王子は涙を奪われた | ナノ



無憂宮の城壁

記憶、というものはひどく曖昧なものである。
昔の情景を思い出そうとしても、それは記憶を基に脳内で再生されただけの、ただのイメージなのだから、それはこんな感じだった、という個人の主観が入り雑じったものだ。本当の記憶なんて、ビデオカメラで撮ったデータくらいなのではないか。
いや、それではただの記録か。
そう言って笑ったのは誰だったのだろう。

***

「じゃあ今からお休み中の宿題を出すよー」

帝丹小学校の1年B組では小林澄子がA4ほどの紙を配っていた。来週の月曜日は祝日で休みであり、少しだけいつもよりも大きな宿題を課されたのだ。
そこには『ぼく・わたしのおとうさんおかあさん』と大きくプリントされていた。両親へインタビューし、普段の生活や性格、仕事ぶりなどを思い思いに書かせようというものらしい。お父さん、お母さんの好きなことをたくさん書いてね、と明るい声が教室内に響く。
おそらく連休後にある授業参観日で発表させようという魂胆なのだろう。
プリントを前にコナンは頭を抱えた。

「あれー? どうしたの、コナンくん?」
「……どうしたもこうしたも」

項垂れたコナンに歩美が近寄る。歩美の顔を見て、コナンはもう一度プリントを見た。
コナンは訳あって両親と離れ、現在毛利探偵事務所に世話になっている、という設定である。実の両親は言わずもがな工藤新一の両親であり、コナンとは遠い親戚と周りには説明している。その彼らをこの宿題の対象にするわけにはいかない。
かといって普段世話になっている小五郎や蘭にインタビューしても良いのだが、これは授業参観日のための宿題である、と思われる。彼らは自分達の仕事や学校、あるいは部活があるため参観日には来られないだろうし、蘭はともかく小五郎は絶対に来ない。
先に断っておくが、決して来てほしいわけではない。
ただそれでは、澄子はよしとしないだろうから頭を抱えたのだ。

「せんせー!」

歩美が大きく手を挙げた。

「コナンくんや灰原さんはどうしたらいいですかー」

全く、子供はプライバシーやら心的な介入やら、そういうものへの思慮が欠けている。両親がいないなんて、普通の小学生なら何らかの家庭の問題を抱えているだろうし、それによってストレスを抱えていそうなものだ。
歩美の呼び掛けに応えて澄子がコナンの元へ近寄ってきた。

「んー、じゃあこうしましょう! この宿題は来週の参観日で皆に発表してもらうんだけど」

ええー!? という声がクラス内に響いた。澄子にとってその反応は想定内なのだろう はいはい、と生徒を修めた。それに対してコナンは だろうなー、とつまらなそうに溜め息を吐いた。

「二人はこの授業参観日に来てくれる人をインタビューしてきて! もしいなかったらそうね、普段お世話になってる人とか、尊敬してる人とか、好きな人でいいわ」

割と緩いものなんだな。まあ小学1年生がする宿題なんてそんなものか、と一人コナンは納得する。そうなると、灰原は阿笠博士になるか、と考え、本当に誰にしようとコナンは手を顎に添えた。
参観日に来てくれそうな、人。ダメだ、思い当たらない。というか、参観日に来られない人でもいいのなら、無理してきてくれる人にインタビューしなくてもいいのではないか。だいたい、来てほしくない。
もう適当に小五郎か蘭にインタビューして、来られなかった、ということにしよう。
そう決心してプリントをそっとランドセルに忍ばせた。

***

「参観日のための宿題?」

事務所へ帰ったあと蘭に事情を話すと、困ったように眉をひそめた。
コナンは来られなくていい、と話したが蘭はそれじゃコナンくんが寂しいじゃない、と否定してしまった。
ああ、優しさでそう言ってくれているのは重々承知しているが、やめてくれ。どうしよう、なんて顔をしないでくれ。
蘭の性格上、そういわれるのは想定内だったのに。コナンは言うんじゃなかったと後悔したがそれは後の祭りだった。

