ラブドールでままごと
※ややセクシーな雰囲気描写あり。※はじまるかもしれない。の少し前の話。
彼のお店の裏手にある温泉には、男性ふたりと兎はおそらく使っていない、上質なシャンプーやトリートメント、ボディソープ、洗顔用の石鹸や、クレンジングオイルなど、それら女性の入浴必需品が揃っている。シャンプーのラベルを確認すると、細い線で“天然素材”という文字があった。身体にも自然にも優しい、という事で良いのかな。と思って、掌に乳白色のトロリとした液体を流し出す。鼻を近付けると、良い香り。
此処の天然温泉は、ただ囲いをしてあるだけの頼りない設備だけど、その頼りない設備がとても自然を感じさせる。少し背を伸ばして遠くを見れば、そこかしこを見渡せてしまうのだ。従業員の兎と目が合ったりする。それから、この温泉の持ち主にも。
「頭泡だらけにして外を覗いて、どうしたの?」
「白澤様が遅いから」
「あぁ、御免ね。心配させちゃった?」
目を細めて静かに笑う彼は、白衣と靴と靴下は脱いで足は裸足だけど、衣服と三角巾は身に付けたまま囲いの中に入って来た。癖なのか、いつもの手を後ろで組んでる格好のまま、ゆったり立っている。かわって私は、まぁお風呂ですから、真っ裸で、何も着ていなくて、途端少し恥ずかしくなる。白澤様に合わせていた目をそらして、頭を洗う事に集中する。天国のあたたかい風が吹いて、少しの泡を飛ばして行く。
「ん?恥ずかしくなっちゃった?僕たち、もっと恥ずかしい事してるのにねぇ」
「……えろちぃ漫画の台詞みたいですね」
「……名前ちゃん、えろちぃ漫画読むの?へぇ〜、意外だね」
意外だね、と云った白澤様はこちらに近付くと、私が恥ずかしさを汚れに見たてるようにして力を込めて洗っていた頭の手をそっと掴んだ。白澤様の手は少しヒヤリとしていて、それに気を取られてすんなりと動きを止められてしまう。手が、持って行かれる。それに習うように、顔もあげてしまう。
「駄目だよ、乱暴にしちゃ」
「…………」
「僕に洗わせてよ。身体こっち向けてくれるかな?」
このヒトの云い方はズルくて、洗うよ、ではなく、洗わせて、と義務じゃなくお願いをする。いつもそうだった。義務のように云うと相手が遠慮する事をわかっているのだ。そうして、私はいつも、彼のお願いを断れないのだ。それも、わかっているのだろう。 石を切り出したような床に膝立ちで身体を丸めている私を、掴んだ手を優しく引っ張って向かい合わせにする彼は、白い服が濡れる事を気にせずに同じように膝立ちになった。目が合うとやはりニッコリと笑う。「目を瞑って」と云われて目を瞑り、俯くと優しく頭皮をマッサージするように指の腹で洗い始めた。人に頭を洗って貰うのは、どうにも気持ち良くて、目を瞑っている事もあいまって、眠たくなる。うなじの方を少し強めに洗われると何だか気持ち良かった。ついくちびるが開いてしまって、ハッとなって引き結んだ事は内緒である。髪の毛を揉み洗いするようにしてから「流すから、耳を押さえててくれる?」と云われて、頷いてから両手で耳を押さえた。「行くよ〜」という掛け声と共に、おそらく桶か何かでくんだ温泉のお湯を頭にゆっくりかぶせる。すっかりあたたまった白澤様の指が髪を滑っていく。2〜3度それを繰り返して、耳の裏の泡も落としてくれたのを感触で確認して、少し顔をあげた。するとくちびるに冷えた柔らかさを感じる。パッと目を開けると、白澤様の耳が見える。あぁ、なるほど。
「……名前ちゃん、少し痩せたね。ちゃんと食べてる?」
「……今のでわかるのですか」
「ん?キスでわかったのは、今日も名前ちゃんのくちびるは柔らかくてもう1回したくなるって事かな。痩せたなって思ったのは、さっき此処に入って見たからだよ」
