ル イ ラ ン ノ キ


 4…「8時10分」



風が出てきた。神社を取り囲むように生えている木々が風に靡き、葉が擦り合う音がする。
私は顔を上げた。すっかり辺りは暗くなっている。かろうじて本殿の表で行われているお祭りを照らす提灯やライトの明かりが、少しだけ本殿の裏にまで漏れて、辺りを微かに照らしてくれている。
本殿の裏とはいえ、誰も来ないのは不思議だった。自転車置場の連中のような人たちがいてもおかしくはないのに。

ケータイの時計は午後8時9分を示している。ケータイの時刻が一分の狂いもなく合っているかどうかは自信がない。もしかしたらもう10分になっているのかもしれない。
私はケータイを閉じて、右ポケットに仕舞った。そして、腰にかけてある防犯ブザーを握りしめた。今更ながら少し後悔する。けれど、本殿の表側からは人の笑い声や音楽が聴こえてくるのだから、少しは安心できる。こんなに人が沢山いるところで、事件に巻き込まれたりはしないはずだ。ブザーを鳴らさなくても叫べば誰かが来てくれるにちがいない。

そう思ったけれど、本殿裏の不思議な空間に呑まれてしまいそうになり、また直ぐに不安が襲ってきた。こんなに騒がしい中で大声を出して、誰かの耳に届くのだろうかと。

ザザッと、強めの風が吹いた。
目を細め、神社を囲む暗い森に目をやると、心臓がドクンと飛び跳ねた。──誰かいる。
一本の樹の後ろから、白い顔がじっとこっちを見ているのだ。
バクバクと落ち着かない胸を押さえながら目を懲らしてみた。ゆっくりと白い顔に歩み寄っていき、途中で気付く。──子供だ。白い狐のお面を被った子供が、樹の後ろから覗き込むように私を見ている。
ホッと胸を撫で下ろし、急いで駆け寄った。

「こんばんは。君だったのね、お手紙くれたのは」
 中腰になって話し掛けると、その子供は狐のお面越しに私を見つめた。
「──おねえちゃん、あそぼ」

そう言った声は、エコーが掛かっているように響いて聞こえたが、たぶんお面をつけているから声が篭り、そのように聞こえたのかもしれない。
狐のお面を身につけた子供は、黒に近い紺色の生地にグラフチェック柄の地味な浴衣を着ている。声と浴衣からして多分この子は、男の子だ。

「いいけど……ひとり? お母さんは?」
「なにしてあそぶ?」
「私の質問は無視?」
 と、苦笑した。
「あまり遅くまでは遊べないよ? ご両親が心配するだろうし。お名前は?」
「なにしてあそぶ?」
「…………」
「あそぼう。おねえちゃん。なにしてあそぶ?」

この子……なんかおかしい。
質問に答えないのは早く遊びたいからか、答えたくないからか。どちらも違う気がする。

「あそんでくれないの?」
「ううん。先に君が誰なのか教えてくれない? 心配だし……」
「しんぱい、いらいよ」

やっと会話らしくなる。

「でもお母さんたちが心配するでしょ? 君はいいかもしれないけど、お母さんからしたら知らない女の人と遊んでたら心配するよ」
「しないしない。しんぱいしない。あそぼうあそぼう。なにしてあそぼう」
 と、少年は森の中を走りはじめた。

薄暗い森の中で、少年の白い狐のお面だけが浮遊しているように見える。

「あっそぼうあっそぼう、なにしてあそぼう、かけっこ、おにごっこ、かくれんぼ。ひとーつ、ふたーつ、みぃーっつ」

妙なメロディーに乗せて、少年は唄った。森の中を駆け回った少年は、私から10メートルは離れた場所にいた。
歌が終わると、ピタリと立ち止まり、私に顔を向けた。そしてまるで獣のように体勢を低くすると、高々と飛び上がり、私の目の前に着地した。

「ひぃっ?!」

──こいつ人間じゃない!
私は情けない声を上げてその場から逃げ出そうとしたが、足が絡まって転倒してしまった。
体を起こそうとした私に少年は顔を近づけた。息が届くほどの至近距離で見る狐のお面。目の部分が丸くくり抜かれ、中から見開いた目がパチクリと瞬きしたのがわかった。

「ヤダッ! 近寄らないでッ!」
 そう言って手で払いのけようとしたとき、少年が身につけていた狐のお面に触れ、弾き飛ばしてしまった。
「おっとっとっとっと……」
 お面が外れた少年は、みるみる体が大きくなってゆく。

足が伸び、髪は白髪になり、肩幅も広がり、ガッチリとした体型になった。私が呆然としている中、少年は青年の姿に成長し、私に覆いかぶさっていた。
端から見れば、若い男に襲われた女子高生の図である。

「おー、この方がよく見える」
 そう言った男を、私は力ずくで押し退けて立ち上がった。
「な……なに……」
 混乱しているせいで上手く言葉が出てこない。

男は、辺りを見回して狐のお面を見つけると、斜めに被せるように頭に身につけた。
再び私の前まで来ると、私を見下ろしニカッと笑った。

「遊びましょう」
「……は?」

夏バテ……だろうか。もしかしたら私は夏の暑さにやられてどこかで倒れているのかもしれない。そんな私は今夢をみているのだ。そうに違いない。

「遊びましょう。なにして遊ぶ?」

そう言って男は私の頬に触れた。ひやりとした冷たい手にゾッと背筋が凍る。

「触んないでっ!」

私は得体の知れない男に背を向け、走り出した。身体が強張っているからか、また足が絡まり、派手に転倒した。森を駆け抜けてくる音が近づいてきて、耳を塞いだ。

   やだ……やだッ!!

