ー殺したいくらいに愛してる
ーだから今は、お休み凪
「 」
そう誰かに言われたのを覚えてる。
*
白い部屋だった。
無機質で何もない伽藍堂だった。
部屋に響くのは乱れることのない電子音。
……とそれに紛れる小さな小さな呼吸の音だけ。
あの夜から彼女は眠り続けている。
星空の下、片割れが迎えにきた時も、
この白い檻の中に移された時も、少女は凪はこんこんと静かに眠っていた。
檻には窓があった。
この秘密(凪)を知る僅かな人々がそこから彼女を見つめている。
ある医者が口を開く
「信じられない、あれだけの傷を負っていたのにもう回復をしているなんて」
「本当に、本当にあの子はまだ…」
ー人間なんですか?ー
異国の軍人が語る
「こんな思考実験をご存知ですか?テセウスという名の船がある。その船と全く同じ形の船を用意してその船の部品とテセウスの部品を一つずつ交換していく。」
「いつしかテセウスの中が全く違う船の部品となった時その船をテセウスの船足り得るものか?……私は思うのですこれは思考の実験だ。人の思考の数だけ答えがある……その人が信じた物が答えなのです」
ー貴方はどちらですか?ー
頂点に立った男が言う
「聞くまでもない」
「あの子は俺の子だ……例えそうでなかろうと。」
ー俺はそう信じている
軍人が続ける。
「野暮なことを聞きましたね、すみません。今は彼女が生きている事を喜ばなければ」
「さて、我々はもう行きます。今頃あちらは収集がつかなくなっているでしょうし……ここにいる理由ももうありませんから」
「ありがとう異国の英雄達。この縁の繋がりに心より感謝を申し上げます。」
ーさようなら、さようなら異国の友。貴方達の進むその先に幸多からん事を…!
少し静かになった通路で、
赤い目の少年が言った。
「脳の損傷がひでェんだろ?」
ーだからよ…
そこに隠れている意味を汲み取った緑青の目の少年が拳を握る。
「大丈夫だよ。きっときっと大丈夫、今は休んでいるだけだよ。だってすごくすごく頑張ってたんだから」
「元気になったら、絶対に目を覚ましてくれるはずだよ」
ー僕はそう信じてる
横から蹴られている少年の言葉に医者が考えを言う。
「脳はまだ未知に溢れている……我々に個性が出たようにその中にはまだ多くの可能性があるかもしれない。」
「この後すぐかもしれない、明日かもしれない。もしかしたら一ヶ月、半年、一年、途方もない先になるかもしれない。」
ーそれでも君は待つかのかい?
彼女と同じ色の目をした少年が頷く。
「待ちます、どんなに先だろうと俺は待ちます。」
「多分、花が咲く頃に何事もなかったように起きると思う」
どうしてそう思うの?と友人に聞かれた片割れは笑った。
「妹は春が好きなんです。花が咲くし蝶も飛ぶからきっとそれまで自分も休んでいようと考えているんだと思う。……何でかなそんな気がしならないんだ」
ーお兄ちゃんだからだよ
その言葉に焦凍が頷く。
檻が見える窓に触れる。
ガラスが持つ独特の冷たさを感じるがそれ以上の寒さを感じることはない。
もう此処は寒くない。
妹を傷付けるものは何もない。
これから沢山の問題が待っている。
災害の生存者。
厄災の発明品。
狂気の産物。
見捨てられていた子供。
多くの異名が凪に着いてしまうだろう。
「絶対に俺が守るから」
その為にヒーローになったんだ。
ードウシテタスケテクレナイノ?ー
ーオイテイカナイデー
ーヒトリニシナイデー
もう二度とあんな事を言わせない
あんな思いをさせない。
「大丈夫、安心して起きて来い」
ーだから、今はお休み凪
*
春を告げる鳥が飛ぶ。
冷えていた土は太陽に照らされてソコから芽吹きが始まる。
花が咲く音がする。
蝶の羽ばたく気配がする。
春を歌う鳥の声と共に。
命の香りが空に混じる。
凪は何処かのようで何処でもない場所に居た。
目の前に小さな子供いる。
白い髪、青い眼をした凪自身だった。
ーもうおきる?
その言葉に頷く
ーあっち、怖いかもよ?
そうかもしれないねと言葉を返した
ーそれでもいくの?
少しの沈黙の後に彼女は答える
ー会いたい人達がいるの
ーだから、もう大丈夫
その言葉に子供は満足そうに頷いて凪の手を取った。
ーじゃあいこうか!
ーこっちだよ
自信に満ちた歩みに凪はどうしてわかるの?と聞く。
小さな凪が振り返った。
ーだって声がするもの!
ーあなた(凪)にもきこえるはずだよ!
ほら、と導かれるように彼女は耳を澄ます。
嗚呼、聞こえる。
確かに声が聞こえた。
*
白い部屋で少女は眠る。
電子音のなる部屋で静かに深く眠っていた。
その無機質な檻の扉が開かれた。
訪れた少年が迷う事なく彼女に歩み寄る。
「おはよう、凪」
閉じられた目に掛かる、冬より伸びた彼女の前髪を焦凍が指で避ける。
「なぁ……もうすぐ春が来るよ」
ーもう寒くないよ。凪
呼吸の音が変わる。
閉じられた瞼が震え、ゆっくりと開かれる。
その下にあったのは、青い、春の空のような色をした瞳だった。
同じ色をした瞳が涙で歪む。
「寝坊助……」
流れる雫を細い少女の指が拭う。
「……おはよう。凪」
「おはよう……焦凍」
繋がれた手の温度がじんわりと緩やかに溶け合う。
*
春を告げる鳥が飛ぶ。
誰も居ない森の中を進む。
羽ばたく音がそこにある寂れた屋敷の中にも届く。
そこは薄暗く肌寒い部屋だった。
「本当に思うのですが、あの時凪ちゃんを返す事なかったじゃないですか」
口を尖らせる少女が近くにいる青年に言葉をぶつける。
「あいつが帰りたいって望んでたから、それに凪が冬を越すには此処は寒すぎた。」
「ふーんそうですか……じゃあ、暖かくなって来た今はどうするんです?」
渡我の問いに荼毘は、燈矢は笑う。
「つまんねぇ事聞くんじゃねぇ……決まってんだろ」
ーあいつは俺(燈矢)の大事なものだから
ー近くにいないとダメだろう?
「必ず迎えにいくから、待っててね」
春が来る。
不香の花は溶けて芽吹いた花の香りがする。
暖かい春が来た。
その先に待っているのはきっと、きっと■■だろう