「い、いいよ、そんなに気にしなくても。来れない人でもいいって言われたし、その場合はお世話になってる人か、尊敬してる人とか好きな人って」
「へぇ、好きな人、かぁ」

コナンはびくりと肩を震わせた。
え、いつの間に、と声のした方を見ると、案の定そこには小五郎の弟子になった、安室透がいた。たくさんのサンドイッチを積んだ大きな皿を持っていることから、小五郎に差し入れを持ってきた事がうかがえる。
なんとタイミングの"良い"ことか。

「どうぞ、これ差し入れです。新しい味付けを試してみたので試食ってことで感想を聞かせてもらえると嬉しいんですが」
「わあ、ありがとうございます、安室さん」

いえいえ、と爽やかな笑顔でコナンと蘭の目の前のローテーブルに皿をのせた。
差し入れを持ってきたのは本当だろうが、気配を消して事務所内に入ってくるのは絶対に何か企んでいる。コナンはじっと透を見た。

「ところで」

ほら来た、と半ば諦めながらコナンは彼の言葉を待った。

「よかったら僕が行きましょうか、参観日」
「えっ?」

驚いた声を出したのは蘭だった。何となく予想していたコナンにはさして驚くことではなかったが、面倒なことになった、と更に頭を抱えたくなった。
いくら見た目が小学生とはいえ、中身は高校2年生だ。高校生と言わず、中学生くらいになると授業参観なんて親には言わないだろう。バレたら来るな、と全力で止める、そんなものだ。
それはいくら日本警察の救世主と言われた、あの高校生探偵工藤新一とて同様で、来てほしくない、恥ずかしいのだ。そこは年齢相応の反応である。
来るだけなら百歩譲って良いとしても(何もしなければ良いのだ)、クラスや本人の目の前でその人良いところ、好きなところを発表するなんて公開処刑も良いところだ。

「そんな、安室さん忙しいでしょ? 気にしないで」

探偵とかポアロとか組織とか公安とか。
そんな目で見るとその意図が伝わっているのかいないのか、透はやはり爽やかな笑みを返してきた。

「大丈夫だよ、コナンくん。こう見えてもぼくは結構タフなんだ」

安室がタフなのはコナンもよく理解している。
いやしかし、そうじゃないんだ。本当は伝わっているだろう、来ないでくださいオーラを軽く受け流される。遠慮してるんじゃない、来るな。絶対わかってこの言動なのだ、この人は。なんと面倒なのか。
コナンは参観日がこんなに大変な日だったのか、と思わず苦い顔をした。

「それに」
「それ、に?」
「気になるじゃないか、君が僕のことどんな風に見てるのか」

コナンには余計にこの目の前の男が何を考えているのかがわからなくなった。ただ、この状況を楽しんでいるということだけはわかった。さらに、安室はコナンの思っている以上の自信家であるということも。
どうやらこの人はコナンに尊敬されているし好かれていると確信しているようだ。

「あ、ああー!そうだ、今日博士と約束してたんだ〜。僕やっぱり博士とかに聞いてみるよ」

そうあからさまにわざとらしく可愛い声を出して宿題のプリントをひっつかむと、コナンは安室の前を横切りそそくさと事務所を後にした。

宣言通り阿笠邸へ行くと、家主の阿笠博士と同居人の灰原哀がいた。
どうやら哀も同じことを考えていたようで阿笠博士に宿題をさっさと終わらせてしまおうとしているらしい、阿笠博士と対面して問答を繰り返していた。

「灰原、博士」
「おお、新一どうしたんじゃ」
「……何となく察することはできるけど、工藤くん」

哀には気付かれてしまったようだが、恐らく哀の想像は越えているとコナンは思った。まさか安室に参観の権利を欲しがられるとは、コナン自身夢にも思わなかったからだ。
事のあらましを手短に話すと哀は なるほどね、と腕を組んだ。

「色々と大変なのね、あなた」
「他人事みてーに、」
「あら、だって他人事ですもの」
「……だから博士に俺の宿題の分も犠牲になってもらおうと思って」

ここに来たんだ、と付け加える前にふわり、と良い香りが部屋中に漂った。次いで ホー、と楽しそうな声も聞こえた。
まさか、とブリキのおもちゃのようにギギギ、と恐る恐る振り返ると、やはりと思った。沖矢昴だ。

