4月-7

「よし!あと半分くらいですね」
「うん…それにしても、本当に大きいんだね花壇…」

全ての土の整備まで終わり、あとは苗を植えるだけというところまで来た。だけどこの作業が中々大変だ。丁寧にひとつずつ、繊細に扱わなくてはならなくて…気付けば空はもう夕日が顔を覗かせている。


「…すみません、こんな時間まで付き合わせてしまって」
「う、ううん全然!瑛二君が気にすることじゃないよ」
「先輩……ありがとうございま──」
「瑛二ー!ちょっと良いかー?」

私と瑛二君の会話を遮るように、遠くから男子生徒の声が響いた。その声に反応した瑛二君が、膝に付いた砂を払いながら立ち上がる。私達二人の元に走ってきた男子生徒は、軽く私に会釈してから瑛二君の方に向き直った。


「桐生院先生が呼んでた。職員室来て欲しいって」
「えぇ…急ぎかな?と言うより桐生院先生、野球部の練習中じゃないの?」
「【至急や〜】って言ってたから、急ぎなんじゃん?とにかく早く行ってくれよ!じゃ、伝えたからな!」

桐生院ヴァン先生は瑛二君のクラスの担任だ。野球部の顧問でもあるから、瑛二君の言う通り今は練習中のはず。だって、たった今も遠くでボールを打つ音や掛け声が聞こえるもの。まぁ顧問と言えど、毎日付きっきりで部活を見る暇もないくらい忙しいだろうから、雑務か何かの頼まれごとだろう。

「うーん…」と少しだけ考えるポーズをした瑛二君は、軍手を外して自分のジャージのポケットに入れた。


「先輩すみません。急いで職員室だけ行ってきます」
「うん、早く行った方が良いよ。桐生院先生の用事、至急みたいだし」
「いつもの気まぐれだと思うんですけど」

瑛二君はすみません、と何度も謝りながら校舎内へと戻って行った。そして私はこの広い花壇の前で、一人ぽつんと取り残される。
ただ待っていても時間がもったいない。一人でもやれるところまで進めておこう。軽く屈伸をして、身体を伸ばす。よし、頑張ろうと意気込んだその瞬間だった──



バコンッ!!!
という音と共に、小さなボールが目の前に勢い良く落下した。上がる土しぶきに、咄嗟に目を瞑る。

恐る恐る目を開けると、嫌な予感は的中していて…


「あぁーっっ!!!!!」


飛んできたボールは物の見事に、私達がたった今まで手入れしていた花壇に落下していた。ぐしゃっと折れたお花、耕したのにぐちゃぐちゃになる土、花壇の外まで跳ねた土ぼこり。

そして、泥だらけになる私のジャージ…。


絶望だ…。



「おーっ!悪い悪い、ボール当たらなかったか…って、白石じゃん」
「ひ、日向君…」
「なんだ、当たってねぇなら良かったわ。よっこらせ」

帽子を被り白いユニフォームを着たその犯人と思われる人物は、野球部の日向大和君だった。ちなみに彼も同じ中学出身で顔見知り。更にはうちの先生でもある日向龍也先生の実の弟であることは、周知の事実だ。
一応「悪い」と謝ってくれた日向君だけど、サッとボールだけ拾って戻ろうとしているあたり、そこまで悪びれているようには見えない。

「ちょ、ちょっと!全然良くないよ!どうしてくれるのコレ!」
「あー悪いけど一人で片付けといてくれな、俺練習戻るし」
「な…何それっ…!」
「だから悪かったって。じゃなー」
「日向君!待っ…!」

一方的に会話を終わらせた日向君は、帽子を被り直してグラウンドまで走って行ってしまった。ぽつんとその場に取り残される私。あまりの惨状に棒立ちのまましばらくその場に固まっていた。

あの男…絶対に桐生院先生にチクってやる!今度教科書借りに来てもぜっったいに貸してあげないんだから!


