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せかいで いちばん かわいい いきもの

 京極堂こと中禅寺秋彦は、いつものごとく本を読んでいる。
 読んでいる、のだが、中々集中できない。それはこの男には至極珍しいことである。雨が降ろうが槍が降ろうが、列車の中だろうが舟の上だろうが京極堂は文字を追うことをやめない。自他共に認める書痴たる彼が、この陽光麗らかな良き日に、読書に身が入らないなど、天変地異の前触れと言ってもいい。
 勿論それは、京極堂自身にとっても不可解なことだった。熱があるでもない、厄介な事件に巻き込まれているでもない、榎木津は木場の映画鑑賞について行ったので不在である。妻は買い物に出ているが、居ても読書の邪魔になるほど騒がしくはない。
 しかし。
(…やけに静かだな)
 眉根を寄せ、何故だろうと思案する。先日の会話を辿るとすぐに答えは出せた。
(あぁ、関口くんが居ないのか)
 小さく溜め息を吐き、本を捲っていた手を止める。居たら居たで五月蝿いが、居ないとこうも落ち着かないものなのか。
 関口は雑誌の取材とやらで、暫く前から此処には来ていない。ここ最近はほぼ毎日のように通っては話をしていたので、五月蝿いのが当たり前になっていた。
 けして寂しいとかではない。声が聞けなくて悲しいとか他の奴等にちょっかいをかけられているんじゃないかとか思っているわけでもない。絶対にだ。

 その時カラリと母屋の玄関の扉が開かれた。湿っぽい、通らない声がごめんくださいと言う。京極堂、いるんだろう、と不安そうな声で問うくせに、図々しくも上がり込むその矛盾。
 座敷に辿り着いた彼はへにゃりとした笑みを浮かべ、いるなら返事くらいしろよ、と愚痴った。
「やぁ、久しぶり。お土産買って」
 その言葉が全て紡がれる前に、京極堂は関口に口付けていた。関口は腕を引かれて倒れ込み、京極堂の胸に縋りつく。
 唇が離れ目が合う。一気に顔を赤らめる古書肆と、楽しそうににやにや笑う小説家。これではいつもと逆だ。
「…寂しかったとか?」
「…口が、な。君がいないから静かでよく本が読めたよ」
 京極堂は口元を覆い、照れ隠しに悪態を吐く。
「本ならいつも読んでるだろう。素直じゃないね。お土産に水羊羮が有るんだ、お茶を淹れようか?」
 君の淹れた茶は白湯の親類だからな、と笑いながらのろのろと体勢を立て直そうともがく。おとなしくしろと言うつもりで京極堂は関口の唇を舐めた。
「君は寂しくなかったのか?」
 いつからこんなに小憎たらしくなったんだと、京極堂は溜め息を吐いた。

「寂しかったよ、だから急いで帰ってきたんじゃないか」
 耳まで赤くして恥じらっているくせに強気な口調、そして戸惑いがちに稚拙なくちづけをする関口は初心(うぶ)な学生の頃のまま。

 前言撤回しよう。やはり僕の関口君は世界で一番可愛い生き物だ。
(了)


H25.4.27.
誕生日にmilaveのRё.から貰いました。ちょっとアレンジを入れましたが、関口が強気なのは仕様です。

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