【触れた指先】
「CM第二弾ですか!?」
「やったね櫻井さん!」
「はい!ありがとうございます!」
数日前の出来事を思い出す。
担当した緑茶飲料は、CMが大好評だったこともあり売り上げも絶好調。
上機嫌な課長に呼ばれた私は、そこでまたCMの第二弾が決まったことを知らされた。出演は引き続き聖川さんだ。
「で、来たはいいものの…」
その後、打ち合わせのために再び訪れたシャイニング事務所。今日は仕事の関係で同僚の付き添いはなく一人でやって来た。CMの打ち合わせは第二会議室って聞いているけど…その会議室がどこか分からず、私は途方に暮れていた。ここの事務所、広すぎだよ…!
うろうろと歩いていると、廊下に展示されているポスターに気が付いた。例の緑茶飲料の広告だ。
聖川さんがうちの会社のペットボトルを持って、空を見上げている綺麗な写真。
「…ふふ、」
自分が担当している商品がこうして展示されていることが嬉しくて、ついにやけてしまった。それに、この聖川さんもすごく素敵で、ポスターも魅力的だ。自分が作った訳じゃないのに、妙に誇らしくなってしまう。
「…何ニヤニヤしてんだ、気持ち悪い」
「あ、蘭丸!」
背後から聞こえた声に振り返ると、見知った顔があった。相変わらず背高いなぁ…。
蘭丸とは中学の同級生だ。地元の宮城の中学校で三年間一緒に過ごした。卒業して別々の高校に進学してからずっと会っていなかったけど、東京に来てからばったり再会した。私の会社と蘭丸の生活圏が近いのか会うことが多く、会った時には立ち話をしたり、時々お茶なんかしている。
中学生の頃はたまに会話をする程度だったのに、なんだか不思議だなぁ、なんて思ったりしたっけ。
「ちょうどいい所に。第二会議室の場所教えてくれないかな?迷っちゃって」
「あ?んなの自分で探せ」
「わ、冷たい」
そりゃ忙しいんだろうけど、そんな言い方しなくてもいいじゃない!むぅ、と不満全開の顔を見せたら蘭丸は軽く舌打ちをした。でもそのあと、ついて来い、なんて言ってなんだかんだ案内してくれる。優しい所があるのは昔からよく知っていた。
案内された会議室のドアを開けると、すでに聖川さんが椅子に座って待っていた。
聖川さんと会うのは、CD屋でばったり会ったあの日以来だ。
「すみません、遅れてしまって」
「いえ。俺が早すぎただけですから。マネージャーもそろそろ来ると思います」
「そうですか。ありがとう蘭丸、ここでいいよ」
後ろを振り返って、ドアに寄りかかっていた蘭丸に声をかける。おう、と一言私に返事をした後に、聖川さんに向かって軽く手を上げた。…そっか、同じ所属事務所だからお互いよく知ってるのか。
ぺこりと聖川さんが会釈をして、パタンとドアが閉まる。
「黒崎さんと仲が良いのですね」
「うーん…と言っても、腐れ縁というか何というか、ですけれど」
なんて話をしながら、マネージャーさんの到着を待つ。打ち合わせの時間まではまだ10分以上ある。ちょっと、早く来すぎちゃったかな。
「櫻井さん」
「はい?」
「これ、この前話したCDです」
ふと、聖川さんが鞄の中からCDを取り出して渡してくれる。あの時、CD屋でおすすめしてくれた曲……覚えてて、くれたんだ。
「次お会いした時に…なんて言ってましたけど、すぐ叶っちゃいましたね」
そう笑いながらCDを受け取る。指先がそっと触れそうになって、少しドキっとしてしまった。
「はい、またお会いできて嬉しいです」
穏やかな笑顔で聖川さんがそう言ってくれた事を思い出す。
─────
「櫻井さーん!」
「あ!はい!すみません、今行きます」
いけないいけない、また考え事しちゃった。
そんなこんなで、あっという間にやってきたCM撮影の日。
今回は聖川さんだけではなく、何人かエキストラの方も参加してもらっていて、第一弾よりも大規模な撮影だ。そのせいもあってか、全体的に慌ただしい。
私もあちこちに確認を依頼され走り回る。今日ヒールじゃない靴で来れば良かったな…。
「ではリハは以上です!10分後に本番撮りまーす!」
監督の言葉を聞いて、ひとまず一息つく。たくさんの資料を抱えたまま台本をチェックしていると、ゆっくりと聖川さんが近づいてきたから少し驚いた。
「櫻井さん」
「聖川さん!何かありました?」
「いえ…先程からずっと立ちっぱなしでしょう。少し休まれたらどうですか」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
「そう言わずに、足辛そうですし」
眉を下げて心配そうにしながら、近くにある椅子に誘導してくれた。タレントさんに気を遣わせるなんて、本当に申し訳ない。でも少し疲れていたから助かってしまったのが本音だ。それに加えて、聖川さんは紙コップに入ったお茶を差し出してくれた。
…優しいなぁ。自分の方がずっと疲れているだろうに。
「ごめんなさい、情けないですね」
「そんな事ありません。櫻井さんが居なかったら撮影は成り立たないのですから」
目を伏せてそう言いながら、私の隣にそっと腰かけた聖川さん。距離が縮まって緊張してしまう。今日もまた前回とデザインの違う浴衣を着ていて、よく似合っていて。じっと見つめていたら目が合ってしまったから、恥ずかしくてすぐに逸らした。
何度か顔は合わせているけど、近くで見るとやっぱり格好良い。
緊張しない方がおかしいよね、うん。
お言葉に甘えて資料と台本をテーブルに置き、出してくれたお茶を一口含む。
温かいお茶が喉に流れる感覚に、ほっとする。
目を瞑って心を落ち着かせていると、聖川さんのあ!という驚いた声が聞こえた。
「…櫻井さん!指が、」
「え、」
聖川さんに指摘され、慌てて自分の指を確認する。
右手の薬指から、ぱっくりと切れた傷と流れる血。
仕事に夢中で全く気付いていなかったけど、いつの間にか台本の端で切ってしまったみたい。気付いたら、じんじんと痛みが増してきた。
やだなぁ、絆創膏持っていたかな?もうすぐ本番だっていうのに。もう、今日の私はとことんツイていない。
「大丈夫ですか、」
「大丈夫です!大した怪我じゃな…」
そう言った次の瞬間──
聖川さんがすっと私の右手を取った。
なんだろう、と首を傾げると、聖川さんは……
血が流れる私の薬指をぱくりと咥えた。
「…っ!!」
舌でそっと傷を舐められる感覚。突然の状況に頭が上手く働かないし、上手く呼吸も出来ない。
絶対、顔も真っ赤になってる。だ、だってこんなの…
「絆創膏を貼るので、待っていてください」
聖川さんはそう言って鞄の中から1枚絆創膏を取り出す。
私の手を取ったまま片手で絆創膏を台紙から剥がす。
不思議なくらいその動作が慣れていて、そのまま器用に私の指の傷口に貼りつけた。
「…櫻井さん?大丈夫ですか?」
「え、だ…あり、がとうございます…」
そう絞り出すのがやっとだった。ドキドキと心臓の音がうるさい。
聖川さんの顔がまともに見れない。必死に気持ちを落ち着かせようとして周りを確認したら、誰も私達に気付いていないようだった。
スタッフの方々と少し離れた場所にいて、良かった。
絆創膏の貼られた薬指が、熱を持ったように、ただただ、熱かった。