涙とキス
「な、んで…?」
私の唇に、音にいの唇が優しく重なった。
触れるだけのキス、それなのに温かくて柔らかいその感触は確かに唇に残っている。
「なんで、こんな事するの…?」
唇が震える。
目の前には眉を下げた音にいの顔。
分からない…キスした理由が分からないのに、音にいは何も言わずに私の顔を見つめていた。
しばらく沈黙が流れる。
堪えていた涙が抑えられず少しずつ溢れてきて、視界が滲んでいく。
「…涼花」
「だめだよ、こんなの…だって音にいには、」
春歌さんが居るのに…そう言葉を続けようとしたのに。自分で言って切なくなってしまって、それ以上言葉が出なかった。
「涼花、聞いて」
膝でぎゅっと握ってきた私の手に、そっと音にいの手が重なった。重ねられたその手に、さらに力を込めた。
「涼花は、俺にとって大切な存在なんだ。ずっと、小さな頃から変わらない」
滲んだ視界でも分かる、音にいの真剣な眼差し。そんな私達にはお構いなしに、ゴンドラはゆっくりと下へと進んでいく。
「なに、それ…」
「涼花」
「それを言うために、今日呼び出したの…?」
「ちがっ…」
「違うなら何!?はっきり言ってよ…言わなきゃわかんないよ!!」
大切な存在?小さな頃から?
そんなの、私だって同じだ。
でも音にいは、はっきり好きとは言わない。
だからきっと、大切な存在って言うのは…
「幼馴染としてって事でしょう…?」
「涼花違う!ちゃんと俺の話聞いて!」
「いや!聞きたくない!」
音にいに両肩を掴まれる。
それに構わず私は、自分の手で両耳を塞いだ。
聞きたくない…だって、音にいには私なんかより大切な人がいる。それなのに、期待させるような事、しないで欲しい。
「涼花!!」
力強く大きな音にいの声に、肩が大きく震えた。ぎゅっと瞑っていた目を開いたら、頬に涙が伝う感覚。音にいにも昔から泣き虫だって言われたのに…また涙が溢れてしまう。
「涼花…ごめん」
「謝らないでよっ…」
「うん、でも俺…!」
私の肩を掴む音にいの手が震えている。
私の記憶の中には無い、不安そうでいて、そして辛そうな音にいの顔。
本当はそんな顔、させたくないのに。
ぎゅっと私の肩を掴む音にいの手に、力が入ったのが分かった。
「俺はっ…」
「音にい、」
「俺が好きなのは──!」
「はーい!お疲れ様でしたー!」
音にいの言葉とほぼ同時に、ゴンドラの扉が開いた。気付かないうちに地上まで到着していたようで、ドアの向こうには爽やかに笑うスタッフの方がいて。
怪しまれないように慌ててバッと立ち上がり、音にいから離れた。
逃げるようにゴンドラから下りた私達。それ以上何をする訳でも、何を話す訳でもなく、二人で縦に並んで駅へ向かって歩いていく。
最後のデート、楽しみたかったのにな。
「涼花」
「……」
「ごめん」
私の後ろを歩く音にいから発せられた声。
ごめんって何?
キスしてごめんってこと?
デートを台無しにしてごめんってこと?
私、分からないよ。
分からない、
これ以上どうしたら良いか、もう。
音にいは今日、私に謝ってばかりだ。
本当に聞きたい言葉は、そんな言葉じゃないのに。
私たちはそれ以上の会話はしなかった。
ただ黙って、ゆっくりと駅まで歩いていった。
時間はあっという間で、直ぐに駅前まで到着する。ぎゅっと拳を握って、くるりと音にいの方を振り向いた。
「今日はありがと!短い時間だったけど楽しかった」
今自分が出来る、精一杯の笑顔を作る。
ちゃんと笑えているかは自信がなかった。
音にいはうん、とだけ言って、少しだけ笑ってくれた。
「ここでいいよ」
「…そっか」
「それじゃ、」
バイバイ、と言おうとした時に、ドンと後ろから人がぶつかってくる。すみません、とだけ謝ったサラリーマンが去っていくのと同時に、私は前につんのめって転びそうになる。
「…っ、」
「大丈夫?」
「大丈夫、ありがとう」
咄嗟に音にいが抱きとめてくれた。
急に近付いた距離に、また心臓がどくんと鳴った。
逞しい両腕…小さな頃からは想像がつかない。
「ごめん、余所見してた」
「ううん、危なかったね」
───カシャ
「…涼花?」
「……」
「ちょ、本当に大丈夫?」
「ご、ごめん!大丈夫大丈夫!」
そう言って笑って誤魔化すけど、違和感は拭えなかった。
何、今の……?
何か、嫌な気配がした。
誰かいるのかと思って近くを見渡すけど、私達に目を向けている人は誰もいない。
気のせい…かな。そうだといいけど…。
私を抱きしめるような形で腕を回す音にいから、ゆっくりと離れた。
まるで、時間を惜しむかのように。
私が駅の改札に向かって歩いていくのを、音にいは何言わずに見送っていた。
ギリギリの所でもう一度振り返る。
「…またね」
さよなら、とは言いたくなかった。
だから敢えてそう言えば、音にいも微笑んでうん、と返してくれた。
今度こそ振り向かないと心に決めて、駅のホームまで走った。触れられた唇が、まだ熱い。
「音、にい…」
あんなに切ないキスなんて、して欲しくなかった。私は一人電車に乗りながら、周りに不審に思われないようずっと涙を我慢した。
今思えばこの時、
ちゃんとお別れの言葉を伝えとけば良かったんだ。
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