文明の利器にも似たような


 変装したキュラソーが公安に潜入していた一件以来、時折スピリタスが漏らす些細な呟きから解決した事件が両手では足りなくなった頃。例の電波暗室で、俺たちは揃って頭を抱えていた。

「わかっていた事だが……しかしなあ」
「まぁ、気持ちは分からなくもないが……」

 ヒロと風見が肩を落とす。

「今まで散々手間暇掛けて集めた情報が、スピリタスがチラ見しただけで全て解決するとなると、士気が下がるのは当然だな……」
「かと言ってこのままあの能力に依存するのは危険過ぎるとあれ程……」

 雨音の言葉に、俺は目頭を揉み込んだ。

 最近、目に見えて他の捜査員たちがスピリタスを当てにしている。捜査室で暇を持て余したスピリタスが、本人にその気はなくても事件解決に協力してしまっているからだ。

 公安職員のプライドとして決してこちらから頼む事はないが、それでも、その便利な『目』を当てにしている者が居るのは事実。

 一応何度も捜査員たちに通達してはいる。が、一部から『使えるものは使えばいいのに』という不満があるのも把握している。

 確かに、スピリタスの能力は便利で魅力的だ。だがそれと同時に警察組織の根底をも揺るがす脅威でもある。

 言い換えると、スピリタスがその気になれば、この世から犯罪者など居なくなる。大袈裟な言い方をすると、犯罪者の撲滅は警察組織、いや人類の理想の一つだろうが、あの異能を使いその悲願が達成されたあと、スピリタスが居なくなったらどうなるか。

 そういう事である。

「スピリタスを隔離……いや、絶対ごねるな」
「人……いや、猫見知り? 激しいみたいだからな。私には『ゼロ』に居る同性が私だけしか居ないから寄ってきてるんだと思うが……それ以外だとあの組織で気に入られたゼロとヒロ、風見さんは……あれ?」
「俺はそんなに懐かれてはいないと思うのだが……」
「スピリタスが以前言っていたが、風見は首根っこ掴まないから嫌いではないらしい」
「ええ……そんな理由……」

 残念ながら警察に猫用の独房はない。仮にあったとしても入れた瞬間にキレて何らかの手段で逃げ出す事は目に見えている。そして尋常じゃない被害が出るだろう事も。

 何度か協力者として契約を結ぼうと試みたが、その話をするとのらりくらりとかわされて有耶無耶になっている。

 先程から答えのない堂々巡りを続けて、四人で知恵を絞っているのだが、当のスピリタスがあんな感じなので、少しずつ情報を引き出すしか方法がないなという結論には至る。

「納得いかない他の捜査員たちはどうしたものかな。『目』以外の……その、残酷な能力の報告も見ているはずなんだが」
「全くだ……こうも想像力に乏しい面子が居たとはな」
「もう、いっそのことスピリタスに決めさせたらどうだろうか。喋り方とかは子供っぽいけど、意外と話は通じそうじゃない?」
「そうだなあ……義理堅いところがあるのは確かだけど、上層が何て言うかだよなあ」
「渋るだろうな……偶然とはいえ折角捕獲出来た最重要人物だ。みすみす逃したくは無いだろう。それに組織壊滅には猫ではなく人間に戻る必要が……何か弱味の一つでも握れたらいいんだが」
「弱味……弱味か。逆にあれだけ全知全能だと、弱味なんかなさそうだけどな? ゼロとヒロは何か思い付くか? スピリタスの弱味」
「……だめだ、わからん。あの状態だと指紋も毛髪検査も全部猫判定だったから、せめて素性がわかれば……」
「隼雀や月夜なら何か知ってそうだけどな。そう易々と教えてくれるわけがないだろうが」

