10.終わりのない恋だった


 ふっ、と意識が浮上する。
 目を開けると、そこに広がっていたのは、見慣れない天井。
 そして――。

「あ、起きた?」
「……ん……、ヤス、ヒロ……?」

 上から俺を覗き込んでいる、泰裕の顔。
 ゆっくりと髪を梳かれて、それがすごく気持ちよくて、うっかりまた瞼を閉じそうになる。けど――。

「おはよう」
「……オハヨ。……俺、寝てた?」

 覚醒を肯定する泰裕の声。はっきりしない頭でそれに返事をしながら、上掛けの中で体を横向きにする。
 あれ……?
 肌に触れる布の感触が……。

「うん、二時間くらいね」

 部屋を明るく照らし出しているのは電灯の光じゃなくて日の光。
 手探りで自分の体をぺたぺたと触ってみる。
 何も……着てない……。
 そういえば、俺、泰裕と――。

「那津?」
「………っ!」

 思い出して、今更ながら恥ずかしさがじわじわこみ上げてきた。
 上掛けを引っ張り上げて、布団の中に顔を埋める。
 泰裕は、そんな俺をみてクスリと笑うと、俺が両手で掴んでいる布団の真ん中あたりを片手で引き下げた。
 鼻の辺りまでを、あらわにさせられる。

「那津」
「………」

 返事なんてできない。何て言ったらいいのかわからない。
 戸惑う俺に泰裕は、蕩けるような微笑を向けてこう言った。

「那津、ありがとう」
「………」

 お礼を言われるようなことなのかな。
 でも、なんか。
 泰裕が言いたいことはわかった。
 行為に対してじゃなくて、たぶん、その前の――。

「那津」
「……うん」
「好きだよ。だから、俺を信じて?」
「………うん」

 このときの俺は、泰裕が言う「信じて」には、俺が思うよりももっとずっと深くて大きな意味があるって、知らなかった。



* * *



 それからしばらく、俺と泰裕の間には、穏やかな時間が流れていた。
 夏の名残りを思わせていた日差しも徐々に穏やかになり、季節は一気に秋へと足を進める。
 以前と変わりなく、駅のホームで待ち合わせて、一緒に登下校。
 誘われたら、泰裕の家に行って一緒に勉強。
 合間にキスしたり、流れでなんとなく、そんな雰囲気になったら、時々は、セックス……したり。
 俺が恐れていたほど、俺と泰裕の関係に、悪い意味での変化はなかった。
 以前よりずっとドキドキの頻度が増えて、心臓に甘苦しい負担が掛かったりはしたけど。

 そんなある日。

「俺の誕生日は祝日だから、友達に会えないのはちょと寂しいけど、その代わり、いつも家族そろって祝ってくれるんだ」

 もう慣れきった泰裕の部屋で、まだ知らない、お互いのことを話しているときに、誕生日の話になった。

「……そうなんだ」
「うん、五月五日。こどもの日」

 単純に、驚く。
 こんなところに共通点。

「……俺も、祝日」
「いつ?」
「十一月二十三日。勤労感謝の日」
「もうすぐだね」

 泰裕の目は、机の上に置かれた卓上カレンダーに向かっていた。
 そうなんだ。あと一週間とちょっと。
 その日、俺は、十八歳に、なる。

「那津の、十八歳の誕生日か……」

 俺の心を読んだみたいに、しみじみと、泰裕が言う。

「……うん」

 泰裕から遅れること、約半年。
 十六の誕生日より、十七の誕生日より、十八歳という年齢の含む意味が、その日を特別なものに仕立て上げている気がする。
 俺より先に、そこへたどり着いている泰裕。
 その泰裕が、一度目を伏せ、何かを考えた後、ひどく真剣な面持ちで切り出した。

「那津、よかったらその日、うちに来ない?」

 いつも湛えているやわらかい微笑が失われた顔。
 いつも泰裕が誘ってくれるときと同じ台詞。
 なのに、いつもとはまったく違う声色。
 いつもはもっと、軽い口調で、それこそ「遊びにおいで」という雰囲気で誘ってくるのに。

