怪物は人間の夢を見るか?


 ──怪物は、人間の夢を見るか。

 ……答えは、誰にもわからない。



 * * *



 互いに見つめ合う、白と黒の毛玉。


「アンアンッ!」
《へぇ。ハロって名前なの。かわいいねぇ》
「スピリタス、ハロが言ってることがわかるんですか?」
《そりゃね。目がついてるもん》

 ……目、目か。

「ウー……アンッ!」
《おぉ、飼い主に似てやんちゃだなぁ。──『ハロ、おすわり』よし。良い子だねぇ》

 スピリタスが言うと、ハロはすっと座って見せる。その頭をスピリタスが優しく前足で撫でると、ハロは嬉しそうに尻尾を動かした。

《ふぅん。バーボンはギター弾くの? なんでも出来るんだねぇ。へぇ、そう。うん、わかったよぉ》
「……ハロは、何と?」
《あのねぇ、風見さんがいっつもくれるドッグフードが美味しいんだって。でも、バーボンがお鍋でぐつぐつしてくれたごはんが一番みたい。ボクも好きだよ、バーボンのごはん》
「そ、れは……嬉しいことを言いますね。風見は後で問い詰めます」
《風見さんに優しくしたげなよぉ。かわいそうでしょ》
「前から思ってたんですけど、何でアナタそんなに風見の肩を持つんです?」
《風見さん、ボクの首根っこ掴まないもん》
「基準はそこですか……」

 キッチンへ向かいエプロンをしてから、鍋に湯を沸かし材料を刻む。リビングではスピリタスとハロが遊んでいる声。平和だ。

 スピリタスを捕獲してから、五日が経った。

 公安局の『ゼロ』の捜査室の部屋の角。それがスピリタスに与えられた居場所だった。たまたま放置されていた膝掛けブランケットを畳んで敷いただけの簡素で乱雑なその上に、スピリタスはずっと、文句一つ言わずに丸くなり、うとうとと眠っていた。

 時折水を舐め、気紛れに誰かの膝に乗り、また寝床に戻るだけの、本物の猫の様な生活。

 それでも、逃げる素振りすらなく眠り続ける怪物スピリタスに、ヒロを始め他の捜査員達が感化されたのは言うまでもなく。

 いつも通り澪が完璧に作成したスピリタスの居住環境改善の嘆願書が上層を通ったのは、つい二時間前だった。

 その事を告げられたスピリタスは、ふぅん。と興味なさげに呟くと、次々と差し出される書類に、まろやかな肉球を朱肉で汚し判を押すという作業を黙々とこなし終えた。

 茹で終えた食材をザルにあけ、自然に温度が下がるのを待つ間、今度は自分の昼食を作る事にした。

 ストック分や冷蔵庫の中身を頭の中に思い浮かべ、簡単にパスタにしておこうと結論付ける。準備をしていると、いつの間にか邪魔にならない絶妙な距離で足元に居たスピリタスと目が合った。

《パスタはやめた方がいいと思うなぁ? 茹でてる途中で風見さんから電話がくるから》

 予言めいた言い回し。これはいつものスピリタスの『警告』。

「……そうですか。なら、他のものならどうでしょう?」
《んー……どれにしろもう十分もしないうちに連絡来ると思うなぁ》
「なるほど。一緒に食事が出来ると思ったのですが……残念です」

 その言葉に、スピリタスの赤と青の瞳が数回瞬かれた。

《……ねぇバーボン。風見さんに、こう伝えてくれないかな? 『熱帯魚だけの水槽の二重底』って。そしたらハロとごはん食べられるよ》


 * * *


 降谷さんからの連絡通りに家宅捜索中の豪邸に複数設置された水槽の、熱帯魚だけが入れられた水槽の底を調べると、確かに二重底になっており、その中から目的のモノ……会計データの入ったメモリーカードが見つかった。

「……さすがです、降谷さん。我々だけでは見逃してしまうところでした」

 電話の向こうの相手に称賛を送ると、数秒の沈黙の後、苦笑する声が漏れた。

『スピリタスの指示だ。俺は何もしていない』
「スピリタス、の……ですか。様子はどうです」
『あぁ……逃げる素振りすらないな。今は昼食を摂ってハロと昼寝中だ』
「はあ、ハロくんと昼寝……」

 実に平和な光景が脳裏に浮かぶ。
 いや待て、ハロくんが居るということは、降谷さんは自宅に連れて行ったのか? 大丈夫なのだろうか。

『何か進展があったら連絡してくれ』
「はい、了解です」

 通話を終え押収物と共に車に乗り込む。

 黒猫の怪物スピリタス。
 以前から組織に潜入中の降谷さんと諸伏の報告を見る限りでは、捕獲は不可能との判断が出ていたのだが、諸伏が首輪(なぜ持っていたのかは不明)を着けた途端、大騒ぎしてその後大人しくなった。

 降谷さんと諸伏の見解では、首という急所を捕られたので、恐らく異能が使えない、もしくは異能を使うにあたり何か『縛り』が出来たのではないか、との事だった。

 それから、スピリタスは異能を使う際に指を弾くのが常であるらしく、猫の姿ではそれが出来ないとも。

 憶測の域を出ないが、今のところ誰かを操ったりといった様子はない。目に見える範囲では。多分。

 ……いや、もしかしたらもう既に?

