お泊まり!
外は雨風が吹き荒れ、力強く窓を叩いて音を立てる。台風が通り抜けるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。シャワーの蛇口を閉めて浴室を出た私は、備え付けのルームウェアに袖を通した。
「(…さて、参りました)」
参ったと言うのはこの状況に、だ。
台風で飛行機が飛ばないという緊急事態とはいえ、まさか星のさんと…二人で、しかも同じ部屋に泊まる事になるとは。
「大丈夫、大丈夫です」
目を閉じて念じるように、独り言を唱えた。
そう、私は理性的な人間。大丈夫です。何があっても間違いは犯しません。
例え相手が、ずっと想っている女性だったとしても。
「すみません、先に入らせて頂きました」
「いっ…いえ!お構いなく!!」
首にタオルをかけた状態で部屋に戻ると、星のさんは何故かピンと背筋を伸ばしてベッドの上に正座をしていた。そして大慌てで着替えとタオルを抱え、逃げるように「私も入ってきます…!」と浴室へと向かって行った。
「あ、あの!」
「?」
「私、覗いてませんから!」
ガチャンとドアを閉める音が大きく響いた。
しばらくするとシャワーの流れる音が聞こえてくる。
…何ですか今のは。全く、
「(可愛い人だな)」
髪を拭きながらソファに座り、充電器に差しておいたスマホを操作した。もちろん化粧水をコットンで馴染ませるのは忘れていない。明日のラジオの収録は、どうやら音也がピンチヒッターとして出演してくれる事になったらしい。音也からの『大丈夫〜?』というメッセージに返信をしていると、入浴を終えたらしい星のさんがそろそろと部屋に戻ってきた。
「あ、一ノ瀬さん…まだお休みされてなかったんですか?」
「いえ…もう休みます。明日の飛行機は取れましたか?」
「はい、一ノ瀬さんがお風呂に入っている間に。朝一番の便を予約出来ました」
「ありがとうございます」
こんな事態にもかかわらず、しっかりと仕事をこなす星のさんには感心する。まさかこんな時に、ほんの少しだけ浮かれている私の気持ちを知ったら、星のさんはどんな反応をするだろう。驚いて、呆れるだろうか。
「星のさん、ベッドを使って下さい。私はソファをお借りします」
「え!?」
「では、おやすみなさ──」
「ダメです!一ノ瀬さんがベッドを使って下さい!!」
そのまま横になろうとした身体は、星のさんの腕で強引に起こされた。このやり取り…デジャブですね。
実は数分前──シャワーに入る順番も同じように星のさんと揉めた。レディファーストで先に入るよう提案すると、彼女は頑なに「一ノ瀬さんが先に入って下さい!」と譲らなかった。しかし私にも意地がある、身体も髪も濡れていた星のさんより先に自分が入るなど許さなかった。
その時は負けてしまいました、が。
「星のさん」
「は、はい」
ソファから立ち上がり、星のさんに掴まれた腕を逆に引いて、やや強引にベッドに寝かせる。驚いた顔をする星のさんに有無を言わさず、掛布団を上から被せた。
「一ノ瀬さっ…」
「はい、星のさんの負けです。大人しく寝て下さい」
「嫌です!」
「あ、あなたも大概頑固ですね…」
これ以上は埒が明かない。
諦めた私は布団を捲り、ベッドの上に身体を寝かせた。星のさんに背中を向け、横向きになり目を閉じる。
「元々広いベッドですし…こうするしかないのなら、仕方ないですね」
「え、えっ…でも…」
「まだ何か?」
「す、すみません」
「いえ」
「変なこと、しないので」
それは私のセリフです。
心の中でそう呟き、「電気消しますよ」と誤魔化すように枕元のスイッチに手を伸ばす。
シーツが擦れる音がする。どうやら星のさんもようやく布団に潜ったようだった。
「……」
「……」
暗闇の中目を瞑るが、寝付くことが出来ない。理由は明白だ、横に星のさんが居るからに決まっている。
下手をすれば一睡も出来ないかもしれない。…それはさすがにいけませんね、健康の為にもきちんと睡眠は取らなければ。
するともそもそと星のさんが動く気配がした。彼女も寝付けないのだろうか。少し気にはなったが話しかけることはせず、早く眠りにつこうと目を閉じて意識をなるべく遠ざけた。
「…好きです、一ノ瀬さん」
静かな部屋に響いた声に、閉じていた目を慌てて開いた。
囁くように、小さな声で紡がれたそれは、聞き間違いなどするはずが無い。勿論、聞き逃した振りをするつもりも無い。
背後から「おやすみなさい」という呟きと、シーツが擦れる音がした。さらりと告白をしておいて、何事も無かったかのように眠りにつこうとする星のさんに少しだけ腹が立ち、起き上がって彼女の耳元に唇を近付けた。せめてもの仕返しだ。
「言い逃げですか?」
「……っ!?お、起きてたん、ですか!?」
案の定、星のさんはひどく驚いて勢い良く起き上がった。囁いた耳元を両手で抑え、口をぱくぱくと動かす仕草が何とも可愛らしい。
ドアの入口だけライトをつけた、薄暗い部屋で向き合う。先におずおずと口を開いたのは星のさんだった。
「あの…今の、忘れて頂いても…」
「お断りします」
「で、ですよね!ごめん、なさい」
「何故謝るのですか」
だって、と何か良からぬことを言おうとしている星のさんの言葉を遮るように、正面から肩に腕を回した。密着する身体、揃いのルームウェア越しに星のさんの…いや、旅子さんの体温を感じた。
無かった事にするなど、真っ平御免だ。逃がさないと言わんばかりに腕に力を込める。
「あの一ノ瀬さ…」
「好きです、旅子さん」
「えっ、え、えええ!?」
「ふふっ…驚きすぎでしょう。気が付きませんでしたか?」
「だって…!ていうかなま、名前…!」
狼狽えて私の背中をバンバンと叩く旅子さんからようやく離れる。また背中合わせで寝るのは惜しく、二人手を繋いでベッドの上に仰向けになった。
「こ、こんなことになって…私、クビでしょうか」
「それは無いでしょう。まぁ…ST☆RISHの担当からは外されるかもしれませんね」
「そ、そんなの嫌です」
「(また可愛い事を言う)」
こんなに…一人の女性にほだされるだなんて。恐ろしい程愛おしく感じてしまう旅子さんの手を握ってみると、彼女は私の方を向いて控えめに握り返してくれた。
翌日…朝になっても繋がれたままの手に気付いた旅子さんの顔が真っ赤に染まり、ベッドから落ちそうになるのを受け止めたのもまた、良い思い出だ。
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