雀絵 草side



無造作に置き忘れられた、絵。

その絵は雀だった。
微笑ましいかわいらしい絵が、薄紙の中から今にも動き出しそうで。
草はその雀の黒い線を指でなぞった。
「失礼します。草さん。いかがですか?」
音もさせず入ってきたのは、絵の師だった。
草が手にもつ絵に、師は柔和に微笑む。
「あぁ、その絵が目に止まりましたか。草さんは絵のほうはとんと旨くなりませんが、見る方はお見事ですね」
と誉められているのかそうでないのか微妙な言い回しをされる。
が、それは草も認めるところなので素直に頷く。

「これは、だれが?あいらしい絵ですね」
「ここに習いに来ている子ですよ。絵の才はあるので何とかしたいと私も思うのですが…なかなかに不遇でねぇ」
「不遇、ですか?」
「草さんにはわからないかもしれませんが、絵など道楽なのです。三食事足りている人が、己が楽しみのために描く。あとは…仕事にできればいいのでしょうが…」
「これだけ描ければ仕事になるのでは?」
草は絵を見て呟いた。
「この世界も様々なしがらみやらありますからね。絵が巧いだけで生きていけるようでもないのです。何より彼はまだ若すぎて…育ちもしつけも問題がありますし。彼にはちゃんとした後ろ盾を用意して、じっくり育てたいですねぇ」
「描かれた方は、どなたですか?」
「白石禎という子でね。…そうだ。草さん。もしよかったらお話してあげてくださいな」
「お話、ですか」

師匠の柔らかな笑みに草は眉を寄せる。

「草さんは絵描きには到底なれる才はありませんが、ものかきをしているではないですか。いろんな人のお話を聞くのは世界が広がります。草さんは、人見知りですからねぇ」
そのようにいわれて草は困ったように眉を寄せた。
「人見知り…」
「ものかきなんて、偏屈な人が多いですが草さんもなかなかどうして…あくが強いです。同い年頃の様々な境遇の友を持てば、作品に幅がひろがります。これはものかきも絵描きもいっしょなのですがね」

ひどい事を言われている気もするが、この師匠の人柄ゆえか腹も立たずするりと中に入ってくる。
にこにこ柔和に毒を吐かれても、あたりが柔らかで腹も立たない。
役者が違うという事なのだろう。

「この子は草さんとは真逆にいますが、芯は強くて脆い子です」
真逆の言葉をさらりと言う。
つまり、双方を内包しているのだろう。
絵と、師匠の力の入れかたに興味はそそる。
「俺は、この絵からやさしさや慈しみしか読み取れませんが」
「そういう絵を書く子です。草さんみたいな人があの子の旦那さんになってくれれば私も安心できるんですがね」
「旦那さん、ですか」
金子を払い、絵を好きなように描かせる後援者として若い才能を引き伸ばす。それは大店の草の兄や父なども行なっている動きの一つだ。
文化の繁栄も、確かに大事だがそれよりも育てた者がその才を花開かせれば、大店としては何かと都合がよい。
絵に草紙にいい店だと少しでも描かれれば、客は覗きに来る。
周囲からの評判も上がる。
金のかかる道楽ではあるが、見る目さえあれば時間をかけて一人の人間を育て上げる楽しさがある。
「絵を描くには、とにかくお金がかかりますから。援助してもらわなければいくら才能があっても埋もれてしまう。そんな子を私は何人も見てきましたが、この子はできれば花開かせたいと欲が出ます」
師匠は柔らかな眼差しで、雀の子が遊ぶ絵を見る。
「この絵は、俺も好きです」
「そうですか。それは私も嬉しいですね」
師匠は仏様のように笑う。
「師匠の絵に似ている。やさしくて、あたたかくて…どこかさみしげで」
「そう評して下さいますか。草さんの御眼鏡にかなうなんて私も出世した者です」
「すみません。生意気で」
草はぺこりと頭を下げた。
師匠の腕を評するなど、弟子がすべき事ではない。
「さっきもいったでしょう。草さんは描くのはなかなか上達しませんが、目だけはよく肥えている。幼い頃から良いものばかりを見て育ったおかげでしょう」
大店にはすばらしい唐来の屏風や西からの屏風、陶芸が所狭しと置かれていた。
勿論商品ではあったが、きれいなものが好きで人付きあいが余り得意ではない草はそれらを見ながら幼い日々を過ごしていった。
「はい。両親には感謝しています」
「良いことですよ。素直に認めること。素直に感謝できる心。それを育ててくれた草さんのご両親やご家族が見えるようです」
「ありがとうございます」
草は丁寧に頭を下げた。

