三秒後には目を伏せて 2 | ナノ



「あー、寒っ」
 二つ三つのビニール袋が掌に食い込み、指の関節がすっかりかじかんでいた。両手を擦り合わせ、息を吐きつけることも叶わない。
 風が吹けば脆い枯葉が地の表面を土煙とともに滑り転がり割れた音を出した。年の末のはやる心と残業に追われる日程との相反する感情を背負った人々が、重さに耐えかねたように速足で通り過ぎていく。それが更に、一度は落ち着いた葉を巻き起こし舞い上がらせた。
 零落した木々の奏でる荒涼とした響きの隙間から獣の咆哮にも似た刀と刀同士の嘶きが絶えて久しい。あるいは春の花見の酒の飲み比べの間であったり、クールビズと称して両袖を切り落とした警察官であったり、はたまた河原での昼寝中であったり団子屋で職務放棄している時であったり、うっかり街中で鉢合わせした時などでもある。
 あの幕府や攘夷云々ではなく剣を持つこと自体にこの上ない誉れと誇りを感じていた黒の集団もふとある日蒸発してなくなった。と、人にはそう思わせている。あの大将でさえもしかとこの目を見据えて、新八の両眼を見据えて必ず帰ってくると約束したのだ。ゴリラだけれども。
 しかしかくれんぼでもしてるわけではないのだし、そろそろ姿を現してもいいと思う。文の一つでもメールでもなんでも寄越せばいいものを。
 なんだか眼鏡が曇り、仕方なくビニール袋を電信柱脇に落とす。これだから眼鏡は使えねーんダヨと脳内で毒舌な中華娘の声が反響し、慌てて隅へ追いやった。
 ふと寒さにすする鼻が苦いせつなさを呼び起こす。
「何でぃ、これだから眼鏡は使えねェんでさぁ」
「声に出てっぞ総悟」
 いやそこですか。あまりにも自然と心の中に入り込まれた気がして、それに反応もできずに普通に言い返してしまう。その間に眼鏡を袖で拭き、掛け直し、袋を再び持つ。それができてしまうほど、一年も聞かぬというのに、耳慣れた声だ。
「むしろそこですか土方さんに沖田さん」
 口に出して初めて自分の声が鼓膜を揺らした時、ああこの名前を呼ぶのはいつぶりだろうと、漫然と状況に追いつかない頭で考えた。
 墨染めの着流しに少し髪の伸びた土方は相変わらず煙草を片手にマヨ型ライターをもう片手にの肺癌予備軍であるし、声に少し低さを含んだ沖田も相変わらず死ねよ土方と軽口を忘れなかった。相変わらずそうであったが、違う。違うのだ。何が違う。
 何が違うと答えを沖田と土方の目から探ろうとした時、垣間見たのは時々己の上司に見た感情を含まないもの。それだ。刀の重みだ。鈍く光を反射する眼は情を宿さぬはがねである。これが戦か。天啓がひらめくように新八はそう思った。
 血生臭さは以前より、警察であった時より漂わせていたことは拒めない。しかしこれはまさしく修羅場という状況ではなく戦場という日々付き纏う環境が成すものである。
 それでも剣に生き、剣に死ぬ覚悟を貫くのか。
「今戻ったんですか?」
 新八は真選組の皆さんと言うには憚れた。幕府直属の武装警察真選組は既に存在しない。
「あぁ。今しがたな」
「…お久しぶりです」
「こちらこそ、新八くん」
 改めて照れくさそうに言った新八に軽く頭を下げて応えた山崎と不自然に視線を逸らした沖田を視界に留めた直後、新八を襲ったのは「おおおぉ、義弟よ!」というあまりにも暑苦しい抱擁であった。