 雨音が天を仰ぎながら、はぁ……と憂げにため息をついた。それを見ながら、何か心に引っ掛かりを覚えて、今の会話を反芻する。月夜……月夜、か。

「……なぁ、おかしいと思わないか?」
「おかしい? 何が……ですか、降谷さん」
「スピリタスを捕獲してから、アイツは月夜とか、最近べったりだった隼雀とかとは一切連絡を取っていない。携帯端末は一定時間操作がないと各所に連絡がいく仕様だと言ってはいたが、身内から何もアクションがないのに、スピリタスは平然としている。連絡を取りたいとも言わない。おかしくないか? 普通だったら助けを求めるなり何なりするだろう。能力が制限されているなら尚更」
「確かに……もし自分が捕まったら、外部と連絡を取る手段くらいは確保したいが……うーん、でもスピリタスだからなぁ」
「先日の『黄昏の会』というのも、今のところ何もわかっていませんからね……自由が認められているとは言っていましたが、捕獲から二週間……焦る様子もないとなると、まさか」
「一番に考えられるのは、変身能力がある月夜……アイツが潜り込んでいる可能性があるな。言動が怪しいヤツは居なかったと思うが……雨音、お前は何か気付かなかったか? あと、最近隼雀と会ったりは?」
「いや……潜入調査で居なかったりしたからな。その間はわからないが、私が見た限りではこれといって特に。あと、ミヤは先月から調査で地方に行ってるぞ? ……ヒロは何か気付いた?」
「俺も別に皆いつも通りだったと思うけど……捕獲してからの捜査室出入りした全員、行動洗ってみるか?」
「そうだな……スピリタスのいない場所で且つ接触のない人間で内密に調べさせよう。風見、人員のピックアップを頼めるか」
「了解です。場所と人員を確保次第連絡します」


 *


 いつもの女子トイレで、オレの報告を聞いたスピリタスがドン引いていた。

《うへぇ、ゼロは相変わらず勘が鋭いなぁ……でもまさか目の前に居るとはおもわないだろうねぇ。うぅ、他の人たちの仕事増やして申し訳ない……》
「お前のフリすんの辛すぎなんだけど。なんなのアイツら。捜査員の行動洗うとかプライバシー概念どうなってんだよ。まぁ、オレは有能だからな、完璧に行動パターンまでトレースしてるから、いくら洗おうがボロなんざ出てこねぇけどよ」
《ようやく自力でこの首輪外せるくらいの理論構築出来たから、もう少し雑な扱いしてくれたら、キレた体で逃げ出せるんだけどなぁ……うん、もうこうなったら解放を条件に交渉しよ。どんな感じが妥当かなぁ……》
「俺は組織壊滅手伝えねぇから、どっちの顔して参加するかが問題なんじゃねぇの。相変わらず正体バラす気ねぇんだろ?」
《それなぁ。考えても考えても答えが出ない。雨音澪が前線投入されるんだったらワンチャン……ないな。通信切れたら絶対怪しまれる……》
「オトモダチごっこも大概にしろよ? 大事にした分だけ自分が傷付くんだぜ、タナトス」
《……それは経験則?》
「さぁな。忘れた」
《……ロキ。私はきっと、前に君が言った通り欲張りの臆病者なんだよ。だからこうやって選べない。だけど……少しくらい、もうちょっとだけ、悩んでもいいか?》
「チッ……好きにしろよ。言っただろ、今だけだって」
《そうだな……ありがとう、ロキ》


 * * *


 バーボンになるのも三日振りだな、と思いながらいつものBARの扉をくぐる。

「……いきなりご挨拶ですね、ジン」
「オイ、バーボン……スピリタスの奴を即刻連れ戻して来い」

 突き付けられた銃を手の甲で払い除けながら、ジンの双眸を睨み返す。

「それは誰の命令です? ボスやラムではないですよね。それにあの怪物を誰がどうやって捕まえられると言うんですか。生憎、その様に特殊な技能は持ち合わせていないもので」
「チッ……その言い方だとスピリタスがどこに居るかは知ってるみてぇだな?」
「ハァ……アナタは僕が『探り屋』だと言う事をお忘れですか? ……まぁ、スピリタスからバカンスの様子が送られてくるだけなんですが。ああ、探しに行くついでに僕も楽しんでくればいいんですかね。やっぱり行ってきましょうか?」