 スピリタスが泣いて以降、その場にいた者たちを始め、その話を伝え聞いた者もスピリタスを甘やかしだした。中でも雨音は珍しく狼狽ながら処遇改善の嘆願書を仕上げ、ダッシュで上層に提出しに行ったのは記憶に新しい。

 これはスピリタスの能力では? と降谷さんと諸伏に問いかけると、二人は苦笑いしながら、いやあれはただの天然たらしだ、と断言した。

 幼い子供の様に、のんびりとした口調で喋る、赤と青の瞳をした、不思議な黒猫怪物。

 降谷さんと諸伏は、この機会に協力者契約を結ぼうとしている。それが叶えば、組織壊滅は確実なものとなるだろう。

 それほどまでにスピリタスの異能は強大なものだった。


 * * *


 警察庁公安局の『ゼロ』の捜査室。

 パソコン作業をする澪の膝で丸まっていたスピリタスが、急にむくりと起き上がるとじっとドアの方向を見つめた。

「……どうした?」
《んー……ちょっとねぇ……》

 言葉を濁しながらも視線はそのままドアを見つめている。

 その時ドアがノックされ、近くに居た捜査員が対応する。ドアの向こうにいたのは確か最近公安に配属された他部署の女性。資料を持ってきたらしい彼女は、二言三言会話をすると礼をして去って行った。

 その様子を見ていたスピリタスが、ありゃぁ。と声を上げた。

《やっぱり、今のキュラソーだねぇ。久しぶりに見た》

 捜査室がしん、と静まり返る。

「……スピリタス」
《んー? なに?》
「今資料を持って来た女性が、何だって?」
《キュラソーだよぉ。バーボン知ってる? ラムのお気に入りなんだよぉ》
「……そのキュラソーが、何故ここに?」
《……機密データが、って……うーん。諜報課かなぁ》
「は、っ?」
《あー……うーんとね? キュラソーってカメラ・アイ『できる』んだけど》
「できる……?」
《うん。だからラムのお気に入りなんだけどさぁ。たぶん、NOCリストでも見に来たんじゃないかなぁ》
「なん、だと……?」
《ところでさぁ、聞きたいんだけど、まさか馬鹿正直に自分たちの情報まで入れてないよね?》
「……それは……」
《うへぇ、入ってるんだぁ……バカなの? 今のうちに消すとか偽の情報にすり替えといたら? 死にたいなら別にいいんだけどさぁ》

 スピリタスは心底呆れた様に言うと、また丸くなり眠り始めた。



 *



 いつものロキとの女子トイレ会議。
 公安局は女性が少ないので、トイレはいつも空いている。

「……それで、逃げ出す算段はついたのか?」
《それがなぁ……外出時はペットケージに入れられるから、逃げられないんだよぉ。でもボクになってるキミの外泊の番に逃げるのもなぁ。逃げ出した自分の始末書を自分で書くとか絶対やだ》
「ハァ……だったらもう腹括って協力者契約締結しろ。めんどくせぇ」
《やっぱそうなるよなぁ。うーん》
「……それか、『ディオゲネス』として話を通すか」
《えー……絶対オーディン怒るでしょ……》
「さぁな。タナトスの言い方次第だろ。あのクソじじいお前にゲロ甘だからな」
《ロキは下らない悪戯し過ぎだから怒られるんだよ?》
「おいおい、オレはロキ(悪戯の神) だぞ?」
《はいはい。そーでしたねぇ。あ、ボクの仕事きてないよね?》
「まぁ多少は。オレとニケと女狐で捌いたけど」
《うわ、ごめんねぇ。二人にも謝っといて》
「絶対やだね。自分で言えよ」
《デスヨネー。ちなみにスピリタスの方はジンとかに何て?》
「スピリタスは今タヒチでリゾート満喫中」
《……うん。はい。わかった》

 いいなぁタヒチ。今度行こう。


 * * *


 ねぇちょっと聞いてくれる?

 首輪がバージョンアップされた。

 もっかい言うね?

 首輪がバージョンアップされました。

 阿笠博士の特製なんだって。察して?



