5月-3

…なんて大きい口を叩いたところまでは良かったけど。

「はー…やっぱり見通しが甘かったかな」

図書室の天井を見て、私は大きくうなだれた。テーブルには大量の本が開いたままの状態であちらこちらに放置されている。

七海さんが読みたいと願う、一冊の本。なんせ情報が【ピアニストの女の子と王子様】しかないのだから、片っ端から文学作品を読み漁っているけれど…探して一週間、お目当てのものには未だ出会えずにいた。


朝授業が始まる前、昼休み、放課後の生徒会活動が終わった後、そして今日のように活動が休みの金曜日──時間を見つけては惜しげも無く図書室に通い詰めて入るけれど、やはりこの本の数だ。たった一冊の本を見つけるのは至難の業みたい。

だけど、

「諦めたくないし、諦めて欲しくないなぁ」

何としてでも見つけたい…そう思うのに、今日のタイムリミットがもう来てしまったようだ。図書室の閉館時間が近付いた事に気が付き、溜息を吐いてから席を立った。

今日は金曜日だから探す時間はたくさんあったのに…仕方ない、明日図書室を開けてもらえないか日向先生に掛け合ってみよう。

早乙女高校の図書室はご覧の通り、びっくりするくらい広い。そんな図書室だけど定期試験前や三年生の受験シーズンを除き、休日は原則閉められている。使用するには、特別に許可が必要なのだ。



「とりあえず、日向先生に許可が取れて良かった」

薄暗くなってきた空を見上げて、一人ぽつりと呟く。5月に入って気温も少しずつ上がってきたなぁ…そろそろブレザーが要らなくなるかもしれない。
誰も見ていないから…と思い、行儀悪く両手のポケットに手を突っ込み歩いていると、トンっと後ろから強めに肩が叩かれた。


「そんな歩き方してると転ぶよー?」
「紬…しばらくぶり、だ」
「いたっ…て、帝君と天草君…!」

楽器を肩に背負った二人組、それはまたもや中学時代の顔馴染みだった。二人は今年4月に入学したばかりの、フレッシュな1年生。瑛二君といい、中学の頃の後輩達は未だに私に対して人懐こく接してくれる。逆を言えばあまり年上扱いはしてくれないのだ、この二人に関しては特にだ。

「白石先輩と呼びなさい」と諭すと、「別にいいじゃーん」と頬を膨らませる帝君。自分が可愛いことを自覚しているこの子は、そうすれば許してもらえると分かりきっているよう。恐ろしい子だよ、本当に。


「生徒会に入ったのだろう?すっかり有名人になってしまい、天草は寂しい」
「あはは…知ってたんだ…」
「そりゃそうだよ。でも頑張ってるんでしょ?綺羅から聞いた」

そこのラインは相変わらず仲良しなのね。この二人と皇君、日向君は中学の頃からよくつるんでいて、高校に進んだ今でも、頻繁に遊んでいると聞いている。


「まぁ…それなりにね。オケ部はコンクール近いんだっけ」
「もーピリピリ!毎日練習漬けで疲れちゃうよ」
「ふふ、お疲れ様」
「紬は生徒会をサボっているのだろうか?」
「えっ!違うよ、今日は生徒会の活動は休み」

こちらが労っているというのに、天草君は突然酷いことを言い出した。これでも真面目に取り組んでいる自負がある私は即座に否定する。首を傾げた天草君は、ゆっくりと校舎の上階に視線を移した。

「明かりが点いている」
「え?」


天草君の視線の先には、この位置からもよく見える生徒会室があった。暗くなってきた空をバックに、煌々と明かりが灯っている。

「あれ?本当だ。何でだろ…」
「最近遅くまで毎日点いてるよ、生徒会室。ま、ボクらには関係ないけど」
「……」
「では我らは帰宅する。紬、また」
「じゃあね」
「あぁ、うん…」

帝君と天草君に手を振って別れを告げてからも、私は生徒会室から目が離せないでいた。帝君の言葉が本当なら…コンクール前のオケ部の練習が終わる頃にも、まだ誰かが中に居ることになる。いつも先に帰っているから気付きもしなかった…。
いつも生徒会室の鍵を開け閉めしてるのは一ノ瀬君だ。だからきっと今も──

校門へと向かっていた私の足は、自然と校舎まで逆戻りしていた。



「いらっしゃいませ!」
「…あ、ごめんなさい。売店、もう閉める時間ですよね…?」

慌てて売店の自動ドアをくぐると、いつもいる店員の男の子が私に気が付いた。電気はもう入口しか点いているおらず、彼も商品棚を整理していて…店じまいをしていることが窺えた。

「すみません、やっぱり帰ります」
「大丈夫ですよ!ご注文ですか?」

ニコリと笑った店員さんは…颯爽とレジへ向かってくれる。褐色の肌が眩しいと思っていたけど…それ以上に笑顔が眩しい男の子だ。 実は校内にも隠れファンが多いとか…違うとか。


「えっとじゃあ…ホットコーヒーを…」
「はい、かしこまりました」

レジの奥にあるコーヒーメーカーから液体が紙コップに注がれる。コーヒーの心地よい香りだ。
【愛島】の名札を首から提げたその彼から受け取った紙カップからは、ホカホカと湯気が立っている。




「(美味しいんだよね、うちの売店のコーヒー)」

お会計まで済ませた私は、片手で紙コップを持って階段を昇った。向かうは…生徒会室だ。

温かいコーヒーはついつい自分の口に運びたくなってしまう。だけど…とりあえず今は我慢だ。私がこれを買ったのは、自分自身が好きでその美味しさをよく知っている、というのもあるけど。


…よく飲んでるんだよね、一ノ瀬君が。


生徒会室の彼の机によく置いてあるコーヒーの紙コップ。様子からするにミルクやお砂糖は要らない派だと思われる。私、よく観察してるなと我ながら感心するけど…。

「たまたま目に入るだけだし…うん」

誰も聞いていない言い訳をぶつぶつ唱えながら、生徒会室のドアに手を掛ける。中はまだ電気が点いていて…変に逸る気持ちを胸を抑えて一度落ち着けてから、私はドアを開けた。


「お、お邪魔します…」

まるで泥棒かのように、そーっと中を覗く。すると予想に反して、そこは誰も居なかった。なのに電気は点いたまま。
中に入り、それぞれの机の上を確認する。きっちり片付けられた瑛二君と聖川君の机、ウサギの人形が置いてある皇君の机…物がほぼなくさっぱりとした神宮寺君の机。うん、いつも通りの光景だ。

そしてやはり様子が違ったのは、彼の机だった。
いつもは綺麗に片付いているそれの上には、資料やらペン、電卓などが散乱している。明らかに、何かの作業の途中だ。やはり残っているのは、一ノ瀬君のようだ。

鍵が開いたままだったことも考えると、御手洗か何かですぐ戻るつもりなのだろう。多分、少し待っていれば一ノ瀬君はここにやって来る。

…けど。こんな遅い時間まで頑張る彼の邪魔をするのも気が引ける。「何か手伝おうか?」と聞いても、一ノ瀬君なら私を気遣って断るだろう、そんな気がする。


少しの時間悩んだ結果、ホットコーヒーだけを一ノ瀬君の机に置いて、私は生徒会室を後にした。今はとにかく、自分に出来ることをやろうと決めた結果だ。

下駄箱を出て校門を出ようとしたところで、お母さんから心配のLINEが入った。「すぐに帰る」と返信をしてからもう一度校舎を見上げると、生徒会室はまだ明るいままだった。



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