その日はいつものようにライブラに顔を出すと、そこにいつもいるはずのクラウスさんたちの姿は無くとても静かだった。スティーブンさんもザップさんもチェインさんも皆居ない。皆で払っているのかな?と思いつつ事務所に足を踏み入れるとほぼ同時に簡易キッチン的なところからシュタインさんが「おお、おはよう」と顔を出した。
挨拶を済まし、やはりクラウスさんたちは朝早くから出払っていることをシュタインさんから聞きながら事務所のソファに腰かける。ちょっと待てと再びシュタインさんが簡易キッチンの方へと消えてそう時間がかからない内に両手にマグカップを持って戻ってきた。


「それで?眼の調子は?」

「え、あ、はい。おかげさまで順調に」


ことり、とテーブルの上に置かれたカフェオレ。いつもクラウスさんが居る時だったらギルベルトさんが淹れてくれる紅茶が出てくるので少し新鮮だ。お礼を言って自分の分のカフェオレに口をつける。ズズズズ…と自分の愛用のマグカップのカフェオレを啜るシュタインさんを彼女と2人きりになったのは久々だなぁ、なんて思いながらぼんやりと眺めた。


嗚呼、まただ。


義眼が落ち着いて以来、見えない筈のものがはっきりと見えるようになり例の血界の眷属(ブラッドブリード)の一件から彼らの弱点である"忌み名"がしっかりと見えるようになった。お陰でライブラに居る理由も出来たし、個人的にも危機回避能力が向上したようでまぁ良い感じではある。

だが、レオナルド・ウォッチには1つ悩みが出来てしまった。

彼女の近くに居ると義眼が反応する。見えない筈の忌み名がぼんやりと浮かび上がるのだ。血界の眷属ほどハッキリとは見えないものの確かにそれは文字だ。読めないし、所々消えかけていて名前としては完成していないように思える。
否、問題はそこではない。何故彼女に対し義眼が反応し、忌み名らしきものが見えるのか。だ。それまで彼女に対し脅威を覚えた事は無いが、もしや?という嫌な考えが浮かんでくる度に不安になる。
と、ジッと見つめ過ぎていたのかカフェオレを啜りながら本日の朝刊を眺めていた彼女の視線がこちらに向く。小さく笑みを零したのが見えてあ、間抜け面してたかな?なんて思った。だが、


「私の忌み名でも見えるのかい?」

「ぶふっ?!!」

「おや、その反応は見えてるんだね」

「え、ってか、えぇッ?!!!」


斜め上を行く言葉の羅列に思わず咽る。笑って言う事じゃない。手に持っていたマグカップをテーブルに置き、慌てて台拭きでカフェオレの零れたテーブルやソファを拭く。そんな自分の様子を見てシュタインさんは更に笑った。


「そ、私は人間じゃない。"混じり物"。ちょっとした色々な―…まぁややこしい訳があって今の状態に落ち着いてるんだけど…あれ?言ってなかったっけ?」

「聞いてないんスけど…」


自分自身で自身の正体を明かす彼女は何処か他人事のように思えるほど軽い口調で恐ろしいぐらいだ。今まさに初めて聞いた彼女の初期設定をインプットしながら大人しく再びソファに座りなおす。


「で?私の名前は見えてるんだね?」

「…まぁ、見えているといえば見えてますけどハッキリとは…所々ぼやけてて」

「意味ないじゃないか」

「はぁ…いや、俺に言われても」

「やはりもうちょっと血が濃くないと見えないか」


普通の人間の対応、血界の眷属と対立するライブラのメンバーであるならば彼女に武器を向け警戒しているかもしくは即座に彼女の命を奪おうとその引き金に手をかけているところだ。しかし彼女は自分が相手だからなのか随分と余裕そうで…というかいつも通り過ぎて身構える気力も逃げる気力も湧かない。


「過去に一体何があったんです?」

「おっと女性の過去を聞くには早いぞレオナルド君。それなりにお互いの親密度を上げてもらわないと」

「何かの攻略ゲームですか」


チッチッチッチッと舌を鳴らしながらどこぞのドラマの見過ぎだ、とツッコミを入れたくなるような動きで人差し指を立てて軽く左右に振る。ってか女性の過去とか親密度とかこの際どうでもいい事のように思えて仕方のないことだとは思う。が、何故だかシュタインさんに無理に聞き出そうとは思えなかった。


「まぁ、色々だよ。そのうち嫌でも知る事になるさ」

「貴方の口からは聞けないのであろうことを理解しました」

「そりゃぁ自分の過去を語れるほど立派な人間じゃないからね、私」

「胸張って言わないでください」


ほら。結局この人の口からは聴けないのだ。いつもならそれなりの答え返してくれるだろうが今回ばかりはそうもいかないらしい。あとでクラウスさんたちに聞くしかないか。


「お前の眼だったら私を殺せるかと思ったのに」


ボソリ。マグカップが離れた口から声が零れる。再び咽そうになるのを必死に食い止めながら物騒な言葉を吐いた彼女の顔を見つめなおす。実にいつものケロッとした表情だった。


「期待外れの役立たずだったわ」

「え、何?俺が悪いの?俺のせいなの?…ってかサラッと言ったけど、俺がシュタインさんを殺す理由なんて無いじゃないですか」


どことなく冷たい視線を投げられ、この一件すべてが自分のせいとでも言っているような彼女の口ぶりに思わずザップさんに対する態度のようないつもの自分の一面が出てきてしまう。いつになく彼女が掴めない。不安要素は取り除けないままだ。それでも殺す理由にはならないとは思う。そのまま素直に伝えれば彼女は面白いとばかりに口の端を吊り上げて笑った。


「へぇ…奴ら(血界の眷属)と関わりを持ってると知っても尚、殺す理由はないと?」


本来ならきっと彼女は僕ら(ライブラ)に消されている存在なのかもしれない。でも、血の眷属の存在をつい最近知ったばかりの自分よりも遥かに奴らの事も彼女の事も分かっているあのクラウスさんたちが彼女を敵視していないのは確かだ。


「貴方に何があったのかは知りません。でも此処(ライプラ)にいる以上、敵では無いんでしょうし、クラウスさんたちが何も言わず貴方を仲間と認めているのなら僕は貴方を殺す理由もないし。何より、貴方も僕を殺さないでしょう?」

「……期待外れの役立たずは撤回する」

「どうも」


仮に目の前に居るシュタインさんを信じられなくても、クラウスさんを信用しようと思う。そして少なくとも彼女は僕を救ってくれたこともあるし、現に今自分を殺そうと思えば殺せる状況でありながら何もしてこないところを見ていれば現時点で彼女を軽蔑するつもりも、警戒する気も失せていた。


「私の忌み名が見えたら教えてくれ」

「え、」


カフェラテを飲み終えたのか空のマグカップを手に取り、簡易キッチンで軽く洗い流しながら何ら平然と言い捨てたものだから思わず声が漏れてしまう。キュッと蛇口をひねる音と共に水音が消え、カチャンと食器がぶつかる音がする。ふわりと影が動いていつもよりも伏せがちの鳶色の眼が自分を見た。


「私とクラウスには絶対に」


表情はいつも以上に柔らかく、優しさすら感じたがどこか寂しそうで悲しそうなその雰囲気を纏ったまま事務所を後にするシュタイン。コツコツコツと彼女のブーツの音が遠のいていくのを聞きながらレオナルド・ウォッチは小さく「はい」と返事を返すしかなかった。





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