バジリコのパスタ 草side
バジリコのパスタ
今夜はバジリコのパスタを禎がつくると言っていた。
乾燥のバジルの葉ではなく、フレッシュなバジルをあのマンションの小さな庭で自分で育てたらしい。
少し骨ばった男の指。
けれど人前に出るカフェのマスターだけあって手入れを怠らない綺麗な指がゆっくりと動いてゆく。
草の部屋で料理をする禎を見るのは草の楽しみの一つだった。
隣に立ち料理をしながら、禎の手を意識してしまう。
「禎さん。胡椒とってください」
「ん」
ぽんっと手渡される胡椒引き。
指が離れてゆく。
料理人だけあって爪を毎日切っているのか。
それともヤスリで削っているのかわからないけれど、形のよい薄紅色の爪に見惚れる。
「草ちゃん?」
「はい」
「パスタあげるから危ないから退いていて」
草は作っていた鶏肉の冷製サラダを避けて、禎の手元を見る。
湯気がほわっと広がる中で、金色のパスタが踊る。
ヴァージンオリーブオイルとガーリックとパスタのゆで汁とイタリアンパセリでつくったソースにパスタを絡めてフレッシュバジルのみじん切りをたっぷりと散らす。
あざやかな緑とふわりと広がるパスタの薫りが食欲をそる。
フライパンを器用に返す指。
胡椒を手早くミルで轢く指。
計算し尽くされた動作のように、禎の舞う指に見惚れてしまう。
「草ちゃん、出来たよっ。何を見ているの?」
禎は黄色いフレームの眼鏡の奥でにっこりと笑う。
「あ…いえ。え、と」
「早く食べよう。パスタは作りたてを食べるのが一番美味しいからっ」
禎の言葉にサラダボゥルと小さな取り皿二つ持って、草は禎のあとをついてゆく。
「スープは昨日の残りの、ワカメと玉葱のスープでいいよねっ」
「はい」
「サラダはレモン絞ろうね。そのほうがサッパリして美味しいよ」
くし切りのレモンを小皿に乗せて、禎は木の大きな盆にスープを載せててきぱき運ぶさまはさすがに器用なカフェのマスターだ。
バジリコパスタの盛り付けもふんわり高く、お洒落だ。
「はい、草ちゃん」
フォークとスプーンを手渡され草はありがとうございますと丁寧に礼をいって受け取った。
「さ、食べよ」
正面に座って、いただきますと手を合わせる。
「いただきます」
草もくるくるとフォークを操りぱくんと口にする。
爽やかなバジルの香りが胸に広がる。
「美味しいです…」
「うんっ。塩加減は大丈夫?」
禎は嬉しそうに笑い自分もまるでアクセサリーを扱うように銀のフォークをくるくると巻いてゆく。
緑のパスタがいかにも旨そうだ。
薄紅色の唇でぱっくりとパスタを受け止めて、禎が首をかしげる。
「……ねぇ、草ちゃん」
「はい?」
草はパスタには目もくれず、禎の指をじっと見ている。
当然指は動いてはいない。
「あのさ、何みてるのかな?」
「禎さんの指ですが…?」
「さっきから気になっていたけどそんなに凝視するほどのものじゃないでしょー!」
禎は叫ぶように言って、食事をちゃんと食べるようにうながす。
けれど草はどうしても気になるのか、禎の指を見たまま目を離せない。
「今日はなんなの。草ちゃん」
あまりに注目されすぎて半泣きの禎に草は呟いた。
「いえ…すべてを好きになるって…言葉ではいいますけど…。本当にそうなのだと今日改めて思いました」
そう言ってフォークを持っていない禎の指先をそっと手に取り、薬指の指先にキスをする。
「そうちゃーん」
半泣きの禎を草は気にした風も無く、そのまま草は唇をずらし薬指の根元にキスをする。
「爪の先まで愛しています」
その言葉に禎は困ったように苦笑して頷いた。
このまま行けばこの場でなんてこともありえてしまうから。
「俺も愛しているよっ。草ちゃん。だからご飯食べてよ。俺の力作なんだから」
お手製である事に力を込めると、草は改めて気がついたようにフォークを手に取る。
「はい。美味しくいただかせていただきます」
せっせと食べ始める年下の恋人をみて、禎はクスリと笑う。
ただの日常。
それがこんなにもいとおしい。
END 2010 5 9
ページ: