誇大妄想 | ナノ




死片を食う男

 ぴり、と肌を破られる。小さな、ささやかな傷。それでもそこからは確かに血が溢れた。

 男との付き合いは長く、もう十年は経つ。出会いは大したことはない。旅先で路銀の都合上相部屋になったのがその男であった。男は酷く飢えた様子で、手足には至る所に擦り傷をつけていた。まるで山賊に襲われたか、崖を転げ落ちでもしたかのような風体である。この村に続く道は険しい山路ばかりだし、かく言う関口も似たような恰好ではあったが、赤黒い変色に腕や脚の大半を覆われた男の姿は、やはり異様だった。
 食事を共に終え、それでも男は飢えた目つきで関口を見ていた。あまりじろじろと見られていると鬼魅が悪いので話しかけてみる。
「あの……何か僕に御用でしょうか」
「ああ、いえ、すみません。山の中の一人旅だとなかなか話し相手に恵まれず――よろしければ、少し、お話を、と」
 関口はあまり話好きではないのだが、是非にと乞われては無碍にも出来ず、ただ聞いているだけならばと頷く。
 京極堂と名乗った男は存外話し上手で、その語り口に関口は次第に引き込まれていった。此処から山を二つ越えた先にある町での噂。ある日忽然と姿を消した二人組の流れ者が、半月経って近くの漁村で死体となって発見された話。遠く東の国の怪談。満開の桜の中で鴉に青年が攫われた話。隣国に古くから伝わる伝承。死体を喰らうという化け物の話。
「――今でもね、ときどきいるんだそうですよ。こうして、」
 京極堂が身を乗り出して顔を近づけてくる。ぐぱ、と口が大きく開く。
「人を喰う、人ではないものが――」
 鋭い歯がぎらぎらと迫ってくる。関口はしまった、これは物の怪の類かと死を覚悟し、ぎゅっと目を瞑る。顔全体に吐息を感じてどきどきしていると――ゆっくりと男の気配が離れていった。押し殺された笑い声。
「――っはは、冗談、冗談ですよ――」
 京極堂は笑いながら関口の手を取り、指先を口に含んだ。がじがじと爪を噛む。
「人を喰うにしても丸ごとは喰いません。爪のひとかけ、皮膚の一片、瘡蓋でもいい。ねえ、それだけで充分なんです。どうか僕を助けると思って――」
――爪のひとかけといえど、やはり人を喰う化生じゃあないか――!
 関口は呆然と口を開けていただけだが、京極堂は内心の叫びを読み取って慌てて弁解めいたことを口にする。
「あ、いえ、違いますよ? 私は物の怪ではなく人です。ただ少し、その……憑き物に憑かれているといいますか」
 その様子を見ていて、つい、男を『哀れだ』と思ってしまった。それが決め手だった。
「……瘡蓋がよくできるので。掻いて血が出ても面倒ですし。こんなもので助けになるのなら――どうぞ」
 浴衣の裾を捲り上げて脚を男の目前に差し出す。擦り傷であちこちに瘡蓋が出来ている。京極堂は一度ゆっくりと太腿から足首まで撫で、それから一番大きな瘡蓋に爪をかけた。ぺりぺりと赤黒い塊が剥がされていく。本当にそれを喰うのかと見ていると、京極堂は指先についた瘡蓋を舐め取り、地味な咀嚼を始めた。……本当に食っている。
 さすがにぞっとしたが、今更やめてくれとも言いづらい。旅の疲れもありうとうとしているうちに寝入ってしまっていた。
 目を覚ますと朝になっていて、京極堂は既に旅支度を終えていた。
「此処でお別れですか」
「ええ。しかし私は全国を回っていますから、また会うこともあるでしょう」
「腹は――満ちましたか」
 それだけが気がかりだった。男は短く「ええ」と答えて去っていった。あれだけ傷のあった脚はつるりとして綺麗になっていた。

 男との付き合いは長い。京極堂の手足はすっかり普通の人と同じに戻った。関口は今でも、男が本物の物の怪ではないかと疑っている。


2015/04/06

[ 17/21 ]
[*prev] [next#]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -