あの日の思い出
「で?」
「……」
「いつまでいるの?」
「……ごめん、新しい家見つかるまで」
「まぁ家事も全部やってくれるし、私はありがたいけど……」
美紀に申し訳なくて、私は側に置いてあったクッションを引き寄せてぎゅって抱きしめた。
あれからバイトを辞めて、どうしても怖くて家にもずっと帰らずにいた。美紀は何も聞かずにずっと私を置いてくれている。いつまでも居ていいよ、とは言ってくれているけど、ずっとこのままの状態でいる訳にはいかないことは自分が一番よく分かっていた。
「たまにはベッドで寝ればいいのに」
「んーん、床で大丈夫。ありがとう」
「そ?まぁ無理しないでね」
おやすみ、とお互いに言って電気が消える。
美紀が寝静まったのを確認してから、スマホで新しいバイトの求人を探す。
バイト代、貯金しておいてよかった。とりあえず家を契約する初期費用くらいはある。また明日不動産屋さんに行こう……そう思いながらスマホを持ったまま、いつの間にかウトウトとしていた。
「……涼花」
遠くから聞こえる声。それは今よりずっと幼い、私のよく知っている音にいの声だった。
ぼんやり目に浮かぶ、公園のベンチに座る私達。思い出の──あの公園だった。
「音にい!おたんじょうびおめでとう!」
お誕生日……?
そっか。これは、音にいが10歳の誕生日の時の記憶だ。施設で誕生日パーティをした後、二人きりでもお祝いしたいという、幼いくせに生意気な私の我儘を音にいが聞いてくれたんだ。
「はい!おたんじょうびプレゼントだよ!」
「ありがとう!わぁーっ!おもちゃのマイク?」
「うん!音にいのお歌が大好きだから!」
喜んでくれた音にいはその場でマイクを片手にくるくると踊って歌ってくれた。私の大好きな、音にいの歌。横には笑いながら手拍子する私の姿がある。
「涼花、おれからもプレゼント渡してもいい?」
「音にいの誕生日なのに、わたしがもらうの?よくわかんない…」
「いいの!ほら、手だして?」
開いた手の平の上にころりと転がったのは、
小さな赤い宝石のついた、おもちゃの指輪だった。
「きれい…」
「大人はね、世界でいちばん大切な人に、指輪を渡すんだって」
「そうなの……?」
「うん!だからおれが涼花にプレゼントしたいんだ!」
「うれしい…!ありがとう、音にい!」
なんて事ない、小さな頃の話。
だけど私にとっては忘れられない大切な思い出なんだ。
「──音にいと離ればなれになるなんて絶対いやっ」
次に目に浮かんだのは、私が施設を出ることになった最後の日だった。そう、あの日も結局二人で抜け出してあそこの公園で話したんだった。
そう、約束を交したあの日。
「俺と、結婚してくれる?」
「……うん!私、絶対音にいのお嫁さんになる!だから音にいも絶対アイドルになってね!」
「うん!絶対、絶対だよ!」
「「指切りげんまん、約束だよ」」
これだけじゃない。私の胸の中には、小さな頃からの音にいとの思い出がたくさん詰まってる。施設にいた頃の思い出はもちろん、再会してからのものだってそうだ。
忘れようと思っても、
忘れられない、忘れたくなんてないんだよ。
「音…に、」
目を開ければ真っ暗な部屋。
ゆっくりと起き上がれば美紀はすやすやと寝息を立てている。
起こさないように自分のバッグを引き寄せて、中からおもちゃの指輪を取り出した。
あの頃は薬指に入ったのに、今は小指の第一関節までしか嵌らないそれは、私の宝物だった。
今もまだ持ってるなんて、本当に馬鹿げてると自分でも思う。もう二度と、音にいにも会えないくせに。
だけどどうしても捨てられなかった。
あの日の思い出を捨てることなんて、私には出来なかったんだ。
指輪を手の平に乗せたまま、ぎゅっと拳をにぎりしめる。未練がましいのは分かっている。
でも、
「もう少し、想っていても…いいかなっ…」
世界で一番大切な人からもらった小さな指輪は、未だに私の心を締め付けて離してくれなかったんだ。
指輪を握りしめたまま、私はまた音にいのことを思いながら、瞳をそっと閉じた。
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