仄暗い水の底から(ディバゲ/サフェシュレ)
2015/09/20 05:50

※堕水才に夢を見すぎた結果がこれです。
※水アレルギーのシュレを推したい。
※捏造は標準装備(合言葉)。









 水に触れることを、その悪魔は敏感な程に避けていた。
 口を塞ぐ義口型ドライバからは、声が漏れたこともない。普段から一言だって喋ったことのない堕水才は、それを決して人前では外すこともなかった。食事をしているところもサフェスは見たことがない。呼吸は問題ないのだろう、多分。そして食事も、その気になればほとんど摂らなくても平気な魔物も居る、と聞いたことがある。彼もきっとその類いだ。
 思えば彼のことを知らなすぎることに気が付いた。初恋のひとが二人いる、そしてとても一途な性格である(少し意味がわからない)、食べ物には好き嫌いはない、というくらいだ。もちろん、サフェスの知る限りでは、という枕詞がつく。経歴は調べてもある程度までしか出てこない、家族や友人の存在も不明。
 単に興味や好奇心の類いだ。

 その日、サフェスはシュレディンガーを訪ねて、教団の長い渡り廊下を歩いているところだった。西館最上階から二つ下の階に、水才の名を欲しいままにした頭脳を満足させるだけの設備を用意した部屋がある。そこがシュレディンガーの自室として機能している。そこには一応、「人間」が暮らせるような設備もあるが、何しろシュレディンガーは魔物であったから、それを使っているかどうかも怪しいとサフェスは思っていた。自分がほとんどベッドしかまともに使っていないからそう思うのだが、果たして。
 その部屋の前で、ノックの前にふと、動きを止める。
 サフェスは甲を向けて指を丸めた手を、ゆっくりとドアノブに掛けた。
 きい、という軋んだ音がやけに大きく響いたような気がする。やってはいけないことをしているときに聞こえる音は、だいたいの場合とても耳にうるさいことをサフェスは思い出した。彼には聞こえていないだろうか。空いた隙間から部屋の中を覗く。
 見える範囲には人影は無いのだが、ふおおお……と少し遠くから聞こえてくる……少し間をおいて、それがドライヤーの音だと気が付いた。
髪を乾かしている。
 「シュレディンガー?入るよ?」
もう既にドアを開けて足を踏み入れているのに、しれっとした様子でサフェスは声を掛けた。途端、聞こえてくるのはがたがたとものを揺らす音。ついでになにかを落として割れた音も聞こえて、これはまずいかと奥へ進んでいく。
 「シュレディンガー?」
寝室として誂えられた筈の部屋にすら、彼は機材やノートを持ち込んでいた。ソファに積みきれなかったのであろう資料の紙の束、床を埋める何かの機械と、それに繋がってどこかへ続いているケーブル、たまに床にも専門書や辞書のような本たちが散乱している。唯一無事なのはベッドの上だけで、初めてシュレディンガーの部屋を目の当たりにしたサフェスは、これは重症だとまず思った。
 しかし、それらは堆く積まれているわけではなくて、せいぜいが人の膝のあたりまでの高さだ。そのなかからシュレディンガーを見つけるのは少し時間を取れば簡単な筈なのに、動く気配すら見えない。まさかと思ってキッチンスペースへ足元に気を付けながら進んでいくと、しゃがみこんでいるシュレディンガーを見つけた。
 「ごめん、驚かせたのか」
首を横に振って答える。多分これは「気にしていない」の意思表示だ。驚いたのは否定しないんだな、とどうでもいいことをサフェスは思った。
 「もう少し片付けたらどう?スペースがなくなってキッチンで髪を乾かすのは、さすがに不衛生じゃないか」
首をまた横に振る。
 「さては君、この部屋のコンセントもタコ足にしているんだろう。この間危うく火事になりかけたのに」
無反応。
 「……どうかしたのかい」
無反応。
 ようやく何かがおかしいと気付いたサフェスがシュレディンガーの側に近寄ってみると、どうやら足を何かで拭っているようだった。
つい先程、何かが割れた音を聞いた。それはこれだった。
 「ケガでもしたのか」
これにもシュレディンガーは応えなかった。
 「……半分は僕のせいだろう、手当てしよう」
今度は首を横に振る。それも激しく。遠慮というより拒絶だ。
 サフェスは気が長い方だと自分を思っている。しかしまだるっこしいのは好きではない。道楽でいたずらに時間を浪費するのを良しとしない性格である。
 「何があって駄々っ子みたいに丸まってるんだ。そのままにしておくわけにいかないだろう」
苛立ってシュレディンガーの肩を掴む。びくりと体を震わせて、手元は固まったままになった。
 シュレディンガーの肩ごしに見えたのは、赤く腫れたような、爛れたような肌の足だった。その周囲に散らばるのはガラスで、どうやら何かの器を落として割れたのが破片になっている。
 「……なんだい、それは。切ったわけでは無いように見えるけれど」
