていいなら行くけど……そっか、久しぶりだなぁ」

 降谷さんとベルモットの司法取引の中に、女優活動の制限はしない代わりに海外で得た情報を定期的に提供する項目があるらしい。相変わらず抜け目無いと言うか……クリス・ヴィンヤード程の大御所となれば、相当な情報が入って来るんだろう。やっぱり情報戦は最重要なんだよなぁ。うむ。私がウーロン茶を飲み干したのを見た兄が伝票を持って立ち上がり、のんびりと声を出す。

「さーて、そろそろ帰るかぁ」

 *

「うぇえ、マニュアル車こわい……」
「バイクばっか乗ってるからだろ。たまには車も運転しろって」
「くそぅ、ミヤがビール頼んだ時にこうなるって気が付くべきだった……!」

 しかも兄の車、デカいから運転怖いんだよ! おそるおそる運転していると、助手席の兄が携帯端末を弄りながら口を開く。

「つけられてんな。三台後ろ、白のクラウン」
「うげぇ……暇かよ」
「どうする? カーチェイスでもするかぁ?」
「ミヤお気に入りのこのランクルさんがお釈迦になってもいいならやるけど」
「はっは、そりゃ困る。ところでさぁ、ヒナ。ちょっと行きたい所あるんだけど」

 ピピッ、とナビを素早く操作した兄が楽しそうに言ったのを聞いて、思わず眉根を寄せる。

「今じゃなきゃダメなの? せめて私が運転手じゃない時にしてほしい」
「まぁまぁ、とりあえずナビ通りにな? 後ろは俺が見とくから」

 そして後続に白のクラウンをくっつけたまま、目的地へと到着した。目の前に並ぶちょっとおしゃれなコンテナの集合体を見上げながら、鞄から鍵束を取り出しその中のひとつを開いた兄へと視線を向ける。何だその鍵の数。どんだけあるんだ。

「……ここ、確かミヤのセルフストレージだよね?」
「そー。見つかっても大丈夫なモノ置場」

 言い方……まぁいいや。コンテナ内の明かりをつけた兄の後ろから中を覗く。木箱や段ボールに兄の字で英数字が書かれたものが几帳面に並んでいる。『Tb48z』と書かれた箱の中からペンライトの様なモノを取り出した兄が、それにケーブルを差し込み自分の携帯端末と繋げた。

「なに、それ?」
「んー? 簡易版短期記憶処理装置」

 おいおい、なんつーモン置いてるんだよ。さっき見つかっても大丈夫なモノ置場って言ってたよね? 

「一応聞くけど、何に使うの」
「まぁ、色々」

 思わず閉口していると、兄が説明をはじめる。

「……記憶処理にも色々種類がある。五感から干渉するもの、直接記憶を書き換えるもの。俺がヘキサドライブで使うのが前者、ダンタリアンが使うのは後者。わかったかぁ?」
「まぁ、何となく」

 ヘキサドライブとはアレだ、兄が謎空間から取り出す正六面体のミニラ○エル。ふむ……だからってなんで今それが必要なんだ? よくわからん。兄の作業を見守っていると、外から人の気配。

「ねぇ、どうすんの。返り討ちにしていいの?」
「好きにすりゃいい。但し、お前だとバレない様にな?」
「わかった」

 指を弾いて姿を変え、入り口の死角に隠れる。

「なんだそりゃ。ぴかちゅー?」
《ぴかちゅーじゃないよ、みみっきゅだよ》
「ふーん? 生皮剥いで被ってんのか?」
《そんな闇の深い設定無いし……》

 物騒な事を言い出す兄に呆れていると、気配が入り口で止まった。物陰からスルリと出て行くと、二人組の男が驚いて悲鳴を上げる。……コイツら、もしかしなくてもさっき居酒屋に居たリーマンだな。

(えーと……『でんじは』!)

 パチッ! と周りの空気が帯電して、男たちが手に持って懐中電灯代わりにしていた携帯端末がショートする。

「なんだコイツ!?」
「ば、バケモノか!?」

 失礼な。みみっきゅかわいいだろ。ショートして煙を上げた携帯端末を私目掛けて投げつけてきたので、サイコキネシスで弾き返すと男たちの眉間に寸分違わず命中した。男たちが再び悲鳴を上げながら逃げ去って行く。それを見送ってから元の姿に戻ると、作業を終えたらしい兄が先程のペンライトを私に手渡した。

「広範囲に短期記憶処理できる様に理論書き換えたけど、使い捨てだから。範囲は半径十メートル、使用時より遡って一分以内の記憶が曖昧になる」
「わかったけど……何で?」
「まー、念のためだなぁ。さて、そろそろ本気で帰るぞ。いい加減眠い」

 ふわぁ、とあくびをしながら、兄は大きく伸びをした。






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