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「翔ちゃん…生まれつき心臓が悪いんだ」
「心臓…?病気、って…こと…?」
非常灯しか点いていない、薄暗い夜の病棟。救急外来の待合室のソファに座る私に、薫くんがぽつりとそう、話した。小さく頷いた薫くんは悲しそうに笑って私の横に腰を下ろす。翔ちゃんは今、処置室に入っていて…お医者さんの診察を受けている。
「け、けど…治るんだよね?」
薫くんの言葉にドクドクと心臓の音が激しく鳴る。
ただの体調不良じゃないと予感はしてたけど、心臓が悪い…だなんて。あんなにいつも元気いっぱいで笑顔の翔ちゃんが…想像出来ないよ。
しかも生まれつきということは、翔ちゃんは小さな頃からずっとずっと、病気と闘っていたっていうの…?
「正直……今のままでは難しいって言われている。きちんと完治させるなら、ここじゃなくて…もっと海外の大きな病院で手術をしないと」
信じられなかった、信じたくなかった。
だけど薫くんの表情は嘘を言っているとは思えなくて。嫌でも、それが真実なのだと思い知らされた。
「………」
目の前が真っ暗になる。ついさっきまでの楽しい時間が嘘のように、暗闇のどん底に落とされたようだ。翔ちゃんのいつもの笑顔と、苦しそうに歪む顔が交互に浮かんできて、私はただ膝の上で拳を握るしかなかった。
「……早乙女学園に入るって翔ちゃんから聞いた時ね」
薫くんの声がワントーン高くなった。落ち込んでる私を気遣ってくれているんだろう。顔を上げることすら出来ない私の横に、薫くんはゆっくりと視線を合わせようと屈んでくれる気配がした。
「僕、本当は反対したんだ。けど翔ちゃんってば聞いてくれなくて…それなら僕も一緒に入学すれば良いって思った」
「そう、だったんだ」
「結局、受験出来なかったんだけどね」
ちらりと横を見ると、薫くんは笑って天を仰いでいた。きっと受験出来なかったこと…悔しくて、今も後悔しているんだろうなと思った。
「翔ちゃんから学校の話、たくさん聞いてたんだ。こんな授業受けたとか、寮での生活はどうとか。…直希さんとペアになった話も嬉しそうにしていたよ」
「……そう」
「だけど翔ちゃんの口から一番名前が出てきたのは…香織さん、君だった」
薫くんの言葉に私は勢い良く顔を上げる。優しく私に笑いかけた薫くんは、また言葉を続けた。
「僕は翔ちゃんを通じて話を聞いているだけだったけど…すごく優しくて良い子なんだろうなって思ってたんだ。だから偶然だけど、会えた時は本当に嬉しかった」
「そんな…私なんて、全然…」
「それに翔ちゃんにとって…本当に大切な存在だって。翔ちゃんの顔を見てればすぐに分かったよ」
ちょっと嫉妬しちゃうくらいにね、と薫くんが笑ったと同時に処置室のドアが開いた。中なら出てきた翔ちゃんの姿を見て、私と薫くんは同時に駆け寄った。
「翔ちゃん!」
「具合はどう?」
「香織、薫…。心配かけてホントごめん。何とか大丈夫そうだ!」
翔ちゃんは思ったより元気そうだった。先程までの姿からは想像出来ないくらい顔色も良くなっている。…ううん、きっと気丈に振舞っているだけだ。薫くんから病気の話を聞いた今、そうとしか思えなかった。
「とりあえず良かった。…翔ちゃん。僕、先生に話聞いてきても良いかな?」
「あぁ…うん」
「香織さんは、ここで待ってて」
「……分かった」
薫くんが処置室の中へ消えると、私と翔ちゃんの二人きりになった。暗い病棟に取り残される私と翔ちゃんの間に、沈黙が流れる。行き場のない手をお腹の前でとりあえず組んで、ぎゅって力を入れた。
「心配かけてごめんな、香織」
「やだよ翔ちゃん、謝らないでよ。私は全然大丈夫だよ」
「いやだってさ、せっかくの…デート、いやデートっつか、外出だったのにさ…」
翔ちゃんは横を向いてガシガシと自分の頭を掻いた。本当に、申し訳なさそうな顔で。
「台無しに、しちまった」
その顔に胸が痛いほどに締め付けられた。苦しい思いをしたのは翔ちゃんなのに、どうしてそんなに私を気遣ってくれるの?
なんで、翔ちゃんは……私は、翔ちゃんの助けになんて、何もなれなかったのに。
「台無しなんてっ…!言わないでっ…」
「香織……」
「すっごくすっごく楽しかったんだから!それよりも、翔ちゃんっ…あんなに苦しそうだったのに…!今だって、ほんとは辛いんでしょう…!?」
「………」
堪えきれなくなった私は、両手で顔を押さえて泣きじゃくった。
「翔ちゃんは強い子だけどさっ…辛い時くらい、ちゃんと教えてよっ…わたし、私何も知らなくて、悔しくって」
「うん」
「私が、できること何でもする!…私がっ、翔ちゃんを守るから…っ、だから…」
「うん」
「ごめんなさい…今、感情が、グチャグチャで…」
「大丈夫、伝わってる」
涙でぼやけている視界に、一歩近づいた翔ちゃんの靴が見えた。顔を上げるより先に、全身に感じる温もり。雨で冷えた身体を暖めるように……翔ちゃんが私を優しく抱きしめる。
「ありがとうな、香織」
「翔ちゃん…」
「これから辛れぇ時は…頼っても、良いか…?」
かっこ悪いけどさ、と翔ちゃんが小さく、弱々しく呟いた言葉に私はすぐさま首を横に振った。
「翔ちゃんは、いつでもかっこいいよっ…」
震える翔ちゃんの背中を、私も力いっぱい掴んで抱きしめて。
「……さんきゅ」
小さくそう聞こえた声は、いつもの翔ちゃんらしくなくて、でも懸命だった。その声に何度も頷いた私は、また腕に力を込める。二人で抱き合いながら、子どものようにたくさん泣いた。その時間は薫くんが戻ってくるまでのたった数分間だったけれど……まるで永遠のように感じた。
薄暗い病棟の中、ぽつりと光る僅かな蛍光灯が二人の姿を照らしていた。
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