「こんにちは、博士。それと、君たち」
「……」
「こ、こんにちは、昴さん」
「はい、こんにちは」
「ええっと昴くん、今日はどうしたんじゃ」
「いえね、実は肉じゃがを少々作りすぎてしまいまして」

そういう彼の手には大きな両手鍋があった。それをミトンをつけて持ってきている。コナンは あ、デジャヴュだと思った。

「よければお裾分けしようと ああ、立ち聞きするつもりは毛頭なかったのですが、聞こえてしまいまして」
「おお、ありがとう。是非頂くよ」

昴は鍋を近場のテーブルに片方のミトンを鍋敷き代わりに敷き、ごとん、と置いた。
そして ところで、と言った。この人と安室さん、絶対仲良いだろ、となかば自棄になりながらコナンはじと目で昴を見た。すると昴は肩をすくめた。

「いえ、別に見に行ってやろうなどとは思っていませんよ。そんなに睨まないでください」
「え? あ、そうなの?」
「コナンくんが困っているようだったので。どうやらその課題は授業に参加しなくても良いようだ。私が行くことにしておいて、急用で行けなくなったことにすればどうですか?」

いたずらっ子のように口の端を吊り上げる。コナンにとっては大変有り難い話だが、その笑顔がなぜか不安を煽った。

「すごく、本当にありがたいんだけど…… 何か企んでない、昴さん?」
「さて、企むとは一体何のことやら」

その思わせ振りな態度こそが怪しまれる要因なのだとわかっておきながら、これだ。これが彼の性分なのだろうか。本当にこの人は意地が悪いとコナンは思った。だが昴の場合、ブラフの可能性も否めないところが難しい。

「……やっぱり来ました、みたいなことしないよね?」
「ええ、勿論。お約束しますよ」
「じゃあ……お願いします」
「はい」

何とも彼の策にはまっている感じが胸に気持ち悪さを覚える。当の本人は楽しそうに笑うだけだ。
 これで共犯者ですね、なんて言いながら。

***

ジュースでも飲みながら、如何ですか。コナンくんも早くこんな面倒な課題をクリアしたいでしょうし、今からでも。
そんな風に丸め込まれながらコナンは昴の居候先(兼コナンの実家)、工藤邸へ赴いた。阿笠邸の隣であるここは、現在昴しか住んでいない。
コナンは昴の言われるがままに帰省すると、書斎でどうですか、と聞かれた。本に囲まれると落ち着く本の虫であるコナンは勿論それを快諾した。
書斎のソファーで昴を待っていると、2つのマグカップを持ってきた。

「ホットコーヒーで、大丈夫でしたか?」
「ジュースじゃないんだね」
「おや、そちらの方が良いのなら次からそうしましょう」
「まさか! ありがとう、昴さん」

喜んでカップを受け取ると、コナンは早速テーブルにメモ帳とペンを置いた。昴もコナンと対面するソファーに腰かけた。
互いにコーヒーで一息入れ、じゃあ、と改まった。

「ご職業は」

突然そう聞かれ、昴は一瞬口ごもったが、すぐに フ、と笑った。

「なんで、笑うの」
「突然そう聞かれるとは思わなかったもので、すみません。 名前、性別、年齢などは良いのですか?」
「そこら辺はわかってるから」
「では職業も」
「そこはほら、どんなことするかとか」

ふむ、と昴は考え、口を開いた。

「お見合いのようですね」

コナンがじっと彼を見ると、悪かった、と言わんばかりに両手をあげた。本人もふざけていると自覚があるようだ。そしてそれをコナンが面白く思わないことも。

「職業は……連邦捜査局」
「じゃない方で!」
「はいはい」
「今日どうしたの? なんだかすごく機嫌が良いみたいだけど」
「そう見えるのなら、そうなのかもしれませんね」

そう言ってまた笑った。

「東都大学大学院工学部博士課程の大学院生……ですよね」
「確認とらないでよ。 えーと、どんなことしてるの」
「どんなこと、ですか……ハッキング、盗聴、情報収集、情報操作、緊急時には」
「いやいやいや!」

さっさと終わらせようと思っていたが、これは。
コナンは頭を抱え、今日何度目かの溜め息を吐いた。

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