「誕生日のお祝い、しよう」

 言われているのはとても素敵な、嬉しいことのはずなのに。
 言っている顔つきは、それとは程遠いもので。

「……うん、いいけど……」

 どうしよう。

「そしたら……、そうだね、夕方、五時頃来てくれる?」

 俺、何かしたかな。

「………うん」

 何か、よくない話でもある、とか。

「じゃ、約束」
「…………うん」

 ただひたすら暗いほうへと進んでいく思考。
 当たり前のようにそこにいた存在が、何の前触れもなく消えることを俺は知っているから。
 俺は、逃げるように泰裕から視線を逸らし、顔を俯けた。



* * *



 元々は、米の収穫を感謝する祭り――新嘗祭(にいなめさい)――という祭日だったという勤労感謝の日。
 指定された時間に泰裕の家へ行くと、俺を先導する泰裕の足は、玄関を上がってすぐのところにある階段を上がらずに、なぜか、廊下を進んでリビングへと向かった。
 いつもならまず泰裕の部屋に通されるのに。
 そんな些細な違いが、ひどく心を圧迫して、つい、下を向いてしまいそうになる。
 俺の誕生日を祝ってくれるって言ってたんだから――気を取り直して、泰裕に勧められるままにソファーに座った。
 俺の向かいにおばさん。その隣におじさん。
 おばさんはいつもどおり、いや、いつも以上にニコニコしていて、おじさんはちょっと難しい顔をしている。
 おじさんやおばさんとは、別に初対面じゃないし、一緒に夕飯をいただいたり、そのあとこのリビングで雑談したりしたこともあった。
 でも、こんな風に改まって向かい合って、っていうのは今までなかったから、なんか、少し、緊張。
 そして、泰裕が俺の隣に腰を落ち着ける。

 なんか、俺だけじゃなくて、この部屋を満たす空気が緊張してるような気さえする。
 そわそわと、落ち着かない心。何か言われるのか。それならば、一体何を言われるのか。
 びくびしながら、ちら、と泰裕を横目で伺うと、泰裕が俺に視線を寄越した。

「言ったから」
「………何を?」
「俺と那津が付き合ってること」

 俺と。
 泰裕が。
 「つきあってること」。

 「つきあってる」?

 「付き合ってる」――!

「え、つき……、えっ、ま……、だ……」

 泰裕がさらりと言った言葉が脳に届いた瞬間、動揺。
 付き合ってるって、付き合ってるって……!
 泰裕を好きな気持ちは本物だし、嘘偽りない事実だけど、それでも男同士で付き合ってるなんて、普通じゃないことは充分理解してる。
 ここに泰裕の両親がいる以上、「言ったから」は「両親に」という意味だろう。
 よく遊びに来ていた息子の友達が、友達だと思っていたら実は恋人で……なんて、俺が両親の立場だったら衝撃が強すぎる。

「だって、ヤス……」
「那津」

 もしかして、「息子と別れてくれ」って言われるとか。
 だって男同士なんて、世間体が悪い。
 それでなくても、同性愛というのは、一般の人にとっては受け入れがたいものであるだろう。
 ましてや自分たちの大切な息子に同性の恋人がいるなんて……。

 どうしよう。
 どうしよう……!

「ヤ、スヒロ……、っ、俺……」

 動揺と、混乱と、その他ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになって、俺の瞳には知らず涙が浮かんでいた。
 縋るように泰裕を見つめると、泰裕はいつもと変わらない、あの優しい微笑で俺を見つめ返してくれた。

「那津、落ち着いて」
「う……、でも……、だっ、て……」
「水戸部くん」

 動揺のあまりきちんとした日本語を喋れていない俺に対して、落ち着いた声音で話しかけてきたのはおばさんだった。
 涙目のままにおばさんを見る。おばさんは、手を伸ばして俺の両手を握り、そしてまっすぐに目を見つめて語りかけてきた。

「水戸部くん、あなたの家庭の事情は、泰裕から聞いたわ」
「………はい」
「それでね、お父さんと話したんだけど」
「……、はい……」
「水戸部くん、卒業したら、うちへいらっしゃい」
「……………は?」

