三秒後には目を伏せて 3 | ナノ



 橙にと朱にと黄昏色に染まった室内はいつかの日を復刻したような一頁だ。濃い影に薄く束になる光の原色の空間にただいまの声が溶けていく。
「神楽ちゃん、は遊びに行ったか」
 道理で定春もいない。だが滲み出るのは間違いもなく人の気配。本当に本当に、今日だったりするのか。
「…銀さん?」
 冷蔵庫に物を入れながら声に出してみた。人を呼びかけるそのひびきを転がしながら、呟くようにそっと発せられたそれは思いのほか台所の冷えた空気に凍りつき、余響を残す。
「なんだよ?」
 一瞬息が詰まったのが分かった。振り返れば定位置だった回転椅子から銀色が覗いた。冷蔵庫の扉を力任せに閉め、居間に踏み入れる。坂田銀時そのものが、そこにいた。足音を立てながら事務机に近づいていくと同時に何から話そうかと新八は考えた。とりあえずなんだよとはなんだよ。一年以上も音信不通だったんだよ。聞きたいことなら山ほどあるぞ。
 いつもいつも自分達が見てきた黒の服と流水紋の片膚脱いだ着流しと、半纏。見る側が放心してしまいそうな気だるさを纏っている。彼がくるりと回って無造作に机に腕を放り出した手の甲に、大きく走る紅い線を見つけて、新八は目を瞠った。
 甲から袖に覆われた腕の先まで伸びるそれは、つい最近付いた傷痕なのだと解った。この極東の国の、男性にしては白い膚にある深紅の刀傷はきっとひとつだけではない。遠い昔のものも、自分を庇うが故に負わせてしまったものも、己の知らぬ新しいものも、背や肩や腹を走る大きいものも例えば頬を掻っ切る小さいものも、いくつも、幾つもあるだろう。どうしようもなく忌まわしいはずなのに、薄くついた筋肉に沿うように流れるそれを、不覚にもきれいだと、思ってしまう。
「銀さん、」
「どーした、新八」
 くしゃりと頭を掻き混ぜられ、面倒くさそうに彼は訊ねる。倦怠を装った裏の心配が悟れぬわけではない。ただいざ目の前に立ってみれば特に争って言いたいことなど抜け落ちてしまった。
 あー、これな。そうちらりと自分の手を見やり、銀時はまた大丈夫だとでも言うようにへらりと笑った。ヅラの実家行ったら階段が朽ちてて落ちたんだよ。家放り出して何やってんだあいつ。
「いや、そういうことならよかったです」
 この男は息をするように嘘をはくから、自分達もそれに合わせて法螺をふく。
 けれども緩慢とした動作で手を懐に隠したのを、新八は見逃さなかった。
「そんなんより、ほれ」
 あからさまに話題を逸らしながら、銀時はがさごそと引き出しを漁った。
「寺門通の直筆メッセージ入りアルバム。いらねーなら貰い手は多数いるから早く言えー」
 ひょいと手を引いた彼にいります、いりますから!と袋を奪い取る。「というか、いつお通ちゃんに会ったんですか」そう訊く口調の中には少し咎めるような風でもあった。
「最近…一ヶ月くらい前か?俺もどうせ新八だから聞かなかったことにするつもりだったんだけどよぉ、ばったりお通に会ったからついでに貰ってきたんだよついでに」
 お前、俺がどれだけ高杉のバカヤローに鼻で笑われ辰馬にも笑われトッシーに勝手に意気投合したみたいに話し掛けられたと思うか?!お前のせいだろと顔をつきだし続ける銀時に苦笑いで応える。
「そういう裏事情は知りませんって。というかついでにって繰り返さなくてもいいでしょーが。…で、その後はどこに消えてたんですかそのあとは。何やってたんですか」
「あー、後片付けとか色々忙しかったんだよ」
 言葉を探るように語尾を伸ばし、その後に被さるようにガラガラと戸が開く。ただいまヨー。その声に銀時が少し強張り、耳に寄って何を言うかと思えば「神楽ってあの二年後のあの神楽さんになってる、なんてことはねーよな?な?」と訊ねてきたのでとりあえず新八は懐に常備しているハリセンで銀時の頭を叩いた。
「なんか暇だったから葉っぱ拾ってきたヨ。五枚のやつアル。なんか皿出しとけヨ新八ー。…あ、銀ちゃん」
 神楽はふと動きを止め、それから何事もなかったかのように新八固まってないで早くするヨロシと促す。あーもうなんで電気も付けないアルカ?胡散臭そうな溜息と一緒に明かりがつき、爛々と輝く蛍光灯が夕闇に濃くなった影を消した。なんたるノスタルジア。そう嘆くこともできる懐古的な古ぼけた風景から一転、澱みがなくなった。付いた電気かこの少女の存在か。
「銀ちゃん帰ってたならなんとか言うネ。お土産とっとと寄越すアル」
 長椅子に寝転び、そのまま突っ伏した神楽にかなり体積の大きい包みが投げつけられた。シュッと片手で受け止め目にも留まらぬ速さで体勢を正す様子にどこか既視感を覚え、いや別に二年後のあーいう演出はいりませんから。新八が盆に水を溜めながらツッこんだ。
 包みを破りだした神楽は始終唇を堅く閉じ、顔を隠すように紙袋の中で数を数えはじめた。感情を表に出さないことには長けているが、表情に出さない力量には酷く欠けている彼女であるから、プレゼントラッピングくらいするヨロシと愚痴を続けながら泣き出しそうな、とびついてしまいそうな衝動が全て顔に書いてあった。
「酢昆布、日にち分って言ったはずアルヨ?」
「銀さん金なかったんだよだから週一箱ということに独断で変えましたー文句があるなら渡しませんー」
 というか、それでも軽く五六十箱はあるだろそこ。机に足を掛け耳をほじり完全に寛いでいる銀時は酢昆布の山の方へ爪を弾く。
 なんで。ボソリとこぼす神楽にん?と銀時が聞き返えした。銀ちゃん。呟いて彼の掌に頭をぐりぐりと押し付ける。諭すように頭を撫ぜられた。少し冷たくかたい手は大きく節ばったやさしいものである。胼胝と肉刺の増えた手に、わずかに違和感があったけれど、半ばやけくそ気味に噛みしめた下唇を離した。
「なんで週一でもそんな数を溜めるんダヨマダオが!なんでそんな長い間空けたんダヨ!」
 賞味期限が切れるアルヨ。項垂れるようにして声が小さくなっていく様子にあぁ、これも相当だなと湯呑で手を温めていた新八は思った。自分達の上司も相当な天邪鬼と、そしておそらくは偽悪主義者のどちらでもあるが、目の前で酢昆布を箱から取り出す少女も相当なものだ。寂しかったなら寂しかったと。早く帰って来いバカヤローとでも言えばいいものの、賞味期限だなんて。
 怒鳴るだけ怒鳴って黙りこくったあとの部屋は水を打ったように音による振動も何もない。
 神楽の横に座った銀時の顔を見れば、死んだ魚のような目を数回瞬かせている。前髪でよく見えないが、新八はきっとそうだと確信した。きっとその通りである。朱鷺色の頭を掻き混ぜる手が止まっているからだ。
 ふっと彼が静かに息を吐いたのが空気の震えで分かった。諦めたようにも、割り切ったようにも聞こえる。どちらにしろ、とてつもなくやさしい色を帯びている。
「ああ、悪かった」
 悪い、悪かった。待たせて。何をしていたかなど分からないほど幼くはない。それを承知の上で了承したのだから。謝ることなど、これではなくても他に有り余るほどある。それでもすまないと謝る彼の声が、いとも簡単に心を落ち着かせる。いつもの、記憶の中に残るそっけない返事ではない声を聞いた時、自分達はずっと不安だったのだと容易く理解した。