「やだぁああああああぁあぁ!!」

━━━━━━━
━━━━━

「なんだい?! りん、どうしたんだい」
 と、縁側からお婆ちゃんが顔を覗かせた。
「え……」

心臓がバクバクと暴れている。扇風機が首を左右に動かしながら風を送ってくる。私が横になっていた場所は、畳の上だ。

「悪い夢でも見たんかえ?」
「夢……あ……夢か……」

まさかの夢オチに、渇いた笑いを零した。風鈴の音が聞こえる。

「スイカ食べんかえ?」
「あ、食べる食べる!」

私は起き上がり、額の汗を拭ってから居間へと移動した。
居間では切り分けられたスイカがテーブルの上に置かれ、お爺ちゃんは床に新聞紙を広げて足の爪を切っている。時刻は夕方の5時半だ。

「おじいちゃん一番デカイの食べるー?」
 そう訊いた私は、夢と同じことを言ってるなとおかしくなった。
「いやいや、りんが大きいの食べなさい」
「わーい」

やっぱりお婆ちゃん家は最高だと思う。時間の流れの速さは変わらないはずなのに、お婆ちゃんの家にいるとのんびりと時間が流れているように思う。

「おやおや、それ着てくれたんだね」
 台所から塩を持って来たお婆ちゃんが、私が着ているTシャツを見てそう言った。
「うん、気に入ったの……」
 そう答えながら、胸のどこかで不安を感じていた。
「そうかい、よかったよ。りんちゃんに似合うと思ってねぇ」

──同じだ。夢と同じ……。

「ありがとう……」
 正夢というものだろうか。だとしたら……確かこのあとお爺ちゃんが……。
「そういえばさっき母さんから連絡があったぞ」
 お爺ちゃんはそう言って新聞紙を持って切った爪をごみ箱に流し捨てた。

やっぱり同じだ。夢で体験したことがもう一度繰り返されている。

「手紙が来てたそうだ」
「手紙……」

薄い水色の封筒。差出人はわからず、中の手紙には──

「誰からかは聞いとらんが、かけ直して訊くといい。急ぎの手紙かもしれんからの」
「…………」

違う。少しだけ夢とは違うことに気づいた。私が夢の中で言ったセリフを言わなかったからか、お爺ちゃんのセリフが少しだけ変わったのだ。
だけど、流れは変わっていない。
このままだと私は現実にあの得体の知れない奴と会うことになってしまう。

「……いや、いいよ。どうせ大した手紙じゃないと思うし」
「そうかい」

これで大丈夫。
夢と同じシナリオを辿るのは御免だ。夢とはいえ、また電車を乗り継いで帰るのも億劫だし。
そう思いながら私はスイカにかぶりついた。

スイカを食べ終えたあとは居間でテレビを見ていた。すると、玄関前の廊下にある固定電話が鳴った。お婆ちゃんが席を立ち、直ぐに電車に出る。

「もしもし? ああ、あんたかい。──ちょっと待っておくれ」

暫くしてお婆ちゃんは私がいる居間の戸を開けて言った。

「りん、電話だよ」
「え、私に? 誰から……?」

答えを待たなくてもわかった。私がお婆ちゃんの家にいることを知っていて、尚且つお婆ちゃん家の電話番号を知っているのは家族だけ。その中で可能性が高いのは──

「お母さんから電話だよ」
「…………」

絶句して言葉が出なかった。
私は電話機の前に立ち、震える手で受話器を取った。

「……もしもし」
『りん? あんた宿題やったの? おばあちゃん家でぐうたらしてたらだめよ?』
「うん……話ってそれだけ?」
『あらなに、いやに素直じゃないの』
「いいから話ってそれだけ?!」
『なに怒ってんのよ。あ、手紙来てたわよ。差出人がわからないけど』

だめだ。まだ夢のシナリオは続いている。

「そう……置いといて」

開けなければいい。読まなければいいと思った。出来れば捨てておいてと言いたいけれど、母なら相手に失礼だとかなんとか言って、自分で捨てなさいと応じてくれなさそうだった。──と、その時、受話器の向こう側から紙を破る音がした。

「え……なにしてんのお母さん!」
『差出人がわからないと気持ち悪いでしょ? 見といてあげようかと思ったんだけど……やっぱ悪いわね。取りに来なさい。大事な手紙かもしれないんだから』
「やだよ……私帰らないから!」

そう言って私は一方的に電話を切った。
動悸がする……。一体なんなのよっ!

      

そして翌日、速達で“それ”は、私がいるお婆ちゃんの家に送られてきた。
薄い水色の封筒を目の当たりにして、私は腰が抜けそうになった。気持ち悪くて、怖くてたまらなかった。

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©Kamikawa
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