 言われた言葉をすぐに理解できない。
 目を見開いて、必要以上におばさんを見つめてしまう。おばさんは、そんな俺に嫌な顔ひとつせずに、優しい微笑を返してきた。

「泰裕がね、高校を卒業したら家を出たいって言い出したのよ」

 そんな話は初耳だ。
 隣に座る泰裕をちら、と見上げる。泰裕は、おばさんそっくりの瞳で、何も言わず、ただ優しく俺を見つめていた。

「なにも地方の大学を目指しているわけでもないし、一人暮らしがしたいなら、社会人になってからでも遅くはないでしょう? だから理由を聞いたのよ。そしたら――」

 俺とは、恋人として付き合っていると告げられ、家族のいない俺といっしょに暮らしたいんだと、そう言われたという。
 不意に、胸の奥からこみ上げてくる熱いもの。
 ひとりで暮らしているのは、望んでのことじゃない。
 そうせざるを得ない状況だったから。
 だから、誰にも言ったことはなかった。ただひとり、泰裕を除いては――。

「泰裕の上に兄と姉がひとりずついるんだけどね、二人とももう結婚して独立してるから、これで泰裕まで家を出て行ったら、おばさんちょっと寂しいのよ」

 肩をすくめて、苦く笑いながらおばさんは、本当に「ちょっと」という感じで軽く言う。けど。
 「寂しい」――。
 その感情を、俺はよく知っている。
 それは俺が今まで、見て見ぬフリをしてきた、自分の心の奥底に押し込めてきたもの。
 家族の誰かが欠けるのは「寂しい」。そう、心の中にあったその「誰か」の居場所にぽっかり穴があいて、寂しいんだ。

「だから水戸部くん、うちへいらっしゃい」

 俺の瞳からは、とうとう耐え切れずに涙が零れ落ちていた。
 咎められることも、気味悪がられることも、引き離されることもなく、それどころかこうして暖かい手を差し伸べてくれるなんて――。

「あなたさえよければ、ここで、泰裕と、お父さんと、私と、家族として一緒に暮らしてくれないかしら」

 ひとりの部屋はたまらなく寂しかった。
 この家族の一員になれたら、どんなにいいだろう。
 そう思ったのは一度や二度じゃなかった。
 帰りたくないと思ったのも、一度や二度じゃなかった。
 泰裕が好きだ。そして俺は、泰裕を生み、育ててくれたこの人たちも、とても好きなんだ。

「那津」

 泰裕が、そっと俺の肩を抱く。
 ぽろぽろと、止まることを知らない涙を流しながら、俺は必死で首を縦に振った。
 ここまで言ってもらって、答えなんてひとつしかない。それしかありえない。

「……っ、りが……ご、ざい……す……」

 とぎれとぎれに感謝の言葉を搾り出す。泰裕は、なだめるように俺の背中をさすっていて。
 そしておじさんはたった一言。

「その前に二人とも、大学に合格しないと、な」

 それだけ言った。



* * *



 いつにも増して気合の入ったおばさんの料理と、イチゴをふんだんに使ったホールケーキをいただいて。
 慣れ親しんだ泰裕の部屋。
 今日は泊まりかな、なんて頭の片隅で思いながら、泰裕と並んでベッドに腰掛ける。

「誕生日ケーキなんて、すごい久しぶりに食べた」
「そうなの?」
「うん。じいちゃんもばあちゃんも、ケーキみたいな洋菓子は苦手でさ。それでも俺のために無理してたって気づいたから、ケーキはいらないって言ったんだ」

 俺がまだ小学生の頃、誕生日にはいつも、テーブルにたくさんのご馳走が並んでいた。
 小さいけれどまあるいケーキ。年の数のロウソク。昔ながらの、フィルムで撮った写真の数々。
 それは、両親がいないことで負い目を感じてほしくないと、祖父母の精一杯の思いやりだった。
 それに気づいたから。俺は愛されてるってちゃんとわかったから。だから、誕生日にケーキがなくても平気になった。

「そっか」
「うん」
「これからは、毎年ケーキ、食べようね」
「ロウソクも?」
「もちろん、年の数だけ」

 今年は十八本。来年は十九本。

「……そのうち、ロウソク立てられなくなったら?」

 なんとなく訊いてみる。
 急に忙しなくなる鼓動。
 何歳まで、一緒に祝ってくれる?

「そうだね、そうなったら」
「そうなったら?」

 泰裕は少し考え込む仕草をして、そして、極上の微笑とともにこう言った。

「ロウソクの代わりに、愛してるって、年の数だけ言うよ」





 例えば、それが恋なら。
 泰裕が、俺を愛し続ける限り。俺が泰裕を信じ続ける限り。
 この恋に終わりはない。

 ずっとずっと、永遠に―――。

END

2008/09/12


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