死んじゃえばいい、なんて。
背後でちかちかネオンが光るなか、前方では暗い夜の路地へとぽつぽつと灯った電灯が点滅を繰り返している。
嗚呼、臭い。汚い、男の臭いが今も右手に残っているような気がして、鞄から取り出した108円で買ったアルコールティッシュのシール蓋を開いてごしごしと痛いくらいに皮膚に擦り付ける。
まだ。まだ臭う。ごしごし。ごしごし。気付けば袋の中は空っぽになっていた。
青白さを伴った肌色は摩擦で赤い。

死んじゃえ、なんて呟いて電柱を蹴り飛ばしたその時背後から男の声がした。

「カイリ」

振り返れば、知った顔の男が立っている。
嗚呼、今日はやっぱり最悪の日だ。
何百分くらいの確率で頭に鳥の糞が落ちてきたくらい最悪だ。こんなところでこんな奴と会うだなんて。

「なあに露伴。奇遇ねこんなところで」

何事もないように歯を見せてそう言えば、露伴と呼ばれた男は苦虫を潰したような顔をした。
ああ、そんな気色の悪い面を此方に向けないで欲しい。
内心虫酸が走りながらも表には一寸たりとも出さずにこにこと笑って、棒みたいに突っ立ったままの露伴の元へと足を進める。

「...まだ続けてるのか」

「なんのことかしら?」

小鳥みたいに素知らぬ風を装って小首を傾げれば、彼は眉根を一層寄せた。
眉間に深い皺があっても美形は美形なのだから腹立たしい。
彼の無駄に整った顔が余計に私の機嫌を悪くする。

「...分かっているだろう、君の副業のことだ」

「ああ、セールスの仕事のこと?」

セぇ、と呆けたように呟いた露伴にまるで犬を追い払うかのような仕草でひらひらと手を振り、私は続けた。

「セールスよセールス。物を売る仕事なのだからそう言っても間違いじゃあないはずよ」

そうただのセールス。
それをなぜ一晩相手をしたことがあるというだけで赤の他人であるこの男にこうぐだぐだと言われなければいけないのか。

「私の好きでやっていることなんだからいいでしょう、べつに」

口出ししないでとばかりに彼を見つめれば、露伴は私の目から下へと視線を移した。
手に握りしめた多量のアルコールティッシュ。
はっとして、後ろ手に隠すももう遅い。
露伴が私の腕を握った。

「触らないで」

「僕のところへ来い」

「触らないで」

彼の腕を振り落として、睨みつける。
男なんて皆一緒。汚ならしくて、品性を疑う。いや元々そんなもの奴等には存在しないのだ。
彼だって例外には漏れやしない。汚物だ。そして私も。同じ汚物。

視界の隅で街灯の灯りが眩しく光っている。ちかちか、ちかちか。蛾が点いたり消えたりの電球の回りをぐるぐると回っている。薄汚れた色の羽の間にあるまあるくて太い身体。はたはたと揺れるそれが露伴の隣をすり抜けた。

「これ、あげるわ」

彼にその使用済みのシートを押し付けて、私は反対方向に駆け出した。
カツカツと踵が足を進める度、夜も憚らずに音を立てる。
今はそれすらも鬱陶しかった。

後ろの彼が私を追いかけてくる気配は無かった。
彼は変なところで奥手で変なところで積極的だ。
生理的に嫌悪出来るくらいに不思議な生き物。

彼は一体、あの濡れたティッシュの束をどうするのだろう。
捨てるのか、それとも。

もう彼の視界からは消えた頃だろう。

自嘲的に笑って、右手の匂いを嗅ぐ。
やはりその手は臭くて。
私は堪らずその場に嘔吐した。





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