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「…あんもう!また間違えた」


練習してどのくらい経っただろう。2時間くらい経ったかな。額に滲んだ汗が顎を伝って床に落ちた。汗を拳で拭って、私はまた初めから曲を流した。

日向先生から借りた映像を繰り返し見ながら、 振付を真似する。当たり前だけど、先生のようには踊れない。少しでも近づけるようになりたいのに。



「水谷」
「はい」
「歌だけ歌いたいならシンガーソングライターでも目指せば良い。だがアイドルになりたいのなら、このままじゃ厳しいぞ」
「…分かっています」


日向先生にも痛いところを突かれてしまった。分かっている、分かっているのに身体が追いついて来ないの。こんなんじゃ、

あの人のようには、なれない──。







「…よし!じゃあ練習するか!」
「…え!?」

下を向いて上履きと床を見つめていたから、いつの間にかレッスン室に人が入って来た事に気が付かなかった。驚いて振り返ると、その来訪者はジャージを着てストレッチを始めている。

ごく自然に私の横に来て、屈伸をする…翔ちゃん。どうして…?

もうペア課題の自主練習時間も終わった頃だ、今は自由時間のはず。それに翔ちゃんは振り入れも完璧でもう練習する必要なんて無いはずなのに…なのにどうして。


「翔ちゃん…」
「一緒に練習した方が早く上達するだろ?まぁ、俺も先生なんて柄じゃねぇけどさ」
「けっ…けど…」


思い出されるのは、さっきの授業のこと。
私の味方になってくれて庇ってくれて、応援してくれた翔ちゃんに、私は思いやりのない言葉をかけた。嫌われても仕方ない態度を取ったのに…。



「どうして…」
「香織?」
「どうして、そんなに優しいの…?」


両手でジャージのズボンをぎゅっと握る。翔ちゃんがどういう反応をしているか見るのが怖くて、俯いて唇を噛んだ。



「ほっとけないんだよ」


少しの沈黙の後、翔ちゃんの優しい声がして私はゆっくりと顔を上げる。涙は流れていないけど目が潤んでいる気がした。


「香織のことが、うん…その、大切だからさ」


その言葉だけで、翔ちゃんの思いがたくさん詰まっている気がした。そして私はなんて幸せ者なんだろうと実感する。

…こんなに優しくしてくれる、こんなに頼もしい味方が傍にいてくれて。


「…さっきはごめんなさい」
「気にしてねぇから」

小さく頭を下げた途端、髪の毛をグシャグシャっと勢いよく乱される。何事と思い顔を上げると、翔ちゃんが悪戯が成功した子供みたいに笑っていた。


「かっ…髪ぐしゃぐしゃ…!」
「ごめんごめん!さっ、始めようぜ!」


腕まくりをする翔ちゃんを見て、たくさんの元気をもらえた。「うん!」と大きく頷き、私は髪の毛を縛り直す。全身鏡の前で課題曲を踊ってくれる翔ちゃんを参考に、私も必死に身体を動かした。DVDで見るよりも遥かに分かりやすい。

それに一緒に踊るとよく分かる。翔ちゃんはやっぱりダンスが上手だ。体幹がブレないし、音ハメも正確。元々の運動神経の良さに加えて、リズム感が良いんだろう。私が間違える度に、どこがダメなのかしっかりと指摘してくれる。


「香織は少し振りが遅れがちなんだよな。最初の音をとにかく意識すること、あとは…止めるところはピタって止まった方が緩急がついてカッコよく見える」
「う、うん。それから…ターンの時にどうしてもふらついちゃうんだ」
「そこはトレーニングを繰り返して筋肉量を増やすしかねぇからなー…とにかく今は課題曲だな。最初からもう一回やろうぜ!」


私が何度つまづいても、翔ちゃんは根気よく一緒に踊りながら教えてくれた。もうどのくらい時間が経ったのか分からない。めげそうになると顔に出てしまっているのか、「大丈夫、大丈夫!」とその度に励ましてくれる。


ダンスが下手な自分に対する情けなさや、明日また責められてしまうんじゃないかという怖さ。色々な感情で臆病になっていた私だけど、少しずつ笑顔になる余裕も出てきた。ダンスが上手になりたい──立派なアイドルになりたい、夜遅くまで練習に付き合ってくれる翔ちゃんの期待に応えたい…その気持ちが今の私を突き動かしていた。





「せっかく来たのに、声掛けなくていいの?直希」
「大丈夫大丈夫。俺の出る幕じゃなさそうだからさ」
「それもそうね。差し入れだけドアに掛けておきましょ」
「まったく心配をかける人ですね。時間を無駄にしましたよ」
「なんだよー、文句言うならトキヤは来なきゃ良かったのに」
「ほんとほんと、素直じゃないねイッチーは」






───


翔ちゃんと練習を始めて、2時間程が経過した。時計は夜9時を回り、明日の体力のことを考えるとそろそろ終わりにしなければならない。何より、翔ちゃんの負担にはなりたくない。


「俺はまだ続けても全然構わねぇけど…」
「…最後に一回、通しでやらせて。それで終わりにするから」


私の言葉に翔ちゃんは頷いて、初めから曲をかけた。目を閉じて頭の中でカウントを刻み、最初の振りをイメージして、踊り出す。
練習の成果なのか、頭で考えるより先に身体が自然と動く。音を聞く余裕がちゃんとあるし、何よりダンスを楽しむことが自然と出来ていて──



「はぁっ…はっ…」
「香織やったじゃん!ノーミスだ──」
「やったぁ!!出来たよ翔ちゃん!!」


曲が終わると同時に、私は翔ちゃんに勢い良く抱き着いた。飛び跳ねながら腕にぎゅっと力を込める。苦手な振付を克服できた喜びと達成感、翔ちゃんへの感謝の気持ちでいっぱいだった。


しばらくしてから、私が無意識に翔ちゃんを抱き締めてしまっていた事にようやく気が付く。急に恥ずかしさが湧いて、パッと離れた。翔ちゃんら少し頬を染めて、恥ずかしそうに視線を逸らしている。


「ご、ごめん!汗臭かったよね」
「ち、ちげぇよ!気にすんなって…」

二人でわたわたしちゃって、何してるんだろう私たち。翔ちゃんも同じことを思ったのか、吹き出すように笑った。それに釣られて私も声を出して笑う。暗かった気持ちがすーっと晴れやかになったのが分かって…全部全部、翔ちゃんのおかげだ。



「さっ、早いとこ部屋戻ろうぜ。蜂谷達も心配してんだろ」
「そうだね…あれ?」


レッスン室を出るとドアノブに小さなビニール袋が掛けられているのが目に入った。そっと中身を覗くと、スポーツドリンクやプリン、お菓子が入っている。


【お疲れ様。無理するなよ】

ペットボトルに貼られた付箋に書かれたメッセージは、なおくんの字で書かれた物だった。その下には優子、それからレンくんと一ノ瀬くんの名前まで記されていて。


「みんな…」

翔ちゃんだけじゃない。私の周りには、こんなにも心配してくれて応援してくれるみんながいる。自分は一人じゃないんだって、改めて思える。
差し入れの入った袋を抱き締めるようにぎゅっと抱えた。心の中でありがとう、と何度も呟いて。





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