 皮肉たっぷりに言い返すと、ジンは舌打ちをしてウォッカを従えて出て行った。

「実は僕、まだ行ったことないんですよね、タヒチ。アナタはああいうリゾート地が似合いそうですね。ベルモット」
「ふふ……嫌いではないわね。それにしても、スピリタスったら。私も誘ってくれたらよかったのに」

 カウンターでグラスを傾けていたベルモットの隣に座り、ノンアルコールをオーダーすると、ベルモットが眉を顰めた。

「あら、このあと用事でも?」
「ええ。残念ながら。しかし、スピリタスの自由奔放さはどうなんですかね? 誰も制御できないとは言え……気分次第で組織ごと消し飛ばしかねない」
「そうね……だからボスもラムも、あの子の逆鱗に触れないように敢えて何も言わない……いえ、言えないと言った方がいいのかしら。あのよく見える『目』はこの世のどんな金銀財宝よりも価値があるもの。あなたならわかるでしょう? バーボン」
「そうですね……『情報』は時に、命よりも遥かに重い。誰かを助ける蜘蛛の糸にもなれば、容赦なく振り下ろされる刃にもなる。それを、見ただけで全て得られるとなると、羨ましい反面、恐ろしくもあります」
「……全てが見えるって、どんな気分なのかしら。嘘も偽りもない世界なんて、想像したくもないわね」

 どこか遠い視線で虚空をなぞりながら、ベルモットが呟いた。


 * * *


「ねぇ翠川さん。最近、尾峰さんも真朝さんも見掛けないね?」

 土曜日。毛利探偵は仕事で夕方まで不在、蘭ちゃんは部活で昼前まで帰らないそうだ。そんなわけで開店と同時にポアロにやってきたコナン君は、カウンターに座りながらオレンジジュースのグラスを両手で持ちながら小首を傾げた。

「そうか? ああ……でも、言われてみれば、そうだな」
「二人とも仕事が忙しいのかな? と思ったんだけどボク尾峰さんのお仕事知らないんだぁ。翠川さんは知ってる?」

 ボク知りたいなぁ、と子供らしいあざとさで問う小さな探偵に、にこりと笑みを向けて見せる。

「知ってるけど、勝手に教えたら怒られるからなあ。コナン君は、尾峰は何の仕事をしてると思うんだ?」
「うーん……尾峰さんって、あまり感情を表に出さないけど、正義感が強くて、怒るとすごくこわい。でも、間違った事は言わないよね。あと、頭もすごくいいし。安室さんも翠川さんもそうだけど、また違うって言うか……最初は警察官かなぁって思ったけど、それもしっくりこないっていうか。どちらかというと、捕まえるより裁くほうが向いてそうな。裁判官とか向いてそうだと思ったよ」

 おっとニアミス。澪はとても優秀な公安警察だぞ。裁判官では……うーん、似合いそうではあるが、如何せんたまに沸点超えるとえげつないほど苛烈なんだよなあ。

「はは、よく見てるなあ。あとは?」
「あとは……あ、このあいだ男の人と一緒に居たよ。すっごいイケメンで、明るい髪の癖毛で、背が高くてすらっとした男の人」
「あー……小鳥遊か」
「知り合いなんだ? あの人、尾峰さんの彼氏? まさかそれとも……旦那さんとか?」
「コナン君、それマジで禁句だから絶対に、ぜっっったいに尾峰の前で言うなよ?」
「えっ。ねぇ、どうして?」
「そりゃあ……コナン君だって、女の子と一緒に居ただけで変に勘ぐられたら嫌な気持ちにならないか? 尾峰、アイツとそういう関係だと言われるのすごく嫌がるんだよ」

 前にコナン君の前で澪が隼雀の事をボロクソに言ってたのを思い出し、敢えて幼馴染みだとは言わずに、適当に濁しておく。

「そっか……じゃあ、尾峰さんって今恋人居ないの? あんなに美人なのに?」
「さあ、どうだろうな」
「ふぅん? あ、真朝さんは……居なさそうだよね」
「そっちは断言なんだな?」
「だって真朝さん、ちょっと浮世離れしてるって言うか……掴みどころがなさすぎじゃない? 気紛れな感じがする。野良猫みたい」

