教育実習生は通常授業日に実習を受ける。
学校行事等で本来休日である日が実習日となれば参加は必然になるが、生徒に割り当てられた休日は実習生も休みになる。
休日、朝。
特に学校行事はなく部活動の指導に参加していなかった八千代は自宅で睡魔に負けていた。
自室のベッドの上で俯せの状態から「起きろ」と脳内で自分に言い聞かせて続けているが、指先がぴくりとも動いてくれない。
学んだ事の復習。実践授業の反省。そこから教諭達から受けた指摘・意見・改善点をまとめて、指導案の見直し。割り当てられた授業範囲の予習。次の週の準備。
手をつけたい事は山程あったが身体が重たくて動かない。
想像以上に疲労が溜まっていたらしい。
瞼が開かない。
今日は一旦このまま眠ってしまうしかないようだ。
自己管理が出来ないなど情けないと自分を叱責しても睡魔が和らぐ事はない。
今日はくるの見舞いに行きたいとも思っていた。
窓から差し込んでいる日光が当たっている部分が布団越しでも暖かいと感じる。
きっと今日は快晴なのだろう。
午後には見舞いに行けるだろうか。
そんな事を考えながら、八千代は睡魔に抗おうとしていた意識を手放した。



ヨシノは自室のベッドの上で、飼い猫である山田さんと戯れながらごろごろと横になっていた。
休日の朝、山田さんが「構え」と言いたげにヨシノに寄ってくる時は大抵八千代が就寝中の時だった。
休日でも生活リズムを崩さず早起きの八千代がヨシノより先に起きていないのは珍しい事だったが、ヨシノは特に気に留めず、ベッドの上に投げ出していた携帯を手に取る。
時刻は9時を過ぎたところだった。
そろそろ起きて朝食でも食べようか。
そう思い、ヨシノが身を起こすのと自室の扉が勢いよく開いたのは同時だった。

「紫乃!おはよう!」

溌剌としたとした声で八千代が顔を出した。
その姿を確認すると山田さんがベッドから飛び降り八千代の足に擦り寄る。

「おはよー。朝から元気だね」
「休日だぞ、寝てる方が勿体ない!…て、もしかして寝てたか?」
「んにゃんにゃ、起きようとしてたとこ」
「そうか、ベストタイミングか!」

山田さんの頭を軽く撫でてから、軽い足取りで八千代がヨシノに近寄り覆いかぶさった。
八千代はそのまま肘をついて上半身を起こし、ヨシノの瞳を覗き込むように顔を寄せる。

「今日のご予定は?」
「特にないよ」
「そっか!」

目を逸らす事なくヨシノが答えると八千代が嬉しそうに笑う。

「だったらさ、これから買い物に付き合ってくれないか?」
「いいよ」
「有難う!俺より紫乃の方が葛城君の事知ってるだろうし、助かるよ!」
「にゃ?くるちゃん?」

突然会話に浮上したクラスメイトの名前にヨシノが疑問符を浮かべた。

「うん。葛城君のお見舞いに行こうと思って」


八千代小夜は単一でありながら、本来の人格とは異なる独立した人格を有している。
生まれつきそうであったのではなく、幼少期を過ごす過程で心的外傷から自分を守るために働いた防衛反応により、人格が解離したのだった。
痛みに繋がる記憶を切り離し、回路を遮断して、隔てた。
本能的にそうする事で八千代は心の平穏を保っている。保っていられる。
それらが積み重なって、ひとつであった人格が区画された。
しかし記憶を完全に捨てる事など出来ない。
結局、痛みを保有しているのは八千代自身だった。
そうして一つの器の中に二つが積み重なっていった。
無意識に切り離し、押し付けた分だけ、人格は成長した。
そこからもう一つの人格が形成されていき、いつしか感情が生まれた。
意思を持った。
解離した。
お互いがお互いの事を認識してはいない。
それぞれの人格が同時に表に出る事はない。
なので、大抵はそれぞれが主観的体験をした記憶は共有していない。
けれど稀に、情報量に差異はあるが記憶を共有している事があった。
事故現場を目撃していない人格が「見舞いへ行く」と言いだしたように、印象に残っている出来事などは特に色濃く記憶を共有していた。

八千代とヨシノは街にある大型商業施設に向かう事にした。
様々なレジャー施設やショッピングセンターなどが入っている複合都市施設で、そこに行けば商品を物色出来るし、何を買う事になっても購入出来ると判断しての事だった。
住宅街は静かなものだったが、大通りが近付くと駅から近い事もあり人通りが増す。
人の声、商店の店内BGM、様々な明るく賑やかな音で街は溢れかえっていた。
二人が目的地に向かって歩みを進めていると、ヨシノの前を歩いていた八千代が突然くるりと振り向き手を差し出す。

「人混みで離れてしまわないように手でも繋ぐか?」
「ノーサンキューだよー」

ひらひらと手を振ってヨシノが断った。

「紫乃はもっとお兄ちゃんを頼ってくれてもいいと思うんだよ」
「だったら頼りになるお兄ちゃんが俺を見失わないように歩いたらいいんじゃないかな」
「なるほどなるほど」