「ところで課題のあやめの花は描けましたかな?」
「はい…」
草は薄紙を見せる。
「………」
「…………」

見合っていても始まらないと判断したのか、師匠が口を開いた。

「草さんは巧く描こうとしないのがいいのかもしれませんね」
「…一応、努力はしているつもりですが」
「今度から、禎君と一緒に学んでゆきましょうか」
「はい」
「ここでは学べるものは、絵だけではありませんから」
「ありがとうございます。お師匠様でなければ、きっと俺など他の画壇で誰も面倒を見てはくれなかったでしょう」
「さてさて、それはどうか」

ほっほっとわらう師匠に草は首をかしげる。

「それはどうか、とは?」
「財産があれば色目を使う者も多いでしょう。その中で真を見抜くのはなかなか骨が折れることですから。草さんもそういう意味では十分気をつけてくださいね」
「はい」
草は深く頭を下げた。
絵の才能は草にはない事は師匠も草自身も理解していたが、絵だけではなくこの師匠の人柄から学ぶことも多く師事をやめようとは思わなかった。
師匠もわかっているからこそ、別の部分に触れさせようとしてくれているのだろう。


***


「失礼します」
草が座敷に入ると見るからに細く粗末な着物の青年が座っていた。
青年はぺこりと頭だけ下げてきた。
柔らかな色の髪の青年の隣に座る。
「よろしくお願いします」
草は丁寧に手をついて頭を下げた。
「……?」
禎はちょっと左右を見て他の者ではなく草が自分に言ってることを確認し困ったように目を伏せた。
「俺は絵が下手なので、師匠に白石様の隣で教えていただけといわれました」
「…俺は別に、教えられるような事はない。それにそんな風に呼ばれるのは気持ちが悪い。あんたみたいに高そうな着物を着た人間に様なんて呼ばれるなんて、笑い種だ」
「ではなんとお呼びすればいいですか?」
「さち、でいい」
「禎さんですね。お隣を失礼致します」
そう言って、草はゆっくりと墨をすると、禎も墨をすり始める。


小さな墨を石に丁寧に当てている姿は好ましい。
みなの墨がすり終わった頃、禎が立ち上がり話した。
「お師匠さまからの今日の御題は、紫陽花の花だそうです。まだ咲いてない紫陽花の花を記憶の中で描いて、来月は花を見て描きましょうとのことでした。では、はじめてください」
禎の言葉に思い思いに筆をとる。
草も筆をとって描き始めるが…紫陽花というのが難しい。
水を含ませ濃淡をつけてゆくが、墨は一度紙に落としたら修正はきかない。
記憶の中の紫陽花はこんもりと盛り上がり、やさしく雨に打たれている。
が、筆は。
ふっと、隣を見ると禎の筆は迷いなく動いている。
紙の上に紫陽花の花が、開いてゆく。
どれほどそうしていたのか、ふっと筆がとまった。
そして、禎は草を見る。
「何見ているんだよ」
「見事なものですね」
草は素直に感嘆を示したつもりだったが、禎の気に障ったようだった。
「なにがっ。もっとこう…紫陽花は濡れたように描かないと…瑞々しさっが足りないんだよ。先生の絵を見ているならわかるだろう?」
禎の悋気に草は書き描けの絵を見る。
自分の子らの絵と大して変わらないそれに、草は眉をひそめた。
禎のレベルには到底及ばないどころか、お話にもならない。

禎は初めて草に興味を示したように草の手元を見て、ふわっとわらう。
その笑みが柔らかで…草はかわいらしいと素直に思った。
「筆の軸が定まってないんだ。筆がぐらついたらいい絵はかけない。あと、まめに筆を洗うといい。薄いほうから濃いほうに…」
言いかけてはっとする。
「ごめん。余計なこと言った」
「そんなことありません。教えてくださり嬉しいです。禎さん」
こんな風に丁寧に言われた事の少ない禎は、ふるるっと首を横に振った。

少し首筋が赤くなっているのは照れているから、だろうか。
と草はそっと盗み見る。
禎の表情は、ゆたかだ。
大きな瞳が印象的で、何より笑顔が魅力的に思えた。

はるか後になってわかる事だが、草はこの一瞬におちた。

「もっといろいろ教えてください。みてのとおり絵が下手なもので」
「…絵は、描くのが好きならいいんじゃないかな?」
禎は真直ぐに言った。
草の下手な絵をけなすでもなく、極自然に。
「描くのは嫌いじゃありません。しんとする感じがして」
「それ、わかる気がする」
禎は目を細めて笑った。
草はその表情を見て嬉しそうに頷く。

全てはここから始まった。

END 2010 2 28


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