 そういえば…新八は神楽が帰る前に、二ヶ月間後片付けをしていたのだと言っていたなと思い出した。
「後片付けのための戦のその後片付けですか?」
「んー、そんなとこ」
 そう相槌を打つ声は面倒くささの滲み出るそれに戻っている。神楽が一心不乱に酢昆布を貪りながらも耳を傾けているのを目に留め、新八は続けた。
「帰郷とか墓参りとか。来島さんが泣いてたりとか」
「え、なんで知ってんの?」
「近藤さんとかが武州に行って墓参りしてきたって言ってたんで」
「サドにも会ったアルカ?」
 割り込んできた神楽に会ったよと頷けばあんの、と青筋を立てて傘の柄を握り締めた。銀時がそそくさと新八の横に避難してくる。戻ってきてこの神楽様に挨拶もなしとはいい度胸ネ。
「と、とにかく、ここ一ヶ月ですか?」
「お、おう。今度連れてってやるよ」
「銀ちゃんの故郷アルカ?」
「まあな」
 ところで今日は焼き肉に行っちゃいます?そりゃいいな、さっき辰馬の財布掻っ攫ってきたばっかりなんだよ。流石もじゃもじゃアル!それ俺への暴言でもあるよ神楽?知ってて言ってるアルからナ。…とりあえず八っつあん俺のいちご牛乳はどこよ?普通に逸らしたよこの人…スーパーに感謝して下さい今日は特売日だったんですよ。今取ってきますね。
 軋む床を踏む足音以外は、時折遠くから物音が届くだけだ。窓の外は暗闇の入る隙もないネオンの街である。それらは膜を隔てたかのように遠く、遠く感じられた。
「あ、卓袱台の上のそれ、ちょっと動かしてください」
 少し大きな盆に水が張ってある。それに季節外れの紅葉が四枚浮かんでいる。五葉だ。
「それより言うのを忘れてたことがあるヨ新八。これだから駄眼鏡は…」
「あ、そうだった。でも神楽ちゃんも忘れてたでしょ」
 分かりきっている、というような二人に銀時が首を傾げる。何気なしに目を擦った先にはタイミングを見計らう新八と神楽と、大きく欠伸をした定春がいる。
「おかえり!」
 盆の水の蒼に浮かぶ葉の朱に黄。いちご牛乳の甘ったるいピンクに蛍光灯管の白。目を刺すような極彩色の世界が少し、眩しかった。


 




2012・12/20


――――――
李逗様へ捧げます。
「万事屋で第二次攘夷戦争終了直後、銀時が帰って来た日」という素敵なリクエストでした。
張り切って書いたらすごい長さになってしまい、その割には万事屋?どこが?なぐだぐだな感じになってすみません。
気に入っていただけると嬉しいです^^





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