まさかここで薬品を使った実験でもしていたのだろうか。流石に必要ないのかもしれないとはいえ、キッチンという食事を作るところへ得体の知れないものを持ち込むのは流石に嫌悪感が生まれた。
 しかし今はそれよりも、彼の爛れた足の方が重要である。
 「とにかく手当てだろう、救急箱くらいあるんだろうね?」
サフェスよりもいくらか大きな体を持ち上げられて、シュレディンガーは肩をサフェスに預けながらひょこひょことベッドまで歩いた。途中でサフェスが何かのコードに足を引っ掛けそうになって舌打ちをした。
 ベッドに座らされて、救急箱をサフェスが漁っているのを、シュレディンガーはじっと見ている。少しだけ居心地が悪い。軟膏とガーゼと包帯を取り出したサフェスが軟膏の蓋を開けるまで、シュレディンガーはサフェスの手ばかりを見ていた。
 「君、キッチンにこんな危険な薬品を持ち込むのはどうかと思うよ」
ため息まじりに話しているサフェスに、シュレディンガーは首を横に振って答える。
 「言い訳するな。その上ドライヤーを使いながら実験なんて、危機管理が杜撰すぎやしないか」
首を横に振って答える。
 「……じゃあ何だ、君、あそこでただ髪を乾かして水でも飲むところだったのか?」
首を縦に。
 どうやらシャワーを浴びた後、使えるコンセントを求めてキッチンに向かい、ついでに乾いた喉を潤そうとコップを水で満たしたところだったようだ。冷たい水が喉を通るのは気持ちが良く、ついでにドライヤーの音も手伝って、サフェスがノックもせずに部屋に進入したのに気付かなかったようである。そこへいきなり声が聞こえて、驚いてコップを落としたらしかった。
 ほとんどサフェスのせいだったが、当の本人は悪びれもしていない。シュレディンガーがノックをしていないのに気付かなかったのなら、サフェスがドアを勝手に開けたのも彼のなかでは仕方がない事である。
 「けど、じゃあ、この足は何なんだ」
不可解なのはシュレディンガーの足だ。ガラスの破片で切ったわけではない。軟膏を塗っていて気付いたが、彼は怪我はしていないのだ。
 思い出すのは足を抑えるように拭っているところだ。まるでなにかを我慢しているように腕に力を込めていた。
 「まさか水がかかっただけでこうなるわけでもあるまいし」
そうサフェスが言うと、シュレディンガーはゆっくりと、首を縦に動かした。
 その様子をサフェスは、しばらくは理解できないとでも言うように見送っていた。
 「……水がかかったのは此方の足か?」
ガーゼをあてた足を指差すと、シュレディンガーが頷いた。
 シュレディンガーの右足と、顔を交互に見合わせる。赤く爛れた肌の痛々しい足と、深海のような落ち着いた色の瞳。その目が全てを肯定していた。
 「君、仮にも水の才能があるってのいうのに、水がかかるとこんなになってしまうのか」
飲むのは平気なのだろう。コップに水を入れて、喉を潤わせるのが彼は好きらしい。
 けれども雨の降る日は、彼は外に出ようとしなかった。少なくとも教団に招き入れてからは、ただの一度も。自身が水を操る力を見せるときでさえ、自らの近くには近寄らせなかった。
 その全ての理由がこれであるならば、致し方の無いことである。
 「……西魔王をいつも見るだけで、近づかなかったのはこれのせい?」
痛々しく赤らんだ肌の、なんて甘美に見えることだろう。
 初恋を求めて心を砕き二心を懐いてまで、ようやく合間見える時が近くなっているのに。水の祝福を受けた二人の兄弟と、やっとのことで「話」ができると思っていた彼は、水を操る代償に、水から呪いを受けている。
 ともすれば、サフェスの存在も彼にとっては脅威だったのだろう。サフェスは水を冠した、人工とはいえ神なのだ。そんな彼が世話役では、シュレディンガーは恐れて当然なのではないか。
 けれども、どうだ。意思表示をせず流されるままに過ごしているとはいえ、シュレディンガーは大人しく、世話を焼かれているではないか。水の力を持つ者を避けてもいい筈なのに、西魔王には近付かず、サフェスには従順であった。
 恋に溺れた男の、唯一にも見える弱点がこれだ。それを知っているのは。
 「……これは、他の誰かは知っている?」
シュレディンガーが首を横に振って否定するのを、ほの暗い、後ろめたいような悦びに心を浸してサフェスは見ていた。
 この熟れた果実のような足を知っているのは自分の他にはいないのだ。
 何かを感じ取ったのか、シュレディンガーが足を引っ込めようとするが、それを易々と赦しはしなかった。まるい爪を指先で撫でて包帯を巻くと、シュレディンガーは硬直してしまった。
 そこでサフェスは初めて気が付いた。
ドライバを着けていない、シュレディンガーの素顔を見るのも、これが初めてだった。







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水アレルギーの堕水才推し

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