 それは……うん。確かに今現在進行形で猫なんだよ。とは言えず、はは、と笑って返す。コナン君、洞察力鋭すぎな? と思っていると、ドアベルが鳴った。

「……噂をすれば、か」
「おー、今日はミドリカワくんじゃん。やってるー?」
「居酒屋じゃないっての。いらっしゃい、好きなとこ座れよ。今ちょうど小鳥遊の話をしてたんだ」

 へぇ。と呟くと、隼雀はコナン君から一席開けてカウンターへ座った。

「お兄さんこんにちは! ボク、江戸川コナン! ねぇねぇ、お兄さんって尾峰さんの知り合いなんだよね?」
「おー、お前が噂のコナン少年か」
「噂? 尾峰さんが言ってたの?」
「あぁ、何か『最近自称探偵の子供に何で何でと素性を問われるんだが、私はそんなに挙動が不審か?それとも見目が悪いのか?』って悩んでたぞ? あ、コーヒー一丁」
「えっ……あ、はは……そんなつもりじゃ……」
「まいどありーって、小鳥遊、ラーメン屋でもないからなあ?」
「はいはい。わかってるって。それよりさぁ、ミドリカワくん。面白い話と面白くない話があるんだけど、聞かない?」
「ええ……お前の話はどっちでもこわすぎるからなあ……」
「ねぇお兄さん! ボク聞きたいなぁ!」
「おっ、少年。チャレンジャーだな」
「待て小鳥遊、それは子供が聞いてもいい話なんだよな?」
「失礼だな、俺だって分別くらいつくぞ?」

 それなら……いや、隼雀の言う事を間に受けてはいけない。ジト目で見ると、隼雀はえらく様になる様子でウインクを返してきた。やめてくれ、そんなサービスは求めていない。

「で、少年。どっちから聞きたい?」
「えっと……じゃあ、面白い方からで」
「よしよし。えーとな、俺がこの前デートしてたら」
「待て。ストップ、ステイだ小鳥遊。悪い予感しかしない」
「何でだよ。まだなんも言ってねぇよ」
「ボク続き聞きたいなぁ〜」
「待ってコナン君、小鳥遊の話大体全部アウトだから。聞くのやめよう? いい子だから、な?」
「なんだよー。ミドリカワくんのけちー」
「小鳥遊の話九割強レーティングZだろ!」
「えっ……九割?」
「おいおい、とんだ風評被害だな」

 こら、いい歳して頬を膨らませるな、何でちょっとかわいいんだよ……。目の前にコーヒーを置くと、今度は唇を尖らせた。だから俺たちもうアラサー……もういいや。知らない。

「ちぇ。折角面白い話なのにー」
「はあ……ごめんなあ、コナン君。コイツこういう奴なんだよ……」
「ははは……なんか、小鳥遊のお兄さんって真朝さんに似てるね」
「お? 少年、真朝とも知り合いなのか?」

 コナン君やめるんだ! 隼雀も話に食いつくな! そのタッグは危険だ!

「えっ、小鳥遊のお兄さんも真朝さんと知り合いなの?」
「おー、そうだぜ?」
「じゃあ、最近、尾峰さんと真朝さんと会ったりした? ボク最近どっちにも会えなくて寂しいんだぁ……」
「へぇ。どっちも社畜戦士だからなー。俺も地方出張でしばらくこっち居なかったし」

 ああ、そう言えば澪がそんな事言ってたな。

「小鳥遊、どこ行ってきたんだ?」
「ん? 長野だけど」
「……へぇ……」

 これはまずい。墓穴を掘ったか。
 そんな俺を見た隼雀が、ニヤリ、と悪い笑顔を浮かべた。頼むから何も言わないでくれ……。

「今度土産渡すわ。ここに持ってきていいのか?」
「ああ、うん。安室か梓ちゃんに……あ。なあ小鳥遊、頼むからこの店でナンパはやめてくれよ?」
「なぁ、俺不必要に自分からナンパした事ないんだけど? なんの話してんの?」
「ええ……うそだあ……」
「……ねぇ、尾峰さんの言ってた幼馴染みって、もしかして小鳥遊のお兄さん?」
「アイツの幼馴染みだったら俺だな。あれ、なんだよその目は」
「はは、は……なるほどねー」
「またアイツ人の事ボロクソ言ったな? 後で断固抗議してやる」

