寮に着いた頃には外はもう暗い色を落としていて、どうしてもご飯を食べる気になれず友達に私を置いて食堂に行くよう促した。ベッドにこもりながらとめどない時間の流れに身を任した。頭の中で感覚があやふやになり次第に眠りへと落ちるころ、また聞こえた。昨晩と同じ足音が遠くから私の部屋へと近付いてきている。私は急いでベッドから飛び出し、はだけた寝間着も散らかった髪も気にせず扉の前に張り付いた。ゆっくりとした歩調がやがて部屋の前で止まり、私はたまらず扉の向こうにいるはずの先生を思いながら思い切り扉を開けた。

しかし、そこにいたのは先生ではなく昼間、校舎裏でキスをした生徒だった。

「びっくりした、そっちから開けてくれるとは思わなかったよ」

「こんな時間に何してるの」

「昨日の返事が聞きたくて、待てなかったんだ」

「昨日の返事ってなに?」

「手紙だよ。今日のキスで答えは分かってるけど、言葉で聞きたくて」

「手紙…」

部屋の扉に差し出された手紙。彼が言っているのはそのことしかありえるはずもなく、私は呆然とした。先生の言うとおりだった。私が願ってたやまなかった、あの手紙は先生からのものなんかじゃなかったのだ。けれど、おかしい。それじゃあなぜ先生はあの手紙を持っていた。

「あの、手紙受け取ってない」

「え、どういうことだよ。だって、手紙を読んだから君は今日僕に」

「その、あれは、ごめん」

「…ごめんって何?」

「あのキスはそういうつもりじゃなかったの」

ばつが悪く私は言った。すると、返ってきたのは返事ではなく強い衝撃で、自分が殴られたのだと自覚した頃には床に倒れて相手は馬乗りになっていた。

「やっぱり君はひどい女だ。ずっと人の気持ちを踏みにじって、あげくにはこうだ」

「ど、いて」

「あの時、ちゃんと消えてろよ」

「消えるって、どういうこと」

「手紙にも書いたさ。階段から落としたんだ、僕が」

喉がひゅうっと音を立てて鳴る。授業も終わり夏休みが始まったあの日、浮き足立った生徒たちのなか私も例外ではなく、帰る前に一目先生に会いに行こうと思った矢先、私は誰かにぶつかって階段を落ちた。今思い起こしても、あのときに感じた背中の感触は押されたようには思えなくて、日常の中で感じ得るとても自然なもので。彼は躊躇いも何もなく私の背を押したのだろうか。あの日の思い出が全て悲しく冷たいものに染まっていく。先生はあの事故から私に素っ気なくなった。

「私、何も悪いことしてないのに」

「したよ。僕のことに気付きもしなかっただろ。死ねばいいと思ったよ」

「それって、死ななきゃいけないほど悪いこと?」

片手で首をゆっくり絞められながら、見えない自分の足を思い浮かべて天国に辿り着けますよう私は祈った。親だったり、友達だったり心苦しいけど、何よりも胸が痛んでしょうがないのは先生に会えないことだ。子どものようなわがままだけど、今日が人生最後の日だと分かっていたなら、どうしても先生の恋人に私はなりたかった。

ああ、辛い最期だなあ。そんな私の最期のことをみんなはちゃんと悲しんでくれるかなあ、と思いながら霞む視線を彼の後ろにやると、影が見え、よく見ると誰かがいた。彼の仲間だろうか。無意識の内に手を伸ばすと、それは彼の仲間ではなくて、私が会いたくてしょうがなかった先生だった。

先生は空きっぱなしだった扉を閉めると、首を絞めていた彼は後ろに気がつく前に蹴り飛ばされた。何を言うでもなく、先生によってただ黙々と続けられた暴力は泣き喚く隙も与えず、終わった頃にはたまの痙攣だけでピクリとも動かない彼がいた。そんなことの後でも落ち着き払った先生が、部屋の隅で固まる私に詰め寄ってくる。肩を掴まれて、一瞬驚いてしまった私に舌打ちをしたあときつく体を抱きしめた。頭のなかで、まるでドラムの鳴る音がする。

「私、体が熱くなってきた。眩暈がする」

「あぁ」

「好き、先生もそうでしょ。そう言ったもの」

「さあな…」

「先生に会う度に私、悪い子になっていく気がして」

形を確かめるように夢中で先生の顔に手を添える。借り上げられた項に、右に流れる前髪と小さな輪郭。こうして目の当たりにするのは廊下に転がる彼も私も本質的には変わらない欲を抱いているということ。絶望はしない。私は、もうみんなみたいに普通の子じゃないのだ。先生だってそんなこと分かってるはず、今の状態がおかしいってこと。救われない、焼き付いて離れないほどに夢中になってしまっている、きっと。

乱暴なキスが口端を噛んで、合わせた唇はかさついていた。私の腰を掴む手が痛い。少しでも離れれば、もっとと私はせがみ、お互い知らぬ間に床に倒れ込むようにしてキスをしていた。泣いて全てが流れるならと私は、先生より素敵な人なんていないと何度も呟いた。

「もしこれが最後だとして、死ぬ前に先生は言い残したことはある?」

「そんなことは、いつだって考えてる」

生まれたんならいつかはくたばるんだ、人間だからなと言って先生は私が再び問いた秘密の恋人という夢に頷いた。ドラムロールが鳴り響き、ビロードの幕は閉じられる。


学徒」様提出。


まえ