「好きな色?赤ですかね、暖色系が好きでさァ。」 目の前の男がけろりと答えるものだから、思わず右手に力が入ってしまって、鉛筆の芯が折れた。 俺と沖田は鉛筆と裏紙を持って椅子に座り、向かい合っている。これをクロッキーと呼ぶのかスケッチと呼ぶのか俺にはよく分からないが、とにかくお互いの顔を描き合っているのだ。場所はお馴染み、大学の隅っこ、沖田の砦である。 「え、青じゃねえの?」 思わず俺が尋ねてしまったのも無理はないだろう。この部屋を埋め尽くしているキャンバスを見れば分かる。沖田は絵に青色を使うのが(素人の俺でも感心してしまうほど)非常に上手い。 「青……ううん、別に嫌いってことはないですけど。」 「なんだそれ。でもあんまり赤が前にくる絵とか描いてねえだろ」 「あー、そういやァ、確かに!」 自分でも気付いていなかったらしく、ぐるりと部屋を見回した沖田は「すっげーいい青ばっかりですね」だとか他人事のように言う。 沖田の絵は、抽象絵画の部類だろうか(やはり俺にはよく分からない)、とにかく写実的なものとはかけ離れている。空想の世界を描いているようでもなく、強いて表現するなら「沖田の頭の中」で「実際に存在している」、そんな絵だ。そしてそれは、空想のものではないのだ。 「特に好きでもなくて、こんなに同じ色ばかりを使うんだな。」 手元の紙に視線を戻して、言う。 今俺が挑んでいるのは、沖田の鼻だ。これを描いていてはじめて知ったのだが、こいつはどうやら美青年というやつらしい。 「好き嫌いってより、そうですねィ、見えてる通りに絵の具置いてったら、ああなったんでさァ。」 「見えてる通りに?……じゃあ、あれ、壁に寄り掛けてるでかい絵は?」 「海です。ほら、入学してすぐにクラスでどっか行きやせんでした?俺らのクラスは海だったんで。」 「は!?お前、やっぱ学生だったのかよ……!」 クラスでどっか行きませんでした?って……!そういうの参加するタイプだったのかよ……!!! 「いや、あんた俺のことなんだと思ってんです?学生でもないのにこんだけ入り浸ったりしやせん。」 「ん、まあ、そうだけどよ……学部どこだ。」 「本気で言ってんですか!あんたと一緒ですぜ!いっこ下でさァ!」 「嘘だろ……」 描く気をなくして鉛筆を手離す。お世辞にも上手とは言えない絵が完成した。仕方がない。絵を描いたのなんて、中学の美術の授業以来のことかもしれないのだ。 沖田が俺の手から紙をひったくって、じっと見る。 「あんた、絵、下手くそですねィ。」 「んなこと俺が一番分かってるっつーの!」 沖田はなにが面白いのか、声をたてて笑った。こいつが笑っているのは嫌いではないけれど、こいつの笑うタイミングは妙に腹が立つ。 「まあ、俺よりはマシだと思いやすぜ。」 「そんなわけねぇだろ……お前、見るたび絵描いてるじゃねえか。」 「そんなわけあるんですよね。」 ほら、と沖田は自らの描いていた絵(つまり俺の肖像画だ)を見せてきた。 ごく普通の鉛筆を使っているのだから、もちろん彩度はない。白と黒と灰色、だけのはずだ。それなのに、 「おお……」 「ね、下っ手くそでしょ。」 鮮やかな青が、目に染みた。白と黒なんて、この強烈な青を引き立てるための脇役にしか見えなかった。おかしい。これは、何度も言うようだが、鉛筆で描かれている。 人の顔だと言われれば、そう見えなくもない。いや、そんなことはどうでもいいのだ。どうして、と考える。どうして沖田は、自分の絵を下手くそだなんて言うのだろう。 「お前には、こう見えてるのか。」 もう一度、部屋を埋め尽くしている絵を見回した。青、青、青。どれも微妙に違う色で、そしてどれも、ひとつに選べない個性があった。 「俺は、こうにしか見えないんです。」 「この青、好きだ。」 実はこいつを誉めるのはどこか悔しかったりするのだが、つい口から溢れた。それを聞いた沖田は、また、楽しそうに笑う。 「俺には、あんたがこう見えてるんですよ。」 あんまり楽しそうにするから、自分がとんでもないことを言ったような気分になった。 明日を描く
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