「本当、御上手ですね」
空いていた手で白澤様の白い服を掴んで引き寄せて、こちらからくちびるを合わせた。なかなか乱暴だったのに、白澤様と歯がぶつかる事はなかった。彼が身体に力を入れてセーブをかけたのだ。「怪我しちゃうよ」と囁いてゆっくり背中に手を回してもう1度くちびるを合わせて離れると、彼が楽しそうにボディソープを目の前に出す。ここまで、どアップでボディソープのパッケージを視界に入れた事は鬼女人生で1度もない。
「トリートメントした後、次は身体を洗わせてね」
……白澤様が楽しそうで何よりです。
身体を洗って貰っていると、白澤様は大変楽しそうで、鼻歌まで歌い始めた。私の知らない歌で、もしかしたらとても昔の歌なのかもしれない。歌の詳細を訊いてみたくもあったのだけど、どうにも躊躇われた。訊こうとして、言葉が舌にへばりつく。それは唾液と一緒に、私の胃に落ちていく。それを繰り返しているうちに、身体を撫でるスポンジが背中から身体の前へと滑って行くと、胸で丸を描くようにして回り出す。そうしてから腹を満遍なく撫でると脚へと下り、下腹部へと上がっていく。後ろからスポンジを操るヒトの楽しそうな声が聞こえる。
「何か考えてる?」
「……白澤様の洗い方に悪意を感じる、と考えています」
「悪意かぁ。どうして?」
「わざと避けているから」
「何を?」
「…………」
「あはは!御免御免。見え見えだったね」
「わざとあざとくやっていますね。」
「うわぁ、今日はいつにも増して厳しいね……」
でもそういうところも僕は好きかな。
そう云って後ろから泡だらけの身体を抱き締めた彼は少し私の顔を振り返らせるとまたくちびるを合わせた。今度は、スポンジではなく掌で身体を撫でる。滑りの良い今は、大変持って来いですね。そう冷静に考えていたらその冷静さを読み取られたのか、ただくちびるを合わせる行為から発展をお望みのようで、ペロリと舐められる。そのまま舌がくちびるを滑って入って来ようとしたところで顔をそらすと「えっ」と声を零した白澤様の白い服を鷲掴んで、そのまま温泉へと一緒に落ちてみた。ドボン!と音を立て飛沫を上げて、私は泡だらけのまま、白澤様は衣服を着たまま。湯の中で開けた目を目の前にいる白澤様へと向けると、彼はギュッと閉じていた両目をゆっくり開けてこちらを見る。切れ長の、いつも微笑んでいる瞳が、驚いている。でもその感情のブレはすぐにおさまってしまうのだ。彼は、女性に怒らない。そこもまた、ズルいと思うところであり、そして、私はやりきれなかった。白澤様は自分の衣服を鷲掴む私の手に片手を添えると、もう片手を私の背中に回して抱き寄せて、湯の中から引き上げた。ぷはぁ、と息を吸うと顔にかかっていた湯を思い切り吸い込んでしまい、強くむせてしまう。
「あ!大丈夫!?」
「大丈夫です……すみません、自分で飛び込んでおいて」
「……飛び込んだのにはびっくりしたよ、今日は色々と珍しくダイタンだね。ドキドキしちゃった」
「……せっかくの、温泉の湯も、泡で汚してしまいました」
自ら、やった事だ。わかって、やった事だ。そして、この白いヒトが云う言葉もだいたい想像つくのに、私はなんて馬鹿なんだろう。
彼は、私の濡れて顔を隠す髪をすくって耳にかけると、へラリと笑うのだ。
「君が怪我をしなくて良かったよ」
温泉に落ちた時に三角巾は取れたのだろう彼の瞳は笑っているのに、濡れてぺったりくっついている前髪の隙間から見える額の赤い目は、まるで笑っていない。
この日を境に、私は極楽満月には足を運ばなくなった。
ラブドールでままごと
(2014.2.21)
悲恋ぽいものは初めて書きました。何番煎じなのかというお話の内容ですが、書いてみたかったので、書けて良かったです。
title:haihai