ル イ ラ ン ノ キ


 2…「薄い水色の手紙」



≪8月10日のすすきの神じゃのなつ祭りであなたにあいたい。午ご8時10ぷん、すすきの神じゃの裏にあるスギノキの下で≫

「……なにこれ」

中途半端に平仮名が使われたその文章に、不気味さを感じた。
今一度水色の封筒を見遣ると、私の名前も住所も漢字で書かれているのに、なぜか手紙では所々平仮名で書かれている。そしてよく見ると、切手は貼られているが、消印がないことに気づいた。

「やだ……気持ち悪い!」
 わず手紙を床に落としてしまった。

誰かの悪戯に違いない。私は手紙を拾ってくしゃくしゃに丸めようとしたけれど、思いとどまった。不快感を抱きながらも、もう一度冷静になって手紙の内容を口に出して読んでみた。

「8月10日の芒之神社の夏祭りであなたに会いたい。午後8時10分、芒之神社の裏にあるスギノキの下で……」

はじめは所々の平仮名にはなにか意味があるのかもしれないと思ったみたけれど、暗号とかクイズとか昔から好きで得意な私は特になんの意味もないように思えた。ただ漢字が分からなかったのだろうか。そう思うとこの汚い字は子供が書いたのではないかと思えてくる。
封筒の宛先はどうなのだろうか。消印がないということは、直接家のポストに入れられたと思うのが普通だ。わが家の住所は知らなかった、もしくは知っていても漢字がわからなかったとして、他の郵便物を見ればわかるはず。でもわざわざ他の郵便物を見て書く理由まではわからない。それに直接家のポストに投函したのなら、住所を書く必要はなく、私の名前だけ書けば済むのに。

私は封筒と手紙を眺めながら、頭を悩ませた。

そもそも、こんな気味の悪い手紙を読んで、喜んで指定された場所に行くバカはいないはず。
よほど私はバカにされているか、よほどのバカが書いた手紙ということになる。
それともただ気持ち悪がらせたくて書いたのだろうか。指定した場所に来なくてもいいが来たら来たで面白い、みたいな。
来るか来ないかの賭けを誰かがしているのかもしれない。

でもそんな悪趣味な奴がわざわざ切手を使うだろうか。なんの意味もなく。

「…………」
 私は一先ず手紙を勉強机の上に置き、腕を組んで考えた。

切手は気持ち悪さをよりいっそう演出するための小細工かもしれない。確かに消印がないのに切手を貼ってあるなんて気味が悪い。でもそこまで人から悪戯をされるような人間ではないと自分では思っているし、人からの怨みを買った覚えもない。
もしかしたら友達の仕業かもしれない。
肝試し風どっきり。指定された場所に行くと手作りのドッキリ看板を持って友達が現れる、とか。

「……行くべきか、行かざるべきか」
 私は独り言を呟いた。

考えても埒があかない。こういうときに彼氏という頼れる存在がいたらなぁなんて思う。友達に相談してみようか。

でも、みなみに相談したら、「やめときなよ気持ち悪い」と言われそうだ。
かなに相談したら、「他の人に頼んで一緒に行ってもらったら? 私はパス」と言われそうだ。
なつこに相談したら、「ごめーん、私そのお祭り彼氏と行くんだよねぇ。それより浴衣どんなんがいいとおもうー?」と言われそうだ。

「ろくな友達がいないな」
 勝手に想像して勝手に友達に幻滅する私はどうなんだか。

8月10日は明後日。
幸か不幸かなんの予定も誘いもない。その日もお婆ちゃん家に寝泊まりしている予定だったからだ。
私は勉強机の上で充電していたケータイを手に取り、お婆ちゃんの家に電話を掛け、10日過ぎくらいにまた泊まりに行くことを伝えた。
結局私は、一人で芒之神社へ行くと決めたのだ。

芒之神社というのは歴史の古い神社で、毎年夏になると、鳥居から本殿までの参道の両端にずらりと出店が並び、子供や大人たちの笑い声が飛び交う。
そういえば私が最後に芒之神社のお祭りに行ったのはいつだっただろう。
確かあれは私がまだ小学1年生の頃だ。ピンク色の生地に金魚柄の着慣れない浴衣を着て、母と手を繋いで芒之神社のお祭へ。
母は出店で焼きそばを作っていた近所のおじさんと長話しをはじめたんだ。私は母の手を握ったまま、辺りを見回した。美味しそうな綿菓子がある。真っ赤なリンゴ飴もある。アニメのお面がずらりと並んだお店もある。──と、同級生の女の子を見つけた。母親と金魚すくいを楽しんでいた。