八千代は手を引っ込めて後ろ手に組み、進行方向を背にしてヨシノと向き合い歩きながら歓談をはじめる。

「葛城君へのお見舞いの品、何が良いと思う?」
「果物とか定番でいいんじゃない?」
「どの果物がすきか知ってるか?」
「知らなーい。無難にメロンとかでいいんじゃない?」
「メロンのどこが無難なんだよ。葛城君がメロン嫌いだったらどうするんだ!」
「くるちゃんの好き嫌いを知らないのにそんな事考えながら選ぶの?決まらないんじゃない?」
「お前だってどうせ貰うなら貰って嬉しい物が良いだろうが」
「それはそうだね」

八千代が変わらず後ろ向きに歩きながら、腕を組んで呻る。

「果物から離れよう。紫乃、葛城君がすきな食べ物って知ってるか?」
「それなら知ってるよ、アイスクリーム!」
「へえ。葛城君と甘い物ってなんだか意外な組み合わせだな」
「だよね。たまたま知った時に意外だねって口にしたらどつかれちゃったよ」
「葛城君は誰に対してもツンツンだな」

八千代が軽やかに笑う。

「どのアイスがすきか知ってるか?」
「知らなーい。無難にバニラとかでいいんじゃない?」
「バニラのどこが無難なんだよ。葛城君がバニラ嫌いだったらどうするんだ!」
「くるちゃんの好き嫌いを知らないのにそんな事考えながら選ぶの?決まらないんじゃない?」
「そうだな。さっきと同じ会話になってるしな」

八千代がようやく前へ向き直る。ヨシノよりも先を歩いていたので、ヨシノが隣に並ぶまで待って歩みを再開する。

「葛城君が貰って嬉しい物ってなんだろう」

教育実習に入って1週間以上経つが、さすがに各生徒の好みまでは把握していない。

「プリンなら喜ぶかも」
「お、そうなのか」
「お兄さんがプリンすきなんだよね」

突然出て来た“お兄さん”という単語に八千代が目を丸くする。

「葛城君、お兄さんがいるのか」
「いるよ、くるちゃんとまるで双子のようにそっくりなお兄さんがね!きっとさっちゃんでは見分けがつかないね」
「ほほう、それは是非会ってみたいな。でもどうしてお兄さんのすきなものをあげたら喜ぶんだ?兄弟揃ってプリンがすきなのか?」
「んにゃ。くるちゃん人から貰った物に口つけないだろうし、プリンだったら捨てずにお兄さんにあげるかなって」
「寂しい事言うなよ」

でも確かに人から貰った食べ物を口にしそうにないな、とくるを思い出しながら八千代は苦笑する。
そんなやりとりをしていると目的地に到着した。
甘いものと条件を絞り、幾つかの店舗を回った結果、お見舞いの品はくるが貰って喜ぶ物として案が出た物の間をとってプリンアイスを選ぶ事にした。

手土産を携え八千代とヨシノの二人はくるが入院する病院へやってきた。
院内に足を踏み入れる。
休日の病院はやはり来院者数も多く老若男女が行き交っているが、外の喧噪とは一変してひっそりと落ち着き静まりかえっている。
総合受付でくるが入院している部屋番号を尋ねまっすぐに病室を目指した。
病室の扉横に掲げられている、各部屋に割り当てられた番号が書かれたプレートを確認しながら廊下を足早に進む。
他の階の番号札には多くて四つのプレートが掲げられていたが、この区画の番号札には一つしか番号が書かれていない。個室なのだろう。
看護師から聞いた部屋番号の扉の前に辿り着き、八千代がノックをする。
しかし部屋の中から返事はない。
もう一度ノックする。
返事はない。
中から物音もしない。

「どしたの?入らないの?」

八千代に歩行速度を合わせる事なくマイペースに後ろからついてきていたヨシノが追い付いた。

「返事がなくってさ。寝てるのかもしれない」
「でも冷凍庫に入れないとアイス溶けちゃうよ」

言いながらヨシノがノックもせず扉を開け放った。
どうやら個室は相部屋とは造りが全く異なるらしく、扉を開けまずあったのは奥へと続く通路だった。
先を行くヨシノの後を追い足を踏み入れると、右手にミニキッチンがあった。個室にはこんな設備まで揃ってるのかと驚く。
更に奥へ進むと広い空間が広がった。目の前にはソファベッドやテーブル、観賞用植物、リクライニングシート、液晶テレビが設置され、白を基調とした居間のような空間が出来上がっている。
八千代が抱くベッドとその脇にテレビが設置された簡易な病室イメージとは異なり、まるで個人宅のようだ。
確かにくるの性格を鑑みると個室という配慮は適切だろう。
親が指定しない限り、医者が勝手にこんな個室に子供を通す筈がない。
ならばこの配慮は親によるものという事だ。
しかし八千代には、くるが安静にして治療に専念出来るようにというよりも、相部屋にした事で蒙る揉め事を避けるために適用した結果に感じられた。
あの父親が子供に対して不便がないようにと選んだとは思えない。
あの父親。葛城叶。
何処で、どのような経緯で会ったのかは覚えていないが、くるの父親と確かに邂逅した事は覚えている。
真意を知りもしないのに、くるの父親に抱いた心象から勝手に想像して苛立ちを覚える。
何処で会ったのか思い出せない程おぼろげにしか認知していないのに、沸き起こる軽蔑の感情が自分でも不思議だった。
それ程までに、八千代が葛城叶に抱いた第一印象は色濃い嫌悪感に塗れていた。
左手に目をやると、ベッドが視界に入った。
それでも病室のベッドでまず思い浮かべるパンプベッドではなく、木目調でモダンスタイルのベッドだった。
その傍らにヨシノが立ち、上布団を掴み揺さぶっている。
上布団を内側から掴む両手が見える。
八千代がやっぱり寝てたのか、と思いながらヨシノをベッドから引き剥がした。

