山妖譚〜S'ai〜 六花の章 2



翌朝、アンジールが目を覚ました時、まだザックスは膝の上で眠っていた。
温かかったが、一晩中膝に乗せていたので足が痺れている。
耳を澄ませてみるが、風の音も雪の音もしない。
洞穴の中にも流れ込んでいるキンと冷えた冬の朝の空気は清冽で、呼吸するだけで身も心も引き締まる。
ただ、針葉樹の匂いはしない。他の木々と同じく倒され枝も葉も失ってしまったのだろう。
雪はどの程度積もったのだろうか。様子によっては、他の山から薪や食料を分けてもらわなければならない。ひと息にそこまで思い巡らせてから, 翼を背にしまい、アンジールはザックスのふかふかな脇腹を軽く叩いた。

「ザックス。朝だ。そろそろ起きろ」
むくりとザックスは顔を上げ、くあっと欠伸をした。そして目を擦ろうと腕を上げて、毛むくじゃらなことに気づいた。
「うわ!」
自分でも驚いたらしく、慌てて人の姿を取る。だが寝起きのせいなのか霊力が弱まっているせいなのか、耳と尻尾がしまい切れていない。
「おはよう」
「おはよ、アンジール……俺、犬になってた?」
「ああ。まだ耳と尻尾が残ってる」
「おわ!」
耳と尻尾がぴょんと消える。アンジールは苦笑した。
「力が弱まってるんだろう。犬のほうが楽なら犬でいていいぞ」
「やだよ、せっかく人型慣れてきたとこなのに」
口を尖らせるザックスにアンジールはそれ以上何も言わず立ち上がった。
洞穴の入り口に向かうアンジールの後をザックスが追う。

外はまばゆい光が満ちていた。
ザックスが目を細めて一歩前に出て、雪に足を突っ込んで慌てて戻った。
あたりは一面銀世界になっている。
木立が無いために、晴れ上がった空の強い光が全て雪に降り注いで、あたり一面が白く輝いているように見えた。
「……すげえ……これ全部雪だ……」
そう呟くや否や、ザックスは外へ飛び出して行った。
雪の中を走って、足を取られて転がり、雪まみれになって立ち上がってまた走り、転ぶ。
アンジールはその様子をしばし呆然と眺めていたが、途中からザックスがまた犬の姿に変わってしまったのを見て吹き出した。
雪と戯れて寒さを忘れているのはともかく、我を忘れてしまっている。
夢中になって遊んでいるうちにと、アンジールはそっと翼を広げて空に舞い上がった。

山には、それぞれに守りとなるモノがいる。
ザックスのように犬の姿を持つ狗賓であったり、アンジールのように鳥の翼を持つ烏天狗であったりするが、彼らは全てその山に住む木々や生き物を守り育む役目を持つ。
烏天狗は守護するモノの中では上位にあたり、ましてアンジールのように山神が鎮座する山を守る者は最上級に近い。
そういった立場のアンジールが小さな山の守りに薪や食料を分けてくれと頼みに来るなど通常ではあり得ないことだ。
隣の山の守りは酷く恐縮しながらありったけの蓄えを差し出した。
それをアンジールは固辞し、両手に抱えられるだけの薪と食料だけを受け取った。

上空から見ると、ザックスの山だけが真っ白く雪に覆われていて、近隣の山には全く雪が見えない。
今はからりと晴れているが、またいつ荒れてくるかわからない。
もう少し備蓄したほうがいいかと考えながら下降して行くと、人の姿でうろうろと雪の上を歩いているザックスが見えた。
「あ!」
戻ってきたアンジールの羽音に気づいて、ザックスが空を見上げる。
「どうした?何かあったか?」
慌ててアンジールが降りると、ザックスは駆け寄ってきて抱きついた。
その勢いでアンジールの腕から薪が落ちて雪の上に散らばる。

「ザックス?」
食料は抱えたまま、アンジールが空いた片腕でザックスの背を抱えると、小さく震えているのがわかった。
「……良かった……帰っちゃったかと思った……」
「ああ、すまん。お前が楽しそうに遊んでいたから声をかけずに行ってしまったが……薪と食料を分けてもらった」
「うん。アンジール、俺さあ…ここは俺の山だけど、なんか怖いんだ。あの化け物の封印があるからかな?…あんたが帰っちゃったと思ったら、すごく怖くなった」
体の震えは寒さではなく恐怖だったのかと、アンジールは自分の浅慮を悔いた。
「そうか。すまなかった。この山には今お前の力にになるものが何もない状態だから、【ガイ】の影響を受けやすくなっているんだろうな。俺はしばらくここで山の回復と、封印の強化をする。だから心配しないで、お前は自分の力の回復に専念しろ。いいな?」
「しばらくってどれくらい?」
「お前が大丈夫だと言うまでだな」
その言葉に、ザックスは安堵した様子で微笑んだ。
そして気が緩んだのか、ザックスの腹が盛大に鳴る。
その音に、今度はアンジールが笑い出した。
「よし、まずは飯にしよう」
「さんせーい!」

ザックスの笑みと明るい声が雪の上に零れる。
散らばった薪をザックスと拾いながら、キラキラと目には見えない種が撒かれていくのをアンジールは感じていた。
山の季節が巡る頃に、あの種は木々の根を蘇らせるだろう。栗鼠が埋めて忘れてしまった種を目覚めさせ、秋に眠ったままの虫を目覚めさせ、森を作る最初の働きをするのだ。
……意外とこの山は早く再生するかもしれない。
そう思いながら、アンジールは空を見上げた。
「なに?」
「うん?少し和らいだかと思ってな」
「なにが?」
「この山を包む気がだ。さあ、火を熾して飯にするぞ」
「りょーかい!」
ザックスは抱えた薪を洞穴の入り口に積むと、アンジールを振り返る。アンジールはソワソワと落ち着かないザックスを微笑ましく見ながら、足跡でいっぱいになった新雪の上を歩んだ。





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