■■■■ Full moon
2
激しいキス。
夜のしじまに響くのは、重なりあう唇が奏でる濡れた音と零れる吐息。
息苦しさに思わず逃げを打つ体は背にした壁にしっかりと縫い止められ、今にも崩れ落ちそうな理性ごと支えられていた。
数刻前、身体を重ねた時の事を彷彿とさせるくちづけに、セリスの身体は翻弄されながら徐々に熱を帯びていく。けれども、
「ん…っ、ま、待って…」
窓は閉めたけれど、カーテンを引いていなかった事に気づく。
例え夜も更けているとはいえ、窓辺でこんな事をしていては誰かに見られてしまう可能性もないとは限らなくて。
セリスは霞がかった頭を振り、キスを中断させてロックの胸を押しやりながら狼狽した。
「こんな所で…誰かに見られたら――」
「――そんな恰好で窓際に立ってたのはセリスなのに?」
ペろりと唇を舐めて揶揄しながら、含みのある表情を返すロック。
言われてみると確かに不用心な自分の姿に今更ながら恥ずかしいものを感じたセリスは、かき集めるように前を両手で合わせて顔を赤く染めた。
そんな恥じらう様子を見せるセリスに思わず微笑みを零すロックの表情は優しく、けれでも「いいんだけどな、別に見られても」などと軽口を叩く彼はやっぱりどこか意地が悪い。
「…で、セリスはここから何見てたの?」
唐突に尋ねられて、セリスの瞳に僅かに陰りが帯びる。
けれどその表情を咄嗟に苦笑に変えて、セリスは答えた。
「ん、月がね、」
「ああ、満月だな。今夜は」
今だ窓枠に手を置くロックの両腕に囲われたまま、セリスは再び窓の外に目を向けて月を仰ぎ見る。
星は燦然と瞬き、月はとてもきれいに輝くのに…。
「私ね…、満月が苦手、なの」
そう、こんなにも。
私はあの輝きが、怖くて、恐ろしくてたまらない。
「なんで?」
否定的な言葉への当然の疑問符。
セリスは思わず零してしまった言葉への疑問にどう答えてよいものか考え倦ねいたけれど、正直な答えを口にするのも気が引けて敢えて誤摩化した。
「…追いかけてくるでしょう?月って」
「追いかける?」
「そう。高い所に浮かんで見下ろして、走っても走っても追いかけてくるのよ。それが何だか怖くって」
「それって、満月に限らず三日月でも同じだと思うけど?」
「そうなんだけど…、満月のほうが大きくてより怖いのよ」
そう答えると、ロックはぶはっと盛大に吹き出して笑った。
「…そんなに笑う事ないじゃない」
「ごめんごめん!いや、意外に可愛いトコあるんだなーと思ってさ」
「"意外に"は余計よ」
「うん、セリス可愛い」
「もう…」
茶化されて、頭を撫でられて戯れるように抱きしめられる。
拗ねた口ぶりを見せつつも、セリスは上手く誤摩化せた事を心の中で安堵していた。
語らずに済んでよかった。
満月を畏れる本当の理由を。
広げた両の手の平に、月明かりを掬うように受けてみる。
淡い光を受けたその手は、みるみるうちに朱に染まりはじめ、やがて視界に映るもの全てが朱く染まっていく。
自らが剣を振るい、自らが手をかけた。
その感触。その光景。
それは拭っても拭っても、決して消える事はない…罪の記憶。
呼び起こされる、月が満ちるたびに。
だってあの月は、今もあの時と同じように、あの時と変わりなく輝くから。
…心を、狂わせるから…。
「満月は、」
耳元で響いた低い声に、現実へと引き戻される。
染まっていた手の平はもう朱色を帯びておらず、いつの間にかロックの両手に包まれていた。
「人の心を狂わせる、よな」
「え…、」
そう零した彼の言葉に、思わずドキリとする。
――…心を、読まれたのかと思った。
そんな事を、彼の口から聞くなんて思いもしなかったから。
振り返り彼を仰ぎ見れば、そこには甘やかな笑みを浮かべるロックがいて、
「だってこんなにも、」
彼の手が、乳白色のカーテンを引く。
月明かりが柔らかなオーガンジーに遮られ、部屋に薄闇が戻った瞬間、
「セリスが欲しくてたまらない」
絡まる視線
近づく唇
二人の吐息は再び混ざり合っていく
熱く 甘く
蕩けそうなぬくもりを求めあい、与えあって
飽く事なく身体を繋いだ
何度も 幾度も
今はもう
月は見えない