【がんばって】
「これで大丈夫だと思います」
「あ…ぅ、」
「帰ったら念の為、消毒をしてから新しい物に貼り替えて下さい。……櫻井さん?」
絆創膏を貼った櫻井さんの薬指を確認して、そっと手を離した。華奢すぎるその指を心配しながらも彼女の顔を見上げて表情を確認すると、櫻井さんは顔を真っ赤にして俯いていた。何かを言おうと口だけぱくぱく動かしている。
俺は何かしてしまったのか?それともまだ指が痛むのだろうか。記憶を遡ってみると、思い出したのはつい先程の自分の行動だった。
「…っ!!」
血の気が引いて、ガタンと勢いよく立ち上がる。
聖川さんどうしましたー?という遠くから聞こえるスタッフの声に一言返事をして、また椅子に座り直した。
「(俺は今、彼女に何をした…!?)」
真衣がよく指を怪我をしたときにしていた行動。
ピアノを弾く大事な指だからと、おまじないと言ってしていた行動。
完全に無意識だった。
まさか櫻井さんに同じことをしてしまうとは…!一体何をしてるんだ俺は!
11歳下の妹にすることを大人の、しかも付き合ってもいない女性にしてしまうとは。
ふ、不覚…
それは櫻井さんがあのような表情になるのも当然だ。
依然、真っ赤になったまま俯いて顔を上げない櫻井さんに、何も声をかけられない自分。少しばかり気まずい空気が流れた。そんなところでスタッフから撮影再開の声がかかり、心の中で助かったと思いながら、椅子から立ち上がった。
「それでは本番行きます!よーい…」
いかん、動揺している。集中せねば。今は撮影中だ。
目を瞑って集中力を高めるが、頭に浮かぶのは真っ赤になった櫻井さんの顔ばかりだ。アクション、という監督の声と同時に大きく深呼吸をしてそっと目を開けた。
ふと、スタジオの奥に立っている櫻井さんと目が合った。少し驚いた顔をした彼女だったが、すぐに照れたように微笑んだ。
(が ん ば っ て)
そう、彼女の口が動いた、気がした。
資料を両腕で抱えながら首を傾げて優しく笑う櫻井さんを見て、トクンと心臓が音を立てる。その笑顔に答えるように彼女に薄く笑い返してから、カメラへと視線を移した。
「聖川君、今の表情すっごく良かったよー!」
ワンカット撮り終えた所で、監督が大きく声を上げた。どうやらOKをもらえたようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「慈しむような目というか、愛しいものを見るような目というか…うん!とにかくすごく良い!イメージ通りだよ」
「ありがとう…ございます」
そ、そんな目をしたつもりはなかったが…どうやら監督の納得いくものが撮れたようだ。すぐに次のシーンの撮影に入るためスタイリストが浴衣を整える。間を空けずにヘアメイクスタッフが髪型の直しに入った。一息をつきながらまた無意識に探してしまう櫻井さんの姿。
彼女は案外すぐに見つかった。監督の横に屈んでカメラを覗き込み、先程の映像をチェックしている。
「聖川君、櫻井さんの事見すぎ」
「な…!」
俺の髪を櫛でとかしながら、ヘアメイクのスタッフが楽しそうにケラケラと笑った。どうやら彼女を目で追っているのが、バレてしまったらしい。
もしかしてタイプ?と、いつの日かのマネージャーと全く同じ事をいうものだから、余計に恥ずかしくなった。これは、確実にからかわれている。タイプ、という言葉に対してはとりあえずは否定だけしておく。変な噂が立ち、彼女に迷惑をかける訳にはいかんからな。
「櫻井さん可愛いよね、モテそう。男の子ってああいう感じの女の子、好きだよね」
「はぁ…まぁその、綺麗な方とは思いますが」
「良いじゃない、私応援してあげる。この前の打ち上げの時ちょっと話したんだけど、彼氏いないって聞いたし」
「からかわないで下さい」
そんな俺をよそに、櫻井さんは監督と真剣な表情で打ち合わせをしていた。何の話をしているのか、時々楽しそうに笑っている。コロコロと表情が変わるせいか、見ていても飽きないから不思議だ。
「そんなに気になるならデートにでも誘えばいいじゃない」
「い、いきなりそんなこと出来ませんよ」
「そんなに構えなくても。初めはお茶くらいで良いんだからさ。チャンス逃すともう会えなくなっちゃうかもよ?」
最後に右耳に髪をかけられ、はいOKと笑って肩を叩かれた。頑張ってと言われたが、それが撮影の事なのか、それとも別の事なのかは分からない。
また一息ついて次のシーンの撮影に備える。恥ずかしながら自分から女性を誘った経験など、一度もなかった。
だがもし本当に、今回限りで二度と会えなくなったとしたら…それだけは何故だが避けたいと思ってしまう。
こんな時、神宮寺だったらスマートに誘えるのだろうか。
普段は全く思わないのに、今日はほんの少しだけ、奴を羨ましいと思ってしまった。