いつになく静かな本丸の長い廊下を進む。少しばかり曇っている空の下では誰も庭で作業したり遊び回っていない。だから余計に静かに感じるのかもしれない。出来るだけ足音を立てずに目的の部屋に辿り着くと、そっと障子の影から中を覗く。


「歌仙、兄貴は?」


綺麗な薄紫の髪が揺れ、伏せ目がちの瞼の上に伸びた長いまつ毛。歌を詠んでいたのか小机の上で一人静かに筆を執っていた歌仙がその声に顔を上げた。ふわりと微笑んだ彼は持ったままだった筆を置き時刻を確認する。


「昨夜から用事があると言って何振りか連れて出ているよ」

「ふーん…」

「何か用事かい?」

「いや、別に」


鼻先を掠めるほのかな花の香り。そうか、居ないのか。いつもならそれを聞いてそそくさと本丸を飛び出す算段を練るのだが、今日は何故だかそんな気はなかった。そんな私の心の内を覗き込んだように歌仙が小さくフフっと声を零す。


「他の刀たちはともかく、僕に主の所在を聞くと言う事はいつもみたいに抜け出す意思は無いのだろうね」

「…まァ、兄貴が前にも増して出入り厳しくしてるし」


あの日以来、兄貴が更に本丸の結界(データ)を強化したようで誰がいつどこから出ていったか、どこから帰ってきたのかがすぐに分かる仕様になった。刀剣たちはこれで私が抜け出せないだろうと色々とからかってきたが、別にそれが脅威というわけじゃない。
抜け目を狙って抜け出すことだってやろうと思えばやれる。正国も御手杵も手入れ済みだし、他の本丸じゃなくたって戦場に飛び出すことだって可能なのだ。それでも今日はいうなれば乗り気ではなかった。だからこそ兄貴の初期刀である歌仙に声を掛けていたのだろう。
いや、それだけの理由で兄貴の居所を聞いたわけじゃない。歌仙なら、ここ最近頻繁に本丸を留守にしている兄貴が何を考えているのか、どこに出かけているのか知っているだろうと思ったから。


「そろそろ帰ってくる頃だと―…」


私が口を開くより前、再び視線を落とした歌仙が机の上を整え始めたその時だった。チリンチリンチリンと軽い鈴の音が本丸中に響き渡る。本丸に誰かが帰還、もしくは来訪を知らせる鈴の音だ。タイミングから考えて兄貴だろうと思っていれば、鈴の音からそう間を空けずにガラガラと本丸の玄関の戸が開く音から廊下を歩いてくるドスドスと重量感のある足音が響く。


「歌仙、半時後に会議だ。召集かけろ」


廊下の角から現れた兄貴こと愁月は真剣な面持ちのまま私など眼中に無いとでもいうように部屋の中の歌仙に向けて言い放つ。驚く歌仙が返事を返す前に手慣れた手つきで何やら宙にパネルを出現させるとそれをヒュンと歌仙の目の前に飛ばした。何かの資料か、はたまた何かのリストか。その内容は分からないが歌仙の表情が微かに曇ったのは分かった。


「愁兄、」


歌仙が無言で頷き、支度にかかるのを肯定と受け取った愁月がそのまま去ろうとするのを思わず呼び止めた。ピタリと止まった足。振り返った兄貴の顔は少しだけ真剣さが抜けて、私の口から吐き出されるであろう言葉を読み取ろうとしていたみたいだった。


「あー…お前は狸と御手杵連れて遠征行ってる2軍を呼び戻してこい」


桶狭間に居るはずだ、と付け足す。兄貴直々に外に出てこいというのは滅多にないこと。同時に私はその兄貴の急ぎの会議には出させてもらえない事を悟る。それでも兄貴から何かを頼まれると言う事はそれなりに重要な事が多いので断ることはない。確かに呼び戻し鳩も貴重だし、戦に飢えている正国を連れ出すにはいいタイミングだ。撤退の手助けだとしても戦場に出れるだけで良い。ずっとこの本丸に閉じこもっているのも気が滅入る。


「分かった。すぐ呼んでくる」

「頼む」


いつになく優しく触れてくる兄に本来言いたいことは告げられず、軽く頭を不器用に撫でられて承知する。踵を返して歩き出す兄の背中を再び呼び止める元気はなくて、兎に角遠征に出ている2軍を呼び戻しに行こう。もし会議に間に合えば、同席出来るかもしれない。そんな淡い期待を持ちながら気持ちを切り替え兄とは別方向に駆け出す。まずは正国と御手杵を呼びに行かなければ。


「…一雨降りそうだね」


部屋の前で別々の方向へと別れていった兄妹の面影を遠くに見つめながら、支度を整えていた歌仙がどんよりと陰って来た鉛色の空を眺めて呟いた。





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