怯える暇なんて


与えられたためしもない


何の武装もできないままで


泣いて世界に落とされて





Act.1

REVELATION




「あーお母さん、愛だけどね、6日の面接お」


母さんそんなこと聞きたくない、

悲痛な金切り声を耳に残し、電話が切れた。「6日の面接を通過しました」かもしれなくない? まぁ落ちたんだけど、と思いながら携帯を耳から離すと、口が自然と尖った。そりゃあそんなこと聞きたくなかったろうが、私も言いたくて言ったわけではない。言わなければ言わなかったで「どうして訊かれるまで教えてくれないの? 母さんもしかして今度は通ったのかしらって無駄な期待しちゃったじゃない」と言うじゃないか。言ったじゃないか。


携帯の画面についたファンデと汗を拭い、鞄に放り込む。しかし母に抗議するには、私に非がありすぎることもわかっている。スーツの上着を脱いで肩にひっかけた。「長袖では汗ばむような陽気」はリクルートスーツに合わない。雨にぬかるむ道はローヒールパンプスに合わない。空気の一粒一粒まで春めくような季節は、就活に、全然、合わない。


もしかしたら私は人生をなめていたのかもしれない。


特別ラッキーなこともない代わりに特別努力しなくともなんとなく生きられる。そんな日々は望んだり拒んだりするものじゃなく、ただ続くものだと思っていた。こんなこと言うと人生を変えるような不幸が降りかかったみたいだけど、私の今の窮状はいっさいがっさいただの怠慢に起因する。もちろん私の。
落ちる方が難しいと言われる高校で遊びほうけ、友達が徐々に進学や就職を決めだしても重い腰を上げず、帰宅部・学校の成績赤点ギリ回避レベル・検定資格の類一切ナシの私が、


「貴方は高校生活で何を学んだと思われますか」

だの、

「これだけは人に負けない、というものはありますか」

だの、

「就活は今年の春から……ですか? 随分遅いですね? 何か理由があるならお聞かせいただけますか?」

だのに、どうして満足な答えが返せるだろう!


学歴を筆頭に、礼儀作法を含む一般常識、計画性、未来への展望、アグレッシヴな態度、面接官がつらつらと私にないものをあげつらうせいで、いまや長机にスーツを着た人間が並んでいるのを見るだけで私の胃はせり上がり、毛穴という毛穴からいやな汗が出、考えてきた嘘っぱち努力エピソードはたちどころに雲散霧消する。これでは受かるものも受からない。受からないものはもっと受からない。そもそも私の一年後輩ももう就活を始めているのに、わざわざ古い残りものを採りたいと思えないのも道理だ。そうして私がさっき報告したのは、ついに28社目の面接落ちになる。書類選考落ちはもう訊かないでください。数えたくない。


高校生活が無駄だっただのやり直したいだのと思ってるわけじゃない。忘れられない思い出も大切な友達もできたさ。ただ楽しいことばかり積み上げていけば楽しい人生ができあがるというわけでもない、それは悲しいほどわかった。



「雇う……雇われる、雇われるとき、雇われるならば……雇われ……たい……」



意味をなさない活用練習みたいな独り言が、だらだら出るのを止められない。すれ違う主婦が振り向く。就活大変ね〜みたいな、いたわりに満ちた表情――が、私のゾンビのごとき面相を見た瞬間一変し足早に歩き去る。腕の中のおもちゃみたいな小型犬だけがずっと私の方を見ている。なんだよ見せもんじゃねーよ。犬って就活とかナシに終身雇用されてんだな。何それ。ずるいわ。飼い主の手に足のせて飯食ってるお前らに私の気持ちなんかわかんねーよ。


いやいや。わかられても。


「あーあー」


なに犬にガチギレしてるんだ。自分をかえりみる度情けなくて脱力する。足はふらふらと、自宅近くの公園に入った。このまま、ハロワで印刷してきた求人情報と就活ハウツー本、書き損じ履歴書で足の踏み場もなく、29件目の不採用通知が待っているかもしれないアパートに帰る気がしなかったからだ。
そうアパート。私は家からさえ追い出された。