 むくれながらコーヒーを啜った隼雀が、あ。と声を上げた。

「そういやミドリカワくん、ジャガイモネコは元気にしてるか?」
「じゃがいも……ねこ? ねぇ小鳥遊のお兄さん、それなんのこと?」

 ジャガイモネコ…もしかしなくても、それが原料の一つであるスピリタスの事だろう。そして、何故かは分からないが、隼雀は今スピリタスが猫の姿で公安に保護されている事を知っている。

 相変わらず食えない奴だなあ。だけども、これでゼロが言っていた線が濃厚になった。月夜が、公安に入り込んでいるかも知れない。

「……ああ、毎日暇そうにしてるよ」
「へぇ。だろうな。でも気を付けろよ?」
「……何を?」
「あんな珍しいネコ、欲しがるヤツはごまんと居るからな」

そう言って、隼雀はチェシャ猫の様に嗤った。


 * * *


 深夜二時を回った頃。

 パタン、パタン、と俺とヒロ、澪の三名だけが残った捜査室のデスクの上で、長い尻尾でデスクの表面を叩いていたスピリタスが、はぁ、とため息をついた。

「どうかした? もしかしてお腹空いた?」
《お腹は空いてないんだけどさぁ……》

 言葉尻を濁したスピリタスは、斜め上を見上げて何かを考えたあと、気まずそうに口を開く。

《……あのさぁ、ボクを解放する気はないんだよね?》
「今のところは」

 間髪入れずに答えると、スピリタスはまたため息をつく。

《……キミたちは、お偉いさん方にボクを拘束しておく場合のリスクは話したんだよね?》
「ああ。話したよ。考え付く限り、全部」
《その中にさぁ、ボクの能力と命を狙ってるヤツらが襲撃してきた場合も入れた?》
「……一応、は……」
《あー……そう、わかった。なるほど、そいつらのコト知らないんだから、そりゃ危機感足りないのはしょうがないよねぇ》
「……スピリタス?」

 うんうん、と一人で納得した様子に、二人と顔を見合わせる。先日ポアロに来た隼雀との会話の内容は、ヒロから報告を受けていたので、今スピリタスが言おうとしているのはその事についてか、と互いに頷き合う。

《……そんな顔するってことは、ロキかユウあたりから何か言われたんだよね?》
「ああ、小鳥遊から」
《ふぅん。ロキにでもけしかけられたかな? まぁいいや。あのさぁ、ボクのこと狙ってるヤツらのコト話したいんだけど、何年も前に、ウイスキートリオのセーフハウスで話した時のこと、覚えてるかなぁ? ボクに電話かかってきたやつ》

 その言葉に、すっかり遠くなってしまった記憶を掘り起こす。それはヒロも同じようで、顎に手を当てて首を捻っている。その場に居なかった雨音は、俺とヒロを交互に見て様子を伺った。

《あ、もし思い出しても絶対口に出さないでね。バレるから》
「……今ので思い出した」
「……俺も」
《まぁ、アレもそうなんだけど、もういっこ厄介なのが居てさぁ。困ったことに、アイツら見境ないから、警察だろうが何だろうが構わず襲撃してくると思うんだよねぇ》
「「「えっ……」」」
《まだボクがここに居るのはバレてないはずなんだけど、もし見付かったら普通に殲滅戦仕掛けてくると思うんだよねぇ》
「殲滅、戦……」
《ボクとしては、関係ない人まで巻き込むの嫌だから、それを踏まえた上で、もう一回お偉いさん方に聞いてみて欲しいんだけど……まぁ、それでもダメって言われるかなぁ。もしくはボクを隔離するかだろうねぇ》

