はじまるかもしれない。

※拷問表現があります。
※捏造表現があります。



 溶かした銅の熱さに負けて、亡者の口にはめ込んでいた筒にヒビが入った。そのままそのヒビ部分が欠けて、その欠けた穴から亡者の顔面に溶かした銅が流れ落ちる。亡者が銅の熱で潰れた喉で叫ぶ。絶叫というより、獣のイナナキに近い気がした。そもそも此処、衆合地獄の脈脈断処[みゃくみゃくだんしょ]は『殺し、盗み、邪淫行を楽しみに行った者が落ちる。筒を通して口の中に溶けた銅を流され、その状態で大声で叫ばされる。(ウィ◯ペディアより)』という理由から以上の拷問を受ける小地獄である。顔面に銅ぶっかけちゃったけど、まぁいっか。どうせまた復活させるし、と欠けた穴はそのまま「銅追加してくださーい」と筒へ流し込む銅の量を追加させた。地面に横にした亡者の両肩を踏み押さえたまま、コンクリートを流し込む機械のような筒の両サイドに牛の角のように付いた取っ手を持ち、銅の苦しみで暴れる亡者の口から筒先が外れないように固定を踏ん張る彼女は、獄卒の鬼である。二つの角がそれを表していた。

「ほら、大声で叫んで下さい。此処の拷問は亡者の口に溶かした銅流し込むだけではありません。亡者さんに叫んで戴かないと。……ねぇ、ほら。」

 彼女は肩を踏み押さえていた足の片方を後ろにやり、亡者の腹を軽く踏んだ。すると亡者は「うぶぐ、」と空気を吐き出そうとするようなくぐもった声を出す。腹を踏む力を増やすとうめくような声も増す。踵に体重をかけて踏む彼女は少し嬉しそうな顔をした。

「声、出せるじゃないですか。さぁホラ、もう・いっ・ちょう!」

 バギン、と嫌な音がした。途端、再び獣のイナナキに近い叫び声がする。鬼の彼女は勢いをつけて、亡者の腹を踏みつけたようだった。亡者の脚を押さえている鬼の男は、苦笑いを引きつかせつつさらに暴れる脚を必死に押さえつける。彼は思う。「今日も名前さんの拷問は絶好調だ」と。



 ∞*∞*∞



「筒壊しちゃったから、買い付けに行ってきます。あと、この筒の改良申請も」

 一通り拷問を終えた名前は汗を拭いながら、先程一緒に拷問を行っていた鬼にそう申し出た。その鬼は「えっ」と同じく汗を拭いながら名前を見下ろす。
 結局、穴の空いた筒は空いた穴からさらにヒビが入り穴が空き、修復もどうかと思う程に使い物にならなくなってしまった。移動式銅溶かし機から着脱可能な筒は、勿論今回のように壊れた場合の換えがある。しかし名前は前々からこの筒の壊れやすさに困っていた。銅の熱さにどうにも弱い気がするのだ。筒の持ちが悪く取り換えが多いとなるとストックも勿論無くなり新しい物を購入しなければならない。そうなると、脈脈断処の経費がかさみ、経費削減を掲げている地獄でいつか注意を受けてしまう。しかし仕事をする上でこの筒は必要。そこでこの筒を壊れにくく改良する提案の許可を取ることにしたのだ。改良にも金はかかる上、勝手に仕事道具の大きな改造はよろしくない。

「名前さんが行かれるんですか?あとで俺が行きますよ、何も処長がわざわざ……」
「壊したのは私ですし、この間から話し合ってる筒の改良申請も一緒にしてしまおうかと。申請はどっちにしろ、処長が主任に許可を取らないといけませんし。ひとまず、ストックがきれそうだったので買い足しをと」
「あ、そうか……申請には処長から主任の許可と、最終的には閻魔大王の許可が必要なんでしたっけ……」
「それに私午後休なんです。丁度良いでしょう」

 彼女がそう云えば、後輩は「お休みなのにすみません」と頭を下げた。名前は「処長ですから」と片手を挙げてその場をあとにし、一度寮に帰りシャワーを浴びた。拷問後は汗だの亡者の体液だのでベタベタになる。この姿のまま、買い物に行ったり上司に逢うわけにはいかないのだ。
 ひと休み後、すぐさま名前は拷問器具屋に脚を運んだ。刃物コーナーをチラ見した後、移動式銅溶かし機専用の筒を物色する。大体どれも同じだが、 サラで置いてある為なるべく傷が少ないなど出来るだけ綺麗な物を選んでいた。

「(……これ、かな)」

 筒のひとつを手に取り、持ち上げる。コレがなかなか重い。よっこいしょ、と目線の高さまで持ち上げ、ぐるりと見回す。傷も少ない、歪みもない。

「(……きーめた。)」

 ひとつ頷いて筒を肩に担ぎ、レジに向かおうとした時だった。この場にとても似つかわしくない人が、目の前にいた。白い三角巾と給食当番のような白衣。白衣の中は中国服と思わしきものを着ている。そのヒトは、少し驚いたような真顔で、名前を見つめていた。

