『…職務を放棄した役員が、一体、どの面を下げて戻ってきた』

 デスクの前に一列に立ち並んだのは、副会長の檜枝(ひのえ)を筆頭に、会計の貴虎(きとら)、書記の鹿戸(かのと)。他の誰でもない、現生徒会役員等だ。本来ならば、俺と共に生徒会活動を執行しているはずの、その者達だ。

『さすが、人気ランキング、なんて馬鹿げた制度で選ばれただけのことはあるな! 己の職務に対しての責任感もなければ愛着もない! お前達のような人間が役員に選出されたのは、初めから間違いだったんだ!』
『…彼等の当選が誤りであったか否かを決めるのは、辰巳、君ではないよ。それはこれから、生徒達自身が判断を下すことだ』

 穏やかな口調で語りながら、役員等の横から姿を現した人物の姿に、俺は目を眇めた。

『錨(いかり)…? どうしてお前が…』

中肉中背の、メタルフレームの眼鏡が誠実で生真面目そうな印象を与える、俺と同じ二年の男子生徒。
 錨は生徒会役員でも、専門委員会の委員でもない。生徒会活動が適正に執行されているかを確認し評価する、監査室の長の地位にある男だ。そんな人間が、何故役員等と共に現れた?
 いぶかしむ俺の目の前に、副会長である檜枝が、分厚い紙の束を叩き付けるようにして置いた。

『全校生徒の三分の一の署名を集めました。現生徒会長、辰巳誠のリコールを請求します』
『な…』

 檜枝の口から飛び出た単語に、俺は息を飲む。

 リコール…すなわち、解職請求。生徒は、選出された生徒会役員がその業務を執行するにあたり、能力や人格などに置いて不適切であると信ずるに至った場合、全校生徒の三分の一の署名を集めることを必要条件に、役員の信任を問うことができるのだ。リコールが有効であれば、全校生徒による信任投票が行われ、そこで過半数以上の不信任があれば、役員の任を解かれることとなる。

 全校生徒の三分の一の署名を集めるという多大な労を必要とする行為であるため、滅多に利用されてこなかった制度であるというのに、まさか、こんな時に…

『条件が揃っているならば僕は、監査役として、君の信任投票を実施する義務がある、辰巳』

 デスクに置かれた署名用紙の束を手に取ると、錨は感情の見えない淡々とした声でそう俺に告げた。

 監査室は業務監査や会計監査部を行う監査部と、生徒会役員選挙等を管理する選挙管理部の二部で構成されている。当然のこととして、リコールの際に行われる信任投票も、監査室の管轄となる。

 …なるほど、錨はこのために檜枝達に帯同されてきたのだ。

『もしも辰巳会長の信任が否決された場合、後任の生徒会長を選任する必要があるけれど…檜枝、副会長である君を、繰り上げで生徒会長に任命するということでいいのかな?』

 錨が問いかければ、肯くかと思われた檜枝は予想に反し、首を横に振った。

『いいえ。次期生徒会長に相応しい人間は、僕の他にいます』
『君の他に、候補がいると? それは一体、誰だろうか』
『生徒会副会長、檜枝の名において、北斗七緒を、生徒会長に推薦したいと思います』

 檜枝が告げたその名に、俺は思わずあっと声を漏らした。

『会計、貴虎の名において、同じく』
『書記、鹿戸の名において、同様に』

 貴虎や鹿戸が檜枝に続き賛同の意を示す。俺はギリリ、と歯を食いしばった。
 北斗七緒…俺に敵対していた、あの男。
 ここでその名が挙がるとは…そうか、全てはそういうことだったのか。


『生徒会長様なんて柄じゃない、俺はそう言ったんだけどな』

 笑み混じりの声で言いながらゆっくりと進み出てきたのは、件の男…その北斗が、檜枝の隣に並び立つ。
 誰もが惹きつけられるであろう秀麗なその微笑みを、俺は殺したいほどの憎しみでもって睥睨した。