 至極当然、といった様子で言うスピリタスに、俺たちは何も反論できなかった。今聞いたことを踏まえた上で、再び上層に報告した場合、スピリタスの言った通りになるであろう事は容易に想像できたから。

《それでさ、ちょっと提案なんだけど》
「提案?」
《うん。取引しよ?》
「……内容に、よる」
《今回、ボクを拘束した事についてボクが報復しない代わりに、解放する。これだけだとキミたちの責任問題になるだろうから、それは避けたいよねぇ》
「なぁ、スピリタス……もしかしてお前、今すぐにでも逃げられる状態なのか?」
《さぁ? どうだろーね?》
「……お前の逃走を許せば、俺たちが責を負うのが嫌で、我慢してるのか?」
《…………》

 沈黙は肯定。まさか、そんな理由で?

「なぁ、何故そこまで俺たちに肩入れする? 理由がわからない」
《……ただ単に、気に入ってるから。って理由じゃ、ダメ?》
「そう言ってもらえるのは嬉しいが……」
《じゃあ、そういうことにしといて》
「じゃあってお前……いや、わかった。それで? 続きは?」
《うーん……キミたちが怒られない程度の条件ってたぶん、協力者契約しての組織壊滅の手伝いなんだろうけど、ちょっとそれはできないんだぁ》
「その理由は……『黄昏の会』か?」
《そう。会の規定で『能力の行使を前提とした契約を禁ず』ってのがあるから、協力者とかになるのはダメ。ここまではいい?》
「あぁ」
《それで、ボクが黒の組織に居るのって、ボクの個人的な理由なんだよねぇ。だから全部自己責任になる。今こうやって捕まってるのも含めてね》

 言葉を切ったスピリタスの言わんとした事を考える。

「……まるで水平思考ゲームだな」

 雨音が小さく呟きながら、手元のメモ帳にサラサラとペンを走らせた。


・スピリタスには『異能』がある
・『異能』を持つ者を集めた『黄昏の会』
・能力は原則『黄昏の会』の為に使う
・スピリタスにはある程度の自由が認められている
・自由行動の際起こった事象は自己責任
・『能力の行使を前提とした契約を禁ず』
・スピリタスの解放は不可
・スピリタスを狙う『やつら』が存在する
・いずれも過激派
・スピリタスが居る場所を襲撃する可能性がある
・バーボンとスコッチを気に入ってる
・二人が叱責を受けるのはNG
・解放の交換条件としての組織壊滅は不可


 そして雨音は何枚か書き連ねたその中の一枚だけを手に取って席を立つと、スピリタスの側へ寄り、わざわざ目の前で持参したメモ帳の『契約』の文字の下に二重線を引いて見せる。

「……つまりは、この条件がクリアされれば良いんだな?」
《…………》
「沈黙は肯定と見做す」
《……なんでそんな余計なことするかなぁ……》
「だそうだ、ヒロ、ゼロ」

 したり顔で微笑む雨音に、ヒロが悪い笑顔を返す。同じ顔をしているであろう俺と、二人を胡乱な眼差しで見回したあと、スピリタスは参ったとばかりに、がっくりとこうべを垂れた。



 * * *



 明日、スピリタスが解放される。

 その言葉を聞いた捜査員たちの絶望したと言わんばかりの表情たるや、筆舌にし難い。

 雨音曰く、もふもふは正義。
 ヒロ曰く、もふもふは正義。
 風見曰く、もふもふは正義。
 異口同音に、もふもふは正義。

 世にアニマルセラピーと言うものが存在する事からわかるように、公安という砂漠の中のオアシスとなった黒猫を愛でる気持ちはわからないでもないが、如何せん、その一見人畜無害な黒い毛玉の正体は『異能を持った怪物』であり『黒の組織の幹部』なのである。