「……今日和、白澤様。」
「やぁ、今日和名前ちゃん」

 今度はにこやかに微笑んだ白澤は名前の挨拶にいつも通り返すと、彼女が肩に担いでいる筒を指さした。

「お仕事の物?」
「はい、そうです。今日壊してしまって」
「名前ちゃんが?珍しいね、君が物を壊すなんて」
「元々……此処ではあまり大きな声では云えませんが、そんなに頑丈でないので。今日これから改良の申請を出しに行くところです」
「へぇー……名前ちゃんは仕事熱心だね。偉い偉い」

 へラリと笑った白澤はそう云い、名前を見つめる。名前は彼に逢った瞬間から思っていたことを口にした。

「……珍しいですね。白澤様が、この拷問器具屋にいらっしゃるなんて」
「あぁ、ちょっと女のコの付き添いでね」
「なるほど。お支払いまで待機ですか」
「……間違ってないけど、ちょーっとだけ、手厳しいね」

 少し困ったように笑う白澤が少し首をかしげる。彼の右耳の古銭の耳飾りが揺れる。名前はそれを一瞥し、ほんの少し微笑んだ。白澤は目を少しばかり細めた。

「……申し訳ありません、悪い癖でして」
「名前ちゃんは、女のコが好きな男は、嫌い?」
「いいえ、好きでも・嫌いでもありません」
「……それって、どっちでもない、興味無いってことかな?」

 そう云われ、彼女の頭の中に「好きの反対は嫌いではなく、興味がない」という言葉が浮かんだ。それをすぐに流して、肩の筒を抱え直す。すると、少し遠くから白澤を呼ぶ女の声がした。チラリと名前は声のした方へ目線を持って行き、再び目の前の男に戻す。背が高めの白澤を見上げ、云った。

「女のコがお呼びのようですので、私はこれにて。それでは、また」

 一礼して白澤の脇をすり抜ける。その時、彼女はあの薬局独特の薬草や漢方薬の匂いを感じた。一度深く瞬きをする。そしてそのまま今度こそ、レジへ向かうのだった。



 ∞*∞*∞



 名前は購入した筒を保管庫におさめた後、主任を捜して筒の改良申請について説明した。すれば、了承と共にそのまま閻魔殿に向かって欲しいと云われた。普段なら主任から閻魔大王へと申請を行うが、今は猫の手を借りたいほど忙しいらしい。ふたつ返事でそれを承知した彼女は休憩を挟まずに閻魔殿へと向かった。
 暫く歩いて閻魔殿に到着すると、中が騒がしいことに気付く。恐る恐る法廷の中を覗けば、閻魔大王の巨体がずっしりと倒れていた。名前は「え?」と少し戸惑ってなんとなく身動きが取れないでいると、入口から覗いている彼女に気付いた男が名前を呼んだ。彼は閻魔大王の傍で何か本を読んでいたが、気配を感じたのかクルリとわざわざ振り返ったのだった。

「名前さんでしたか、今日和」
「今日和……鬼灯様」

 すんなり挨拶され、社会人の反射神経で挨拶を返した名前はおそるおそる入室する。閻魔大王と鬼灯の傍まで来て、閻魔大王がうつ伏せのまま何かうめいている事に気が付いた。どうやら痛がっているようだ。

「……どうされたのですか、閻魔様」
「あぁ……名前ちゃん、今日和」
「今日和……」
「ぎっくり腰のようです。日頃の運動不足と怠慢が祟ったんですね」
「まぁ、返す言葉はないけどさ……ていうか訊いてよ名前ちゃん!さっきからプロ(白澤君)呼んでよって云ってるのに一切訊く耳持ってくれないんだよ鬼灯君!非道いよねぇ!!」
「……鬼灯様が閻魔様を治療されるのですか?」

 訊けば、いつもの無表情で見下ろされる。お互い目を見つめ合う。

「えぇ。あんなもの呼ぶくらいなら自分で失敗した方がマシですから」
「だからワシがマシじゃないってば!!」
「鬼灯様、楽しんでいらっしゃいますね。お楽しみのところ申し訳ないのですが、この後ちょっとお時間よろしいですか?」
「名前ちゃんも止めてよォォォォ」

 この後、桃太郎ブラザーズが合流し、雷神が何故か参戦(?)し、鬼灯が閻魔大王をバッキバキにした後、そのバッキバキが腰骨の矯正と日頃の怠惰などのお仕置きであることが発覚。見事復活したように見えたのだが、急な閻魔大王の腹下しにより法廷は鬼灯が執り行う事になった。それがまたスムーズな事により獄卒の間ではなかなかの評判という。事の一部始終を見ていた名前は「まさかあの腹下しは鬼灯様のツボ押しの効果?」と首をかしげた時、審判台から降りた鬼灯が名前を手招いていた。法廷の隅で待機していた彼女は小走りで鬼灯に近付く。