『北斗…全て、貴様がやらせたのか…!!』

 役員達を魅了し協力者に引き込んで俺と敵対させ、生徒会活動を妨害して混乱を助長し、生徒会長としての俺の名を貶め、任から引きずり落とした上で、己がその後釜に座る。実に見事な企てだ。己がその対象でさえなければ、鮮やかと称賛したくなるほどの権謀術数だ。

『こんにちは、辰巳さん。あんたが何を思っているかは知らないが、因果は巡る糸車と言うだろう。俺一人の力で為せることなぞたかが知れている。全てを支配できるほど、俺は万能じゃないぜ…あんたの思い描く、「生徒会長様」とは違ってな』
『ふざけるな…っ!!』

 北斗の胸倉を掴もうとした腕を、横から伸びてきたもう一つの腕に捕らえられる。

『おっと、風紀委員長の目の前で、暴力沙汰は止めてもらおうか』
『乾…どうして貴様が…』

 にやりと不敵な笑みを浮かべる男を、俺は呆然と見つめる。

『どうして、過剰防衛の咎でお前に謹慎を命じられた俺がここにいるのか、って顔だな。信任投票が否決されてお前が解任されることになれば、任期中にお前が下した処分の正当性は再考されることになるし、リコール期間中はその地位に付随する権限も停止する。お前の決定は、有効性を失うんだよ。だから俺は今、正当たる風紀委員長としてここにいる』

 ぎりぎりと痛いほどの力で腕を締め上げながら、乾が昏い目で俺を見る。

『…右近を俺の後釜に据えようって魂胆だったらしいが、残念だったな。あいつは所詮、他者に命じられて忠実に任務を遂行するだけが能の、しがないイヌに過ぎねえよ。組織の頭となって群れを率いるだけの力なんざ、これっぽっちも持ち合わせちゃいない。無論、この俺と張り合うだけの威勢がないことは言うまでもないな。お前は人選を誤ったんだよ、辰巳……まあ、右近がこの部屋から出てきた時の顔を見りゃあ、例えあいつに力があったところで、いつまでお前に協力的でいられるか、推察するまでもなさそうだがな』

乾に投げ出すように腕を開放され、俺は天井を仰ぎ吐息を漏らした。

『は…』

 生徒会役員は俺と袂を分かち敵に回った。
 風紀委員は不倶戴天の仇敵の指揮下にある。
 生徒達はリコールに賛同し俺を見限った。

 この学園の、全てが俺から離れた。

『ははは...これで、全てが終わりか…』

 夢も、希望も、理想も信念も、全てが潰えた。


『…まだ、君の解任が決まったわけではないよ、辰巳。信任投票はまだ行われてはない』
『そうだぜ、辰巳。まだ、決まっちゃいない。お前を支持する生徒が多ければ、お前は再び、生徒会長として信任されるだろうさ』
『辰巳。己のやってきたことに自負と自信があるならば、審判を受けるべきだ。生徒達があなたの統治にどんな評価を下すのか、その目で見届けるがいい』

 錨が哀れみの混じった声で、乾が嘲り混じりの声で、檜枝が突き放すような冷淡な声で、俺に告げる。

『辰巳さん、見せてくれよ。あんたが望んだ世界の姿を。果たしてこの学園は、あんたが統治するべき場所か否か、その答えを教えてくれ』

 北斗が唇を笑みの形に歪めながら、心の奥まで見透かすような鋭い瞳で俺を見る。

『辰巳…』

 南が案じる眼差しで、苦しげに俺の名を呼ぶ。

 すでに生徒の三分の一が俺の解任に同意を示している以上、投票をしたところで信任は得られないかもしれない。信任投票をしたところで、醜態を晒すだけのことになるかもしれない。
 だが、俺が今まで続けてきたことに、改革に賛同してくれる人間はきっと、少なからずいるはずだ。その事実を、俺と対立する者等に見せつけてやる…!

 俺は決意を込めて、拳を握りしめた。

『いいだろう…! 受けてやろう、信任投票を。俺は、絶対に間違ってはいない! この学園のために、生徒達のために、皆がよりよい姿であるために、俺はこの改革を進めたんだ! 良識と素養のある人間ならば、きっとそのことを理解してくれる…!!』

 その時は、確かにそう、信じていたのだ。


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