最後のデート



ファンデーションをいつもよりゆっくり丁寧に塗る。いつもはしないマスカラをつけて、ビューラーでしっかり上げた。

女子大生には少しお高いブランドのワンピース。私の中での最上級のお洒落をして、最後にグロスを塗った。




「…よし」

それは数日前の事だった。


バイトも無い日の夜。
大学の課題を終わらせて眠ろうとベッドに入った時、スマホが鳴った。



「…音にい、」

電話をかけてきたのは、音にいだった。
スマホを手に持って、応答ボタンを押そうかどうか一瞬迷ってしまう。


会うのは辞めよう、そう合意したはずなのに何だろう。
軽く息を吐いて心を落ち着かせてから、恐る恐る電話に出た。



「もしもし…涼花です」
「涼花?こんばんは。急にごめんね」


声を聞くだけで胸がきゅってなる。
心を落ち着かせたはずなのに、すぐ鼓動が速くなった。


「あの…どうしたの?」
「うん…一つお願いがあるんだ」
「お願い…なに?」
「どうしても涼花に伝えたい事があるんだ。だから、会ってくれないかな?」
「…お店じゃだめなの?」
「うん。二人になりたい、ちゃんと」


ゆっくりと話す音にいの言葉…それについ揺らいでしまう。この前、もう外では会わないと決めたのに。


「だって、この前…もう外では会わないって、」
「うん、分かってる。これは俺のワガママ」


真剣なのが声色だけで分かる。


「最後に一回だけ」


最後…あと一回だけなら、そう思っても言葉は上手く出てこない。


「ね、お願い」


私の大好きな音にいの声。
その声でお願いされたら、私も弱い。

どうしようどうしよう、と頭の中でぐるぐる考える。音にいは私の返事をじっと待ってるようで、それ以上は何も言わなかった。


目を瞑った。
目を閉じても頭に浮かぶのはやっぱり大好きな音にいの笑顔。


「…わかった」

最後…最後に一回だけなら、許されるかな。


「本当に!?ありがとう!」



嬉しそうな声を上げてくれた音にいに指定された時間と場所──もうそこそこ遅い時間帯に、駅前でじっと音にいを待つ。


伝えたいことか…。
私も本当は音にいに言いたいこと、たくさんあるのに。


このままでいたって何も解決しない。
寿さんにもそう言われた。それは分かってるの。でもだからと言って、何か行動を起こす勇気は、私には無いんだ。




「涼花!ごめん、待った?」
「ううん、大丈夫」


だからこの最後のデートが終わったら、きっぱり音にいのことは諦める。
そう、決めてきた。


だから、最後だけ…この時間だけ楽しませてください。
そう、神様に心の中で祈った。


「行きたいところがあるんだ、付き合ってくれる?」
「…うん!」



音にいに連れられ、駅から少し歩く。
到着したのは意外な場所だった。


「ここ?」
「うん!じゃあ乗ろう!」
「えっ?音にい…高い所ダメじゃなかった?」
「もう子どもじゃないんだからー!大丈夫だよ」


綺麗にライトアップされた大きな観覧車。
平日ということもあって人は少ないけど、何人か並んでいる。ドキドキしながら列の一番後ろに二人で並んだ。


どうぞー!と元気なスタッフの方に促されて、向かい合わせで座る。ガタンと、動き出すゴンドラに身を任せていると、どんどんと上に昇っていく。



「わぁー見て!景色綺麗だね!」
「本当だ!うわ、ちょっと高いね」
「もう音にい!さっきは大丈夫って言ったじゃん」
「はは…ごめんごめん」


座りながら窓を覗き込んでいると、いつの間にか隣に座っていた音にい。振り返るとすぐ近くに音にいの顔があって、ドキッとした。
ドキドキを隠すように、また窓側に視線を向ける。



「…小さい頃さ、怖くて一緒に乗れなかったから」

顔を背けた私に、小さく音にいが呟いた。

そうだ。昔、施設の遠足で遊園地に行ったことがあって。最後に皆で観覧車に乗ろうとしたのに、当時高い所が苦手だった音にいは頑なに嫌がったんだっけ。


「音にい、怖い怖いって言って乗れなかったんだよね」
「そうそう!だからさ、大人になったら…涼花と絶対乗りたいってあの頃思ったんだ」


そう話す音にいの声が、優しく響く。
その声にまた泣きそうになった。



ゴンドラはあっという間に頂上に着く。
下を見下ろすと、建物がいつの間にかすごく小さくなっていて。
あぁ、もう半分終わっちゃったんだなぁ…
そんな事を思ってしまった。


「…伝えたい事ってなに?」


顔を窓側に向けたまま、いよいよ話の本題に入る。
今日は何を言われても大丈夫…覚悟しているから。音にいが告げる言葉が怖くて、ぐっと手で拳を握った。

音にいがうん、と一言呟いたのが聞こえて。


「涼花、こっち向いて?」


泣きそうになってるの、バレてるかな。
恐る恐る横を向いた瞬間、


「音に──、」

そっと、唇を重ねられた。







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