 それに加えて先日のスピリタスを狙う存在の脅威を考慮した結果が、明日のスピリタスの解放と相成ったわけで。

《…………》

 部屋の隅にこれでもかと積み上げられた貢g……いや、贈り物の数々に、スピリタスが猫からチベットスナギツネに進化を遂げていた。

「……キャットフードに猫缶、猫用おやつ、またたび、猫用おもちゃ、爪研ぎやら何やら……なあ、あれ全部持って帰ると思うか?」
「聞かなくてもわかってるだろ、放っておいてやれ、最後に夢くらい見たいんだろ」

 ちなみに全ての贈り物には『超最高級』の名詞が付く。この部屋に居る全員が、金はあるのに使う時間が無い、を体現した公僕である事を忘れてはいけない。ここぞとばかりに廃課金された贈り物の数々に、文句も言わずただひたすら礼を述べているスピリタスは、実は意外と空気が読めるのでは無いかと思う。

「……タナトスからバステトになったのか」

 ポツリと呟いた澪の言葉を耳聡く拾ったのだろう、尻尾を一度だけ大きく打ち鳴らしたスピリタスがゆっくりと詰め寄る。

《誰がセクメトだって? 失礼しちゃう》

 小さな怪物に半目で睨みつけられた澪は、その体を両手で持ち上げると、デスクの上に優しく置いた。

「……君タナトスはもう少し、自分に自信を持った方がいい」

 視線を合わせ、言葉を紡ぐ。

「例え怪物だろうが、生き方を選ぶことは出来る」

 その言葉の裏を、スピリタスは考える。人として人間の側で生きて死ぬか、怪物として人間の世界に介入し続けるか、選べ。

《……そうだねぇ。そろそろ決めなくちゃねぇ》

 いつものように間延びした返答を返すと、スピリタスは密やかにそっと瞠目した。



 * * *



 夕飯にロキを招いたのは、例の身代わりの件で迷惑を掛けたお詫び。約一ヶ月に渡り『雨音澪』として完璧にこなしてくれたので、その分を一食で済ませる事になった。のだが。

 実はロキは食べようと思えば無限に食べ続けられる、痩せの大食いどころの話ではないレベルなので、とにかく食いっぷりがいい。すごく食べる。めっちゃ食べる。その細い体のどこに入ったの?ってくらい食べる。食べるのを見てるだけで胃もたれしそうなほど食べる。

「米! おかわり!」
「はいはい、少し待て」

 朝からミヤと仕込みをしたはずの食材は、もうとっくの昔にロキの胃の中。今も材料が底をつきそうなのでヘルメスに買い出しを頼んだ状態。お米は一升炊きの炊飯器がもうそろそろ過労死しそうだ。

「いっぱい食べる君が好きっつった奴、全員ちょっとシバいてくるわ……ロキ食い過ぎ……ブラックホールかよ」
「うるせぇ! 文句あんならタナトスに言え!」
「この度は多大なご迷惑をおかけしてしまい、故心から申し訳なく、幾重にもお詫び申し上げます」

 キッチンの中で規範の様に頭を下げると、ミヤに頭を肘で強めに小突かれる。

「ったくもー! 本当に気を付けろって! お前はただでさえ危ない橋渡ってんだから!」
「ごめんて。ロキもごめんな。はい、おかわり」
「これでチャラだって言ってんだろ。次謝ったらスイパラ開催すんぞ」
「よし、あとコイツに謝るの禁止な」
「テメェが言うセリフじゃねぇんだよ!」

 ぎゃーぎゃー言い合う二人を見ながら、本当に申し訳ない事をしたと思う。様々な方面に迷惑をかけてしまった。自分が情けない。

「……チッ、タナトス。反省すんならもっと早くしろっつの。悩むって事は、もう答えなんざとっくの昔に出てんだろ」
「……そう、だな」
「澪、お前はお前の生きたい様にしか生きられないんだからな。それは誰が決める事じゃない」
「あぁ……わかってるよ」

 そう。私は、私にしかなれないんだから。

「……もう、悩むのは終わりにするよ。みんな、私のモラトリアムに付き合ってくれてありがとう」


 表面に精一杯の笑顔を浮かべながら、荒ぶ心の中で、もう、いい加減に腹を括ろう、と強く思った。



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