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ようこそ三日月堂へ!

本日も江戸かぶき町の空は晴天です。いまだに空に浮かぶ舟を目にすると怖くなりますが、ずいぶんとこの町、この世界に慣れてきました。そろそろ『三日月堂』開店の時間です。

第1話

「名前ちゃん、この荷物から開けてくれる?」

「あ、はい!」



私はこの世界の人間ではない。自分が生まれて存在していた世界で、いったい何があってこうなったのかは分からないが、ふとした瞬間に私は知らない世界にきていた。最初は知らない場所かと思ったが、町並みや行き交う人たちの姿、そして空に浮かぶ機体はあきらか初めて見るもの、慣れないものばかりで、すぐに“異世界”だと思った。ただ、理解に至るまではずいぶんと時間を費やした。どうしてなんでここはどこ?なんてこと誰かに聞ける勇気もなく、どうしていいかも分からずに、途方にくれる、絶望するというのはこういうことかと、身に染みて実感しながら呆けと突っ立ていたところに、手を差し伸べてくれた人がいた。



「おじさん、“ジャンプ”外のラックに出してきますね!」

「うん、頼んだよ。」

「今日も名前ちゃんは元気ね〜。」



それは、深月さんというご年配の夫婦だった。私はここ、かぶき町の少し外れにひっそりと佇む新刊古書店「三日月堂」の前に突っ立ていたところを、この2人に声を掛けられた。どうしたの?という優しい声色の問いかけに、私は我慢を抑えきれずに、とうとう泣きながら、ここがどこか分からない、どうして私はここにいるのかと尋ねた。夫婦は顔を見合わせると、とりあえず落ち着きなさいといって、私の背中をそっと撫でた。その手つきがあまりにも優しいものだから、私はさらに声をあげて泣いてしまった。そんな私の手を引いてお店兼自宅に招き入れてくれた深月さん夫婦は、いそいそと温かいお茶を出し、お腹は減ってないかと、たくさんのご飯を作ってくれ、そして今日は疲れただろうといって温かい布団を用意してくれたのだった。



「そうだ名前ちゃん、昼から配達頼んでもいいかな?横田さんのところに今日入ったこいつを届けて欲しいんだよ。」

「それは大丈夫ですけど、横田さん、まだお身体が…?」

「年だからねぇ。床に伏せてると楽しみはもう読書しかないから、面白い本はなんでも買うから持ってきてくれって。昨日も元気な声で電話があったんだよ。」

「あはは!じゃあ昼に行ってきますね!」



一晩泊まった翌朝、深月さん夫婦はおはようといってまた美味しいごはんを食べさせてくれた。そして、まずは警察に行ってみようか?と提案してくれた。ただ、2人してお店を休むことはできないため、おじさんが店番をし、おばさんが警察まで連れて行ってくれた。



私は警察の人に、ここがどこなのか、どうして自分がここにいるのか分からないことを正直に話した。予想通り困惑はされたが、多少は親身に話を聞いてもらえた。


まずは役所に連絡を取り、私のことを調べてもらったら、驚くことを告げられた。どうやら私にはきちんと戸籍があるというのだ。警察に見せてもらった書類には、確かに自分の名前が記載されており、生年月日も間違いなかった。ただ紙面上では全く見覚えのない父と母の名が連なり、そしてすでに他界していることが書かれていた。兄弟もいないらしい。住居は、記された場所に今もあることはあるが、ずいぶんと前から空き家になっていると警察の人が教えてくれた。つまり、一人娘であるらしい私は、両親他界後に行方をくらまし、そして戻ってきた今、何かしらの理由で記憶を失っているのだろうと、警察はそう見解をつけた。

とはいえ、そんなこと到底理解も納得もできない私は、その場で固まってしまった。そんな私の代わりにおばさんは警察の方にお礼を述べてくれ、そしてさぁ行こうかといって私の手を引いてくれた。



警察署から少し歩いた先で、おばさんは唐突に今日は少し暑いね、喉が渇いたからどこかお店に入ろうか。美味しい甘味処があるんだよ。甘いものは好き?と、聞いてきた。ただ、そう話しかけられていると分かっていながらも、私は何一つと言葉を返すことができないでいた。

昨日はまさしく絶望だった。でも、深月さん夫婦のおかげで、何とか今はこうして地に立てている。だけど、困惑状態は変わらない。変わらないどころかいっそのこと増していっていた。





「名前ちゃんって呼んでもいいかしら?」



おばさんおすすめの甘味処はよく時代劇でみたような、軒先に長椅子が設けられている、まさしく団子屋さんといった場所だった。若い子だからファミレスのほうがよかったかしら?なんていいながらも、ここの団子はとっても美味しいのよといって、おばさんはお店の人に、慣れたように団子を注文した。そしてすぐに出てきた団子を、美味しそうに頬張りながら、そんなことを私に聞いたのだった。



「…はい。すいません、昨日から見知らずの私なんかに、こんなによく、してもらって…。」

「なんか、なんて言っちゃだめよ?生きているだけで儲けもん!ってよくいうじゃない?…あのね、名前ちゃんが、さっきの警察の方々がいうように記憶がないんだとしたら、記憶をなくすほどのことがあったってことだと思うの。だけど、こうして生きている。それだけでいいじゃない。」

「…でも。何もないんです私。行くあても、これからどうしていいかも、本当に、」

「不安よねえ。ご両親もご兄弟もいないんですもの。」



そうおばさんにはっきり言われて、私はぎゅっと唇を噛んだ。そうしないと、この不安に押しつぶされて今度は泣くだけでは済みそうになかった。



「だからね、新しく作るっていうのはどう?」

「…え、」

「作るのよ、新しく。あなたにとって大切な人、場所、記憶。そりゃあ元に戻るのが一番よ?でも、戻すための手段なんて今なにも思いつかないじゃない。そうでしょ?だったら、これからあなたは新しく、再スタートするなんてどうかしら?」

「そ、んな」

「まずは住む場所と、あなたを支える家族だけども、いい提案があるの。聞いてくれるかしら?」



おばさんはふふふと笑って、また団子を頬張った。そしてなんのことはないという風に、言ったのだ。



「私たちのところにきなさい。」





「名前ちゃん、そろそろお昼時だから配達頼むよ。帰りにおつかいもお願いできる?」

「もちろんです!リストこれですか?えーっと、あれ、お団子ってあのお団子屋さんの?」

「うん、そうだよ。今日はお祝いだからねえ。」

「お祝い、ですか?なんの?」

「名前ちゃんがこの家にきた日じゃないか。」

「え、」

「一年前の今日だよ、名前ちゃんが私たちのところにきてくれたのは。だから、今日はお祝い。誕生日にケーキは食べたから、今日という祝い事には団子がいいって妻がいうんだよ。」

「だって私と名前ちゃんが初めて一緒に食べたものですもの。ね、買ってきてくれるかしら?」



思わず溢れ出そうな涙をぐっとこらえて、私ははいと返事をした。そんな私を深月さん夫婦は優しく笑ってくれた。私は照れを隠すように、元気よく行ってきます!といって店をあとにした。

あれから幾度となく、この家で深月さん夫婦の温かさにふれ、優しさで胸がいっぱいになった。その恩返しを少しでもしたくて、私は毎日こうして三日月堂のお手伝いをしているのです。


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