「コラ、何やってるんだお前は」
「俺の顔を見た途端布団に包まっちゃったから引っ張り出すゲームのお誘いかと思って」

どこまで本気で言ってるのかが分からず八千代が溜息をついた。

「ごめんな、葛城君」

ヨシノの非行を詫びると、くるが上布団をずらしちらりと八千代とヨシノを見た。
そして何も言わずに再び布団の中に逃げるように包まった。
上布団を引き剥がしたくなる気持ちが分かったような気がした。

「にゃはは、さっちゃん避けられてる」
「うるせえ」
「ふられんぼー」
「だ・ま・れ!」

からからと笑いながらヨシノが踊るように軽やかな足取りで八千代の後ろを通り、ソファベッドに身を投げ出した。

「このソファふかふかー」
「よかったな」

勝手気ままに振る舞うヨシノをいちいち気にしていたらきりがないと棒読みで返し、八千代は布団に包まり出てこないくるに向き直る。

「葛城君、身体の具合はどう?」

返事はない。
気にせず八千代は続ける。

「騒がしくしちゃってごめんな、見舞いに来たつもりだったんだけど」

今の八千代に事故現場を目撃したという記憶はない。くるは事故に遭って入院しているのだと認識していた。
くるは布団から顔を出さない。分かりやすい拒絶に八千代が肩を竦める。
けれど、そんな風に布団に包まるといった行動が取れるという事は快方に向かっているのだろう。痛みを引き摺っていればこんな事する筈がない。
素直に良かった思い、安心する。

「お見舞いにアイスを買ってきたんだ。冷凍庫借りるよ」

八千代は見舞いのアイスクリークが入った箱を掲げて見せた。
けれどやはり返事はないし布団に包まり頭を出す気配すらなく、八千代は溜息をつく。
いくら保冷剤が入ってるとはいえ氷菓子なのでいつまでも外に出していては溶けてしまう。冷蔵庫があったミニキッチンへ向かおうとくるに背を向ける。

「葛城君がどのアイスがすきなのか分からなくって。プリンアイスが口に合うと良いんだけど」

そう口にした途端、背後で布団からがばっと起き上がる音が聞こえた。

「?」

振り返るとまっすぐに八千代を見つめ掌を上に向けこちらに手を差し出しているくるの姿があった。

「……」

手に持っているアイスが入った箱とくるを交互に見る。

「…今、食べるか?」

八千代が尋ねるとこくりと頷いた。
箱からプリンアイスとスプーンを一つづつ取り出し、手渡す。
受け取るすぐに一掬い口に含んだ。

「…おいしいか?」

二口目を口に運びながら、八千代を見る事なくくるが頷く。
その様子に思わず笑みがこぼれる。

「そっか。それは良かった。じゃあ残りは冷凍庫に入れておくな」

三口目を口に運びながらくるが頷く。
喜んでもらえのだろうか。
八千代は内心胸を撫で下ろした。


目的であった見舞いを済ませ、八千代とヨシノは病院を出た。

「葛城君、元気そうで良かった」
「そだね」
「プリンアイスも気に入ってくれたみたいだったし」

正直八千代は家を出る前ヨシノに言われた通り、くるが人からの贈り物を素直に受け取る所が想像出来ず、目の前でゴミ箱に投げ捨てられる所まで想像していた。
しかしあの後プリンアイスを矢継ぎ早に3個完食し、4つ目に手を伸ばそうとした所で八千代が「食べ過ぎだ」と止めたのだった。

「そういえば、葛城君の右目の色、色素が薄くなってたな」
「にゃ?」

ヨシノが首を傾げる。

「事故にあった時損傷したのかな。視力に影響ないといいけど」
「や、あれは」
「なんだよ」
「えっとー、病室にいてプリン沢山食べてた人の事でしょ。あれね、くるちゃんのお兄さんだよ」
「ん?」

八千代も首を傾げる。

たった今ヨシノが告げた事をゆっくりと脳内で整理する。

「そっくりだったでしょ」

つまり。

「くるちゃん、お兄さんに代わって貰って病院抜け出してるんだね」

くるちゃんらしーい、とヨシノが屈託なく笑った。
八千代は頭を抱えたい衝動に駆られ、人が行き交う商店街の真ん中で叫んだ。

「何でそんな大事な事を言わないんだよお前は!」


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