「お母さん思ったんだけど、あんた実家にいることで甘えがあるんじゃないの? 最悪フリーターでいいやとか思ってるんじゃないの? 家出なさい。就職なり結婚なりするまで家賃立て替えてあげるから」


お、お母様。そんな殺生な。ていうかうちが金持ちでさえあれば、私家事手伝いでいられたんだよ? ていうか結婚とかそんなあっさり言っちゃう? うちの娘をおいそれとやれるか! みたいな感じはないの? 私大事にされてなさすぎじゃない?
言いたいことは多々あったが私に非がありすぎる状態で以下略。まぁフリーターでいいかなーとか思ってる節があったのは事実だし、これもあの、千尋の谷に我が子を突き落とす的な、愛の鞭的な、ね。遅くなったら利子取るからねーと茶をすすりながら言うお母さんが涙で滲んで見えたりするけどきっとそうなんだよね。


やり場のない感情にまかせてぶんっぶんブランコを漕いでいたら疲れた、うえに酔った。もう若くない。今なら背広にワンカップの先客とも語り明かせる気分だったが、公園には人っ子ひとりいない。公園の本来のお得意様である子供たちの姿もない。まぁまだ正午過ぎだし、いやもう今の子供は公園でなんか遊ばないのか。実際私だって公園でなんかほとんど遊ばなかった。遊ばなかったくせに、ペンキの剥げた遊具たちのなかにいると、子供みたいな気持ちになる。子供みたいな心細さが、心もとなさが、体のなかにほんのり灯って消えてくれない。


学校にも、職場にも、家にも、属していないんだ。


その考えは少なからず私を打ちのめした。何かのために動く必要も何かのせいで動く必要もない。それがこんなに身軽で、こんなにむなしいことだとは思わなかった。


心のどこかで、地味な、誰がやっても変わらないような仕事を拒んでいた気がする。それが就活をだらだら伸ばした一つの原因でもあると思う。歯車になりたくない。自分にしかできないことをしたい。自分のために用意されていたような仕事が世界のどこかにある。なんでそんなふうに思えたんだろう。どんなにありふれた小さなものであってもいい、歯車になりたい、社会を動かす仕組みの端くれになりたい、今になってそう思う。どっかにあるのかないのかわかんない私を待っている天職より、今数合わせにでも私を使ってくれる仕事がほしい。


春何番だかわからない強い風が、鎖をきぃと鳴らした。それを潮に立ち上がる。何を考えても仕事のことに考えがいっちゃう、もう今日は寝てしまおう。ハロワも、就活サイトも、説明会も履歴書もエントリーシートも今日は、知らん。公園の入り口に向かう途中で、視界の端に白いものがちらついた。近づいてみる。掲示板だ。迷い猫だのゴミの集配日だのがごてごて貼られた掲示板。の中で、飛び抜けて白い部分の多い1枚。自然目は吸い寄せられた。何かの啓示のように。




支部員(正社員)急募

年齢経歴一切不問(学生不可)。資格・スキル等一切不要。

090-XXXX-XXXX
CSC機関日本支部






1行。


「ふっ」


思わずちょっと笑いが漏れた。自慢ではないがかなりたくさんの求人情報を見てきた、が、ここまで潔いものは初めて見た。
普段なら笑い飛ばしただろう。潔いと表現してやったが、これは世間一般では「うさんくさい」というのである。業務内容は? 労働時間は? 賃金は福利厚生は選考方法は? 何一つ明かされていない。学歴イラナイヨー資格もイラナイヨーと要らないものを伝えてくるだけで、じゃあ何が要るのか一切書かれていない。末尾に添えられた「CSC機関日本支部」の名もなかなかのものだ。なぁにがCSC機関か。SFに登場させるにもセンスのない名前しやがって。連絡先は携帯だし、かけたら変なSFマニアに繋がって、変な設定の遊びに付き合わされたりコスプレさせられたりするんだ。こわ! ハハ! 終了!


しかし、



「……いっさい……不問」




それを笑い飛ばすには、私はいかに自分が何もない人間か、わかりすぎてもいたのである。





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