 真選組が寝返った後、松平警察長官率いる警察庁さえも幕府から離れていったのは去年のこの頃だろうか。いや、もう少し後、年が明けてからかもしれない。あるいはそれは将軍が天導衆と手を切った時期か。それは春先だった気がする。
 日もまだ出でぬ宵口に爆音が真選組屯所を轟かせた。それがこの戦の発した、いわば産声とも言えよう。
 完膚なきまで、というようなことはなかったはずだ。土方も沖田も、近藤も伊達に名を馳せているわけはないし、銀時達も真選組が目的ではない故せっかく集った人力を潰すとは思えなかった。
 勧誘したのは桂と、そして意外にも高杉だと聞く。篝火が天を灯す寒空の下、相対する人と血と、研ぎ澄まされた刃と空気を照らす幻想的でさえある光景の中である。
「お前は武士道に死ぬか、力の下に生きるか。侍であるか、狗であり続けるか。自分で決めろ」
 選べ、と。桂はそう言った。その心根を表すかのように近藤が真っ直ぐ前を見つめた。獰悪な笑みを堪えて土方が紙煙草を咥え、火を付ける。落ちた灰を革靴で踏み、もしかするとその時、沖田がいつものように煙くせぇんだよ土方コノヤローとこぼしたかもしれない。山崎はきっと土方の後ろにいる。
 これは面白くなると銀時が乗り、坂本も乗った。元々そのつもりで来たのだ。案外そう提案したのは銀時ではないかと新八は思っていた。
 テメェらを見てると、とその後高杉が酒の席で口にしたことがある。
「昔の自分を鏡で見てるみてェで、こそばゆくて仕方ねェ。同志だなんて生ぬるい関係じゃない。テメェらはどうなるか、見ものだなァ?」
 近藤土方沖田山崎を順に一瞥し、高杉が冷笑を酒と共に飲み干した。
 …だが、俺達のような末路には絶対ェに立つんじゃねェよ。
 それからどこへどう転がって真選組が正式に戦に入ったか、新八は詳しく分からない。ただ、一度は刃を向けて、負けた。幕府への仁義は尽くしたと近藤か誰かからふと風の便りで聞いたような気もした。自分達は刀を握れればそれでいい粗野者だから、恩は忘れずだが己の進むと決めた道も忘れないと。

 これは期待してしまってもいいのだろうか。
 先程別れる前に二ヶ月間どこに消えていたのだと問えば帰郷と短い答えが戻って来た。あと墓参りでさぁと付け加えられる。あんたのところにもそろそろ帰るんじゃないのか?四人とも。また子ちゃんが泣いてたなぁ。近藤さんあんた姉さんはどうするんですか。ザキ俺はお妙さんのことを一日たりとも、いや、一刻たりとも一秒たりとも忘れたことがあるものか!勲は今貴女の元へと参りますお妙さん!
 とりあえず今夜は帰らない方が身のためだろうと決めた新八はその後の茶番に付き合えずに去ったのだが、これはもしかすると期待をしてもいいのだろうか。
 新八は引き戸に手を掛け、そして開けてしまえばただの幻滅しか待っていないのではないかと引くのを躊躇った。二つ三つのビニール袋を下げた手が乾いて粗くなった木目をなぞって止まる。
 決意を固めて引いた戸が少し引っ掛かり、カタリ。木と木のぶつかりあう音が耳に大きく木魂した。これで誰もいなかったら、とんだ間抜けだなぁと、頭の隅でそんなことも考える。
 真選組の消失で初陣を彩った第二次の戦は瞬く間に成長していった。昔の戦争に参加していた四人。英雄とでも殺人者とでも指名手配犯とでもただの幼馴染とでも、馬鹿とでも酔狂とでもなんとでも呼べばいい。その周りの人々。そして幕府に属していたはずの警察庁。長らく名を上げていなかった元御庭番衆の忍もいると巷では聞いた。あれほど屋根裏に潜んで一人悶々としていた猿飛も痔薬かジャンプかを求めて街を駆けていた服部も近頃見かけないことから恐らくは事実なのだろう。
 天人を排するものではない。天人と平等になるための戦である。反幕府ではない。将軍を傀儡とする人間の官僚、天人の天導衆を反するものである。そんな理想的な戦だ。
 だが、僕達はどうなる。残された僕達はどうすればいい。




 



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