「ねぇおかーさん、わたしも金魚すくいやりたい」
 そう言って私は母の顔を見上げたが、母はおじさんとの会話に夢中で全く聞こえていなかった。
「ねぇーおかぁーさん!」
 繋いだ手を引っ張って大声で呼ぶと、母は困った顔で私を見下ろした。
「もぉ……今お話してるんだからちょっと待ちなさい」
「金魚すくいしたい綿菓子たべたい!」
 母はため息をこぼして、300円を私に差し出した。
「これで綿菓子買ってきなさい。買ったらすぐに戻ってきなさいよ?」
「…………」
 私はムスッとして、お金を受け取った。
「返事は?」
「……はい」

お母さんなんか大嫌いだと思った。300円しかくれなかったから。私は綿菓子を食べたかったし、金魚救いだってしたかった。これじゃあ足りない。
私はしばらく綿菓子と金魚すくいの店の間に立ち尽くして考えていた。どっちにしようか。当時の私にとっては究極の選択だった。なのに……。

「お嬢ちゃん。りんちゃんじゃないかい?」
 と、後ろから声を掛けられた。

すぐに振り返ったけれど、人がごった返していて誰が声をかけてきたのかわからない。大人たちの大きな体が目の前を横切ってゆく。

「こっちこっち。お面屋のおっちゃんだよ」

そう言われ、人混みを掻き分けながらお面屋の前に行った。クラスメイトのまなみちゃんのお父さんだ。

「おじちゃんこんにちは」
「おー、偉いね、こんにちは。どうだいお面買わないか?」
「え……」

まなみちゃんの家には何度か遊びに行ったことがあった。まなみちゃんの家族が海に行くときに私も連れていってもらったこともある。なにかとお世話になっているということは、小1の私でもわかっていたわけで。

「ほら、りんちゃんの好きなハートフルにゃんにゃんのリコにゃんもあるよ」

ハートフルにゃんにゃんのリコにゃんは当時私とまなみちゃんが嵌まっていたアニメのキャラクターである。

「うん……」

好きとはいえ、顔がアニメとは微妙に違っていて若干怖く見えるリコにゃんのお面。欲しいとは思わない。

「ほかにも動物シリーズもあるぞ」
「じ、じゃあ……うさぎさん」
「おー、うさちゃんか。まいどあり! 300円だよ。持ってるかい?」

この日からおじさんのことが大嫌いになった。まなみちゃんは好きだけど、まなみちゃんの家に遊びに行くことはなくなった。
あまり可愛くないけど一番マシだったうさぎのお面を身につけて、母の元に戻ろうとしたけれど、やめた。多分母はまだおじさんと話していると思ったし、このお面を見て言うであろう言葉はわかっていた。

「なんでそんなもの買うの! 必要ないでしょ!」
 母は自分が気に入らないと否定するのだ。

だから私はあの日、母に背を向けて人混みの中に紛れて行ったんだ。大人にぶつかるし、足は踏まれるし、変なお面買わされるし、綿菓子は食べられないし、お祭りなんか嫌いだと思った。
人混みから抜け出すように、本殿の裏にやってきた私は、本殿に寄り添うように腰を下ろした。

「綿菓子……たべたかった」

お面をつけたまま、そう呟いて俯いた。
すると、森の奥からカサカサと音がした。驚いて立ち上がると、真っ白い犬が姿を現した。

「うわぁ、きれいな犬! おいでおいで」
 と、しゃがみ込んで手を叩く。

私に気づいた白い犬は、ゆっくりと近づいてきて、私の目の前でおすわりをした。手を伸ばし、頭を撫でてやると、体を擦り寄せてきた。
しばらくの間、母のことも忘れて白い犬と遊んでいたっけ。お面をしていると息苦しくなって外すと、白い犬が私の顔をまじまじと眺めたように思えた。

そして鬼が、やってくる。

「りんーッ?! りんどこなの?!」

母の声だ。私はあたふたとその場で足踏みをした。

「ワンちゃん、わたしもう帰らないと。また遊ぼうね、ばいばい!」

白い犬に別れを告げて本殿の表へ戻ると、鬼の形相で私を捜していた母は、私の顔を見るやいなや頬をひっぱたいた。

「戻ってきなさいって言ったでしょッ!」
「……ごめんなさい」

子供ながらに言いたいことは沢山あった。300円じゃ足りないとか、だったらお母さんがついて来てくれればよかったのにとか、一人にしたお母さんが悪いんだとか、せっかくお祭りに来たのだから、お母さんと一緒に見て回りたかった……とか。でも言ってやるもんかと思った。

あの日から芒之神社の夏祭りには行っていない。楽しかった思い出なんかなかったから。
お祭りなんて、人混みが邪魔で暑苦しいだけだ。

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