ル イ ラ ン ノ キ


 26…「下駄を鳴らして」



私はワゴン車の助手席に乗って揺られていた。

「それにしても直弥さぁ、こんな可愛い彼女出来たんならもっと早く知らせなさいよー」
 と、彼の“ふくよかな先輩”はハンドルを切りながらそう言った。

可愛い?! 彼女?! と、一瞬素直に喜んでから、彼の名前が“なおや”だと初めて知った。

「そんなんじゃねーよ」
 後部座席に一人で乗っている直弥さんが答えた。「今日知り合ったんだ」
「えーなに、じゃあナンパー? らしくないねー」
「違うって」
「じゃーなによぉー」
「…………」
「あのっ」
 と、私は口を開いた。
「ちょっと友達の家に遊びに来てたんですけど、慣れない場所だから道に迷ってしまって。助けてもらったんです」
「えーまじ? あんた優しいじゃーん」
 と、ふくよかな先輩は運転しながら後部座席にいる直弥さんに言った。
「あの、お姉さんお名前は? 私はりんっていいます」
「りんちゃん? へぇ、涼しげな名前だねー、漢字はなんて書くの?」
「平仮名で、りんです」
「へぇー、めずらしい! 私は宏子。普通過ぎる名前でごめんねー?」
 そう言って豪快に笑う宏子さんは明るくて温和な人だ。

そして、きっと凄く優しい人だ。
だって直弥さんが持っていた花束とおもちゃについて、なにも訊こうとはしなかったから。

      

家の前まで到着したのは午後9時過ぎだった。物音に気づいた母が家から険しい表情で出てきたが、すぐにその顔は和らいだ。──よそ行きの顔だ。

「あら、こんばんは……」
 母は車から降りてきた宏子さんと直弥さんに頭を下げた。よそ行きの声で。
「こんばんは。りんちゃんのお母さんですか?」
 と、宏子さんが尋ねる。
「はい……うちの子を送ってくださったようで、すみません、ありがとうございます」
「いえいえ。私が呼び止めて長話しをしていたせいで遅くなってしまったんですよ、すみません」
 そう言って気をきかせて嘘までついてくれた宏子さんに私は抱き着きたくなった。
「いえそんな……」
「じゃありんちゃん、話し聞いてくれてありがとね、おやすみー」
「あ、送ってくれてありがとうございました!」
 私が慌ててお礼を言うと、宏子さんは笑顔を向けて、運転席に乗り込んだ。

母は頭を下げたあと、すぐに直弥さんに目を向けた。よそ行きの温和な表情は変わらないが、心なしかピリッとした空気を私は母から感じとった。

「俺は“姉”の付き添いですので、安心してください」
 と、直弥さんまでも気をきかせてくれた。「じゃあ、失礼します」

直弥さんは母に頭を下げたあと、私と目を合わせ、にこりと笑ってくれた。
助手席にに乗る直弥さんに声を掛けたかったけれど、母の視線が気になって出来なかった。

なんだろう。凄く寂しいな……。
二人を乗せた車が見えなくなるまで私は玄関の前で見送った。

「で、誰なの?」
 と、母の声のトーンが下がる。
「知り合い」
「どこで知り合ったの」
「どこって……」
 と、家の中へ入って靴を脱いだ。

──あ、自転車忘れた。明日の朝でも取りに行こう。

「ちゃんと答えなさい!」
 と、母に腕を掴まれた。
「なんでよ……なんでいちいち友達をお母さんに紹介しないといけないわけ?」
 うんざりしながら母の手を振りほどいた。
「心配してるのよ!」
「娘の心配なんかしてないで、お父さんの心配でもしたら?」
「なによそれ」
「どうせまた飽きたんでしょ“あの人”に。もういい加減離婚を繰り返すのやめてよね。私に何人お父さんがいると思ってんの」

ここだけの話、母は男好きだ。
小1のときに行ったお祭りで母が話し込んでいた近所のおじさんとも、いい感じだった。
自分でもどうかと思っているのか、娘に対して男関係のチェックが厳しかったりする。自分と同じような人生を送ることだけは避けてやりたいらしい。

そんな恋多き母を姉は毛嫌いしていたけれど、恋愛に反面教師だった母のおかげか、姉は一生愛していける旦那さんと巡り会えたわけだ。
かくいう私も、今こそまだ彼氏も好きな人もいないけれど、母を見てると取っ替え引っ替えするような女にはなりたくないと思うわけで……。

「…………」
 なぜか今、一瞬、直弥さんの顔が脳裏に浮かんだ。

それは多分、お狐さまと本当に瓜二つだったからだろう。どきどきするのだって、まさかお狐さまと同じ顔の人が他にもいるとは思わなかったからだ。
それに改めて私は凄い経験をしたんだと思うし。
多分、このドキドキは、そのせいだ。
 
      

──8月10日。
私にとっては何度目の8月10日だろう。思い返すのも億劫だ。
もう芒之神社へ行く必要はないのだけど、午後6時になると、私は早々と出かける準備をしていた。
髪型に時間をかけて、念入りにメイクもした。おもちゃは持っていかない。

私はリビングに下りて、ソファに座っている母に訊いた。

「お母さん、お姉ちゃんの浴衣、ないかな……」

自分の浴衣は持っていなかった。そういうの、私には似合わないし。

「なに、お祭り行くの? 珍しい」
「いいから浴衣ない? なければいい」
「あるわよ」
 と、母はソファから立ち上がり、2階の姉の部屋から浴衣を持ってきた。
「あんた自分で着付け出来るの?」
「出来るわけないじゃん」
「当たり前みたいに言わないの」

母は呆れたようにそう言って、浴衣を着付けてくれた。
小学1年生のときのことを思い出す。あの時もこうして浴衣を着付けてくれたっけ。着慣れなくて暴れる私に、「じっとしてなさい」と言いながら。
浴衣は苦しいし歩きづらいから好きじゃなかったけれど、母が着付けてくれたことは嬉しかったし、着付け終えたあとに言ってくれた言葉も嬉しかった。「はい出来上がり。可愛い可愛いっ」って。
あの時と同じ言葉はさすがにもう言ってはくれなかったけれど、「はい出来上がり。なかなか似合うじゃない」と言ってくれて、照れ笑い。

「ねぇ、お母さんも行く? お祭り」
「お母さんはいいわよ。どうせ誰かと待ち合わせしてるんでしょ? 楽しんできなさい。ただし、遅くならないよーに」
「はいはい、わかってますよ」
 そう言って私は家を出た。

自転車は昨日の朝取りに行ったから庭に置いてあるものの、浴衣で乗るのは大変だ。
仕方なく歩きで行くことにした。
歩くと距離があるし、履き慣れない下駄だと確実に足が痛くなるはず。でも、たまにはいいかなって思う。

大股で歩けず、やっぱり浴衣は苦手だ。

待ち合わせをしている人なんていなかった。でも、会えたらいいなと思う人がいる。白い生地に朝顔が描かれた浴衣で、同じ柄の巾着袋を揺らし、カラカラと下駄を鳴らしながら、芒之神社へ向かった。

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©Kamikawa
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