そして、ばったり



「ごめんね涼花ちゃん!シフト入ってなかったのに急に来てもらっちゃって」
「いえ、全然大丈夫ですよ」



今日はバイトは入ってなかったから、講義が終わったら真っ直ぐに帰ろうと思っていたところ、店長から突然の着信。

今日シフトに入っていたバイト仲間が体調不良で来れなくなり、人が足りずに困っているとのことだった。


困った時はお互い様、ということで、短時間だけど急遽入ることに。


せっせと働いていると時間はあっという間に過ぎる。夜9時を回った頃、客足も落ち着いてきて、店長から帰っていいよと言われ、上がることにした。




「涼花ちゃん、本当にありがとうね!」
「いえ!お先に失礼します」


バッグを持って裏口から店を出る。


腕時計を見ると、時刻は9時15分。今日は10時から音にいが出ている連続ドラマを見なければならない。録画はしているけど急いで帰らなきゃ…と思い、駆け足で店の角を曲がった。




「うわっ!」
「きゃ!」


角を曲がったところで、人とぶつかってしまった。結構な衝撃だったようで、私の方は後ろに尻餅をつきながら、しかも勢いよく鞄の中身をぶちまけてしまった。



「いたた…」

もう!痛い!
まぁよく見ないで走っていた私が悪いんだけど…


「大丈夫だった?」
「大丈夫です…ありがとうございます」



ぶつかったと思われる男の人が一緒に私の荷物を拾ってくれる。相手も同じように荷物を落としてしまったようで、混ざらないよう注意を払う。

ふと顔を上げたら、その男の人と目が合った。




「あれ?君…」
「……!!おとっ…」


驚き過ぎて、途中まで拾った荷物をバラバラと落としてしまう。

そこに居たのは帽子を深く被った音にいだった。
音にい、と言いかけた言葉を必死に飲み込み、誤魔化すようにまた荷物を拾った。




「ごめんね、ぶつかっちゃって。怪我はない?」
「は、はははい!」


どうしよう。音にいが目の前にいる。ずっと想い続けている音にいが。
この間、お店で会った時よりも更に緊張してしまう。


そもそも急いでぶつかってしまったのは私の方なのに。にっこり笑って、はい、と大学のテキストを渡してくれる音にいは優しい。



昔から、変わらないなぁ。



何か、何かを気の利いた会話をしないとと思い、回らない頭から必死に言葉を捻り出す。


「一十木さんは、今日はなぜお店に?」
「うん!トキヤと嶺ちゃんと飲みに来たんだー」
「れ、嶺ちゃん?」
「あ、ごめんね。寿嶺二って言えば分かる?」
「あぁ!寿さんのことですか」


俺たち三人仲良いんだー、と楽しそうに話す音にい。

そういえば、この間ST☆RISHが来た時も一ノ瀬さんが寿さんの名前を出していた。
そっか、そういえば同じ芸能事務所所属だったっけ。


「また来ていただいてありがとうございます」
「うん!だって賀喜さんとも約束したじゃん」


そうだ。この前もまた来るね、って言ってくれていた。
こんなにも早く会えるとは思っていなかったけれど。
それよりも、音にいが私のことをちゃんと覚えていてくれたことが、すごく嬉しい。


「賀喜さん今日もバイト?一緒にお店まで行かない?」
「いえ、私は今日はもう上がりなので」
「なーんだ、残念」
「…!」


もう、なんでそういうことサラっと言うかな。
そんな風に、言われちゃうと…


「…人を喜ばせるのが上手ですね」
「え?ほんと?今の嬉しかった?」
「もう、昔から天然なところあるんだから」
「え、今なんて…」

目を丸くする音にいの顔を見て、はっとした。
無意識に、変なことを言ってしまっていたようだ。



「ご、ごめんなさい…私もう行きますね!お店、ゆっくりしていってくださいね」

そう立ち上がって、その場を去ろうとする。
音にいは慌てたように、前に向かって歩き出した私の腕を掴んだ。


「ねぇ、やっぱり…俺のこと知ってるの?」
「だ、だって超有名アイドルじゃないですか、」
「そういう意味じゃないよ!」


ねぇ、答えて。
音にいの言葉に、どう答えて良いか分からず、黙り込んでしまう。
沈黙が続き、気まずい空気が流れる。



耐えられず歩き出そうとしたら、私の腕を掴む音にいの力が少し強くなった。


「君、下の名前って…」


そう尋ねる音にいの方を、ゆっくりと振り向く。腕はそのまま、掴まれたまま。

もう一度見つめた音にいの顔に、昔の音にいの顔が重なって、見える。

「…涼花、」
「え…?」
「涼花です、賀喜涼花」



目を大きく開いて私を見る音にいの腕を、ゆっくり振りほどいて家へ向かって走り出した。



掴まれていた腕がまだ、熱い。



どうして下の名前なんか聞いたのかとか、私のことに気付いたのかは分からない。

でも見つめられただけで、こんなに鼓動が早くなるなんて。
私は11年経った今でも、音にいのことが好きなんだって、自覚せずにはいられなかった。




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