「スピリタス、そろそろ機嫌直せって」
《ユルサナイ……ゼッタイ、ユルサナイ……》

 首回りちょうどにジャストフィットした金属製の輪っかは、とても軽いが頑丈で、一度嵌ると特別な工具で切断しない限り取れない。しかも発信器と通信機が内蔵されており、音声入力で電話も掛けられる優れもの。ふざけろ。

《にゃん権侵害だよぉ……! おまわりさんはこいつらです……》
「上層からの指示だ。諦めろ」
《鬼か? くそぅ。覚えてろよ。……原子レベルまで分解してやる》
「うん、これ絶対外さない方がいいな」
《ボクおりこうさんにしてたのにぃ! こんなことってないよ! 遺憾の意! 遺憾の意だよぉ!》
「首輪外したら秒で逃げるだろ」
《ふーん? ……外してくれたら協力者になるって言ったら?》
「信憑性が無い上にリスクが高い」
《ハァ……ボクって、そんなに信用ないんだぁ……?》
「う、そんな目で見るな。仕方ないだろう」

 何が仕方ないのか。うん。ボクの能力がアレでしょ、お偉いさん方はこわいんでしょ。知ってる。

《ねこの姿だと不便なんだよなぁ……》
「ちゃんとお互い信頼関係が築けたら外せると思うから。な? 少し我慢してくれないか?」
《はぁ、不毛だなぁ……それで、ねこになんの労働を強いるの》
「うーん、取り敢えず知ってる事全部話してくれると嬉しいんだけどなあ」
《全部? ボクの知ってる全部聞くの? 正気なの?》
「あ、そうか……なら、質問に正直に答えてくれるか?」
《ボク割といつも正直だけどなぁ》
「たまにはぐらかしたりするだろ」
《ベルモットも言ってたじゃん? ウーマンウーマン。まぁ今のボクのアクセサリーはこの忌々しい首輪なんだけど》

 ぐでっと部屋の隅に設置された猫用ベッドに横たわり、しっぽをバシバシして不満を訴える。くそぅ、バーボンチョイスのこのベッド寝心地がめっちゃいい。

「そう言えば、ベルモットがスピリタスはタヒチで休暇中と言ってたがどう言う事だ?」
《あー……ボクの携帯端末、一定時間操作がないと自動でメッセージ送信するようになってるんだよねぇ》
「なるほど、それでか。ジンが死ぬ程怒ってたぞ」
《うぇ、ボク知らなーい》

 どうせまたバカスカ撃ってくるんでしょ。ふんだ。もっかいグーで殴ってやる。

「なぁスピリタス、なんでお前はあの組織に居るんだ?」
《……さぁ? ジンに拾われたから?》
「ほら! そういうところだ!」
《バーボンおちつこーね? さすがにボクにだって言いたくない事あるよ?》
「じゃあ、言いたくない事は答えなくていい。でも質問はさせてくれ」
《まぁ、別にいいけどぉ》
「そうだな……まずは、その能力。生まれつきなのか?」
《……生まれつきあったのは、『目』だけだよ。その他は後から仕込まれたり押し付けられたりしたの》
「いつ? どこで? 誰に? どうやって?」
《質問多過ぎない? んーとね、ボク、五歳くらいの時に神隠しにあったんだけど》
「かみかくし」
《うん。九尾の狐って知ってるよね? それに隠されたの。そんで、ボクに色々教えたら何でも出来ちゃったもんだから、面白がってあれもこれもって。まぁ、気付いたら化け物一丁あがり、ってわけ》
「……そんな、事が……いや、しかし……その後は?」
《体感で二十年くらい神域に居たかなぁ。そのあとちょっと取引して、やっと解放されたんだけど、戻ったら三日くらいしか経ってないし身体は五歳のままだったからいいんだけどさ、びっくりだよね》
「……そうか。それで、そのまま成長した感じか」
《そだね。普通の人間のフリするの大変だったよ? 他人の考えてる事がわかっちゃうから、なまじ友達も居なかったし》
「月夜は? どこで知り合ったんだ?」
《あー……月夜はねぇ、うーん。ねぇバーボン、『エウレカ、エウレカ』?》
「……またそれか……憶測だが、軍部と関係があるんじゃないかと考えている」
《ふーん、まぁ、どこ叩いても出て来ない様になってるからなぁ。そこまでわかってるなら教えてもいいかな? 怒られるだろうけど》


 まぁしょーがない。不可抗力、不可抗力。


 * * *


 雨音が以前拵えた、電波暗室の部屋。
 中央に置かれたデスクの上にクッションを敷いて、そこに乗ったスピリタスを俺とゼロ、風見先輩で囲んで座る。ちなみに雨音はまた潜入調査で不在だ。