「…片付けなきゃ」

せっかく瑛二君が綺麗に管理してくれている花壇だ。こんな事になっていると知ったら、瑛二君が悲しむ。あんな優しい子の悲しむ顔は見たくない。

彼が戻ってくるまでに何とかしよう。それに…まだ花を植える作業だって残ってる。
その量の多さに気が遠くなるけれど、任された仕事を投げ出す真似はしたくない。

「よし」と小さな声で気合いを入れた私は、再びしゃがんで作業に取り掛かった。…その時だったんだ。



「手伝います」


隣にふっと現れた人影。私と同じようにしゃがんだその姿を確認する。…それは、一ノ瀬君だった。

ワイシャツの袖を肘の上まで捲った一ノ瀬君は、何の躊躇いもせずに制服のままスコップを手に持って土を耕し始めた。


「だ、ダメだよ!制服汚れちゃう」
「いえ、お気になさらずに」
「それに一ノ瀬君…用事があったんじゃ…」
「すでに終わりました。…この苗を植えていけば良いですか?」
「あぁ、うん…ありがとう」

ジャージに着替える間も惜しんで、急いで来てくれたのかな。黙々と作業をしてくれる横顔をこそっと盗み見る。
こうして色々なところに気を配って…良い会長なんだろうな、本当に。学校中の人が一ノ瀬君に憧れている理由が、少し分かった気がする。すると私の視線を感じたのか否か、手を動かしたまま、一ノ瀬君がぽつりと呟いた。


「引き受けて下さるのですね、副会長」
「え?」
「ありがとうございます」

な、何を今更改まって…。強引に進めたくせに急にそんな丁寧にお礼を言われちゃうと、どう返して良いか分からなくなるよ。


「ここまで来たら腹括るよ、もう」
「……」

それからは二人で何も言わず、最低限の会話だけしてひたすら作業を進めた。静かなその空間だったけれど、不思議と居心地は悪くなかった。


そして夕日も沈み、辺りがうっすら暗くなってきた頃───




「終わった…!」

昼間とは全く違う顔になった花壇。その色鮮やかさとやり切った達成感で胸がいっぱいになる。こんなに綺麗になるなんて…やっぱり、やって良かった。


「瑛二君が選んでくれた苗、やっぱりすごく綺麗…ね、一ノ瀬く──」

隣に立つ一ノ瀬君の方に勢い良く顔を向けると同時に、優しく細められた瞳と視線が絡んだ。急いで背ける間もなく、軍手を外した一ノ瀬君の右手が私の頬に触れる。


「土、付いていますよ」

親指でそっと拭われたのが分かったけど、突然触れられた手の感触に、私は戸惑いを隠せないでいた。
離れていく一ノ瀬君の手を、ゆっくり視線で追うことしか出来なくて。


「あ、ありがとう…」
「いえ、こちらこそありがとうございました」

そのお礼には「副会長を引き受けてくれて」の意味も含まれているのだろうと思った。そんな何度もお礼を言われることでもない、そりゃ私にとっては一世一代の決断(無理やり決められたとはいえ)だった訳だけど…。

こんな仕事も、悪くない。
早くもそう思ってしまっている自分がいるのだから。



「先輩ー!遅くなってすみませ…あれ、会長?」

その後すぐに、長時間桐生院先生に拘束されていただろう瑛二君が走って戻ってきた。
何度もぺこぺこと私達に頭を下げる瑛二君に、「気にしないで」と繰り返し伝えているその瞬間でさえ、先程の出来事がフラッシュバックして離れてくれない。


「(突然あんな…するとかさ…)」

誰かにあの場面を見られてたらどうしよう、とかいつもの私ならそんな心配ばかりしていた。だけど今ひたすらに思うのは、容易く仮にも異性である私に触れた一ノ瀬君の狡さと、こんな小さなことでドキドキしてしまう自分に対する悔しさだった。



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