「私の仕事部屋で待っていて構わないと云ったのに……」
「私もお手伝いしますと申し上げましたのに」
「確かに人手は多いにこした事ありませんが、私ひとりで事足りましたので」
「そのようですね。」
「とりあえず、行きましょうか」

 あまりに冷静でスムーズな会話に周りにいた獄卒達が口元をひくつかせている事には気付かず……いや、触れずに、鬼灯達は閻魔大王第一補佐官の仕事部屋へと移動した。鬼灯を待つ事ははじめからわかっていた事なので不満はなかったのだが、やっと今日の目的を果たせる、と彼女は小さく息を吐く。法廷から廊下に出てすぐ現れる扉を開け部屋に入る。鬼灯が自席に着くと目で「それで?」と云われたのを確認し、着物のあわせから一枚三つ折りの紙を取り出す。それを手渡しながら、脈脈断処の移動式銅溶かし機の筒の件を説明する。そして、改良について。その申請書が、彼に渡した紙である。説明を続けていた名前が口を閉じると、話を訊き、一通り申請書に目を通した鬼灯がチラリと目線を紙面から彼女へと上げる。上目なのに可愛げではなく迫力を感じたのは、見られた彼女でなくとも他の獄卒だとしても(ましてやいつもその状態の閻魔大王なら毎度の事)同じ事であっただろう。鬼灯の薄い唇が動く。

「改良申請の件、許可しましょう。経費がかさむ、というのがやはり引っかかりますからね。そう強度の無い物をこの先度々購入となると悪循環でしかありません」
「ご理解戴き恐縮です。ですが、閻魔大王に確認を取らなくても大丈夫でしょうか」
「この手の話は大王に持って行ったところで私に回して来るでしょう。先に手間を省きます。しかし、この筒そんなに脆かったんですね。知りませんでした。」
「今朝方、早速破壊してしまいましたのでストックを買い付けに行きました」
「その領収書はキッチリきっておいて下さい。自費で構わないのでしたらそれで良いのですが」
「いえ、月の最後にきちんと提出いたします」

 この部屋にもし他の獄卒など誰かがいるとしたら、ふたりの会話に何故か冷や汗を流すかもしれない。何せふたりの表情は無く、だが仕事の話とはいえ会話は途切れないのだ。この時名前は、なんと「話しやすいな」と思っていた。前々から彼女はそう思っていた。落ちつくのだ。たまに会話に混ざるえげつないジョークも、彼女にとってはすんなりと笑いになる。名前の口角と目尻の変化を、鬼灯は見逃さず目を少し見開いた。

「……貴女って笑うんですね」
「……鬼灯様は私を何だとお思いですか」
「お香さんから、仕事や後輩の教育は出来て周りからの信頼もなかなか厚いのに、表情筋の使い方とオフの会話が下手、と訊いています」
「…………」
「私自身、初めて見ましたよ。イイモノが見れました」
「……私そろそろおいとまいたします。お忙しい中お時間を戴き、有難う御座いました」

 鬼灯からパッと視線を逸らし、頭を下げた名前は頭を上げても前を見る事はなく。そのままクルリと回れ右をし出入り口へと向かう。扉を開けて、部屋を出てから再び頭を下げよう。そう思い扉のノブを持とうとした瞬間、肩にトン、と軽い重みを感じた。なんとなく、彼女はその場から動けなくなる。なんとなく、少しだけ、振り返ってみる。黒い装束、赤いあわせと袖口。頬に、肩に乗った手の指が当たる。

「此処に来る前、あの薬局店主に逢いましたか?」

 何かと思えば、と名前はその体勢のまま「えぇ」と答える。すれば男は「そうですか」とそこで言葉を終わらせてしまう。この部屋に入ってから、ふたりの会話が不自然に途切れた事は初めてであった。

「……何かお気付きですか?」
「あの店主の、匂いがしまして。あの薬局の薬の」
「……そうですか。だとしたら、鬼灯様は大変鼻が利くのですね。今日白澤様とお逢いしたのは、拷問器具屋での一度、しかも二・三会話したのみですから。そうして、すれ違っただけです」

 また、口元に微笑みが乗ったのを鬼灯は見た。少し肩の手に力が入る。そうすると、名前はその手の指に自ら頬をさらに寄せた。そうして、頬ずりする。彼女は瞼を閉じた。特に何も考えてはいなかった。ただただ、猫がご主人の手にするように、頬ずりをする。その後、鬼灯の指から頬を離し前へと歩を進めた名前は一度も振り返る事なく、扉を開けてからやっと振り返る。目は彼に合わすことはなく一礼をし「失礼いたします」と、静かに扉を閉めたのだった。文字通り、音も無く。



はじまるかもしれない。
(2013.8.1)
思わせぶりなヒトたち。
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