《……さて、どっからどこまで話すかなぁ……》

 ゆらゆらと長い尻尾を揺らしながら、スピリタスが呟いた。

「……全部は教えられないと?」
《まぁねぇ。キミたちだって『ゼロ』について話せって言われて全部話す? そういうことぉ》
「わかった。話せる範囲で教えてくれ」
《はぁい。えっとねぇ、通称『黄昏の会』ってのがあるんだけど》
「黄昏の、会……」
《うん。まぁ、言ってしまえばボクみたいな『現時点で科学的根拠の無い能力』を持ったモノを集めたのがその『黄昏の会』ってわけ》
「異能を持った人間で構成された団体、というわけか……なるほどな。それで、具体的にどんな事をするんだ?」
《うーん、まぁ、色々。定義的には『世界に深刻な脅威となり得る特異事象の調査及び隠匿、又は排除』って事になってるけど。蛇の道は蛇、餅は餅屋、馬は馬方ってな感じ》
「スピリタスと月夜もその『黄昏の会』の一員なんだな」
《うーん、まぁ……ボクはちょっと特殊なんだけど。一応は頭数に入れられてるよぉ》
「特殊、か……どんな風に特殊なんだ?」
《ボクの能力って、異能の中でも群を抜いて異質なんだよねぇ。だから、やることやったら割と好き勝手させてもらえるんだぁ》
「なるほどなあ」
《まぁ、その分めんどくさい事案に割り振られるんだけどさぁ……》

 心底うんざりした様に言うと、スピリタスは少し耳を後ろに倒し目を伏せた。

「……例えば?」
《んー……例えば……そうだなぁ。この前やったのは、ヴェスパニア鉱石かなぁ》
「……え」
「ヴェスパニアって、あの王国の? 王族暗殺事件のあった?」
《うん。その王国だよぉ》
「鉱石……まさか、電磁波を吸収する、ステルス技術に転用の噂があった……待て。確かあれはその効能が立証されなかったはず」
《うん。ボクがその性質消したの》
「……は? 性質を……消した??」
《うん。消した。それとも第三次世界大戦が起こるの見たかった?》
「なッ……!? そうか……『世界に深刻な脅威となり得る特異事象の調査及び隠匿、又は排除』って……そう言う事か……」
《そういう事案が回ってくるんだよねぇ》
「すごいな……性質を消すって……どんな感じなんだ?」
《どんな感じって言われてもなぁ。うーん……感覚的には図書館。そこにある本の中から図鑑を探して、その物質の説明があるページを破るとか文章を塗り潰す感じかなぁ。伝わる?》
「つまり、スピリタスは物質の性質……根本的な事象に干渉出来る、という事か?」
《そうだねぇ。ロキには『確率操作』って言われたけど》
「……ロキ?」
《あぁ、ごめん。月夜の『黄昏の会』での名前。ボクが『タナトス』、月夜は『ロキ』。能力の傾向で神様の名前付けられんの》
「ロキとタナトス、か……」
《言い得て妙でしょ? ボクのなんか特にぴったりだと思わない?》
「……それ、は……」

 タナトス。魂を冥府に送る死の番人。その役割から人と神に忌み嫌われた者。それは、今を生きるスピリタスにはあまりにも……悲しい名前ではないのか。

《みんなしてなんて顔してるのさ? 言ったでしょ、ボクは『怪物』だって。事実だからしょうがないよぉ》

 わざと明るく言い放つスピリタスに、俺たちはなんとも言い難い表情で顔を見合わせた。


 *


 相も変わらず女子トイレ会議場からの中継です。

 ロキの能力って便利だよ、電子機器を思い通りに制御できる。まぁボクも出来るけど、今は出来ない。ねこだからね。しゃーないね。

 そんなわけでロキに首輪の音声通信を制御してもらって、いつも通り現状報告と作戦会議。

「で、『黄昏の会』の話をしたと」
《……『ディオゲネス』の方じゃないからセーフでしょ》
「まーな。限りなくアウト寄りのセーフだけどな。そろそろお前の事解放してくんねぇかな。潜入調査も書類仕事も飽きた」
《それについては本当に申し訳なく思ってるんだけど、もーちょい我慢して? 元に戻ったらいくらでも好きな物作ってあげるから》
「絶対だからな? まぁそりゃいいとして、オーディンから伝言。『ひと月は待つけど、それ以上は待てないから迎えに行く』だとよ」
《えっ、こわっ。何で迎えにくんの? 10式?》
「警察庁に戦車で乗り付けるとか斬新過ぎるだろ。あのクソジジイだったらやりかねねぇけどな」
《だよねぇ。まずいなぁ……はぁ。あと三週間かぁ》
「ジジイの気紛れで明日になるかもな」
《……フラグ立てんのやめな? あり得るからこわいんだけど》
「まぁ、なるようにしかならねぇだろ。お前もとっとと腹括れよ」
《……あぁ、わかっているさ》


prev next

bkm
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -