ル イ ラ ン ノ キ


 21…「助けて」



私は言われるがまま上半身の服を脱ぎ、トップレスになった。お狐さまは私が脱いだ服を奪い、本殿の屋根から高みの見物をしている。
本殿の表では何も知らずにお祭を楽しんでいる人達が喧騒としている。本殿の前に腰を下ろしている人だっているし、知り合いだっているのに。

「りーん、3回走ってワン」
「ワンてなによッ」

両腕で胸を隠して、本殿の横から様子を眺めた。参道の両端には出店が並び、沢山の人が参道の上を行き来している。
1回ならまだしも、3回も走って行ったら確実に顔を見られるし注目も浴びる。

「あーもう最悪ッ最低ッ……」
「りーん。10数える前に1周目走ってくるんだ」
「ちょっと待ってよ! 私にもタイミングってのが──」
「ひとーつ、ふたーつ……」

有無をも言わせずに数えはじめたお狐さまに、足元に落ちている石を投げつけてやろうかと思った。勢いで走って行くしかないのはわかっているけれど、どうしても足が竦む。余程スタイルがよくて露出したがりの女ならトップレスになって人前に出るのも平気かもしれないけど!

お狐さまが数を数えている間、胸を隠すべきか顔を隠すべきか、本気で悩んだ。
普通に考えれば顔だ。顔さえわからなければ誰だかわからないままで済むけれど、私だとバレたらトップレスになって何をやってたんだって話だ。母親の耳に入ったら最悪だし、友達に見られてドン引きされるのも嫌。そんなことになったら学校でも笑い者だ。
顔だよ顔顔! なのにギリギリまで迷う。

「ななーつ、やーっつ、ここのーつ」
「行くよっ!」

もうヤケクソだ。
顔を両手で覆い隠し、指の隙間から足元だけを見て本殿の前へと走り出た瞬間、人とぶつかってよろめき、ひやりとした。辺りがざわめきはじめる。私は今すぐにでも死にたい思いで本殿の前を走り抜け、裏へと戻ってきた。本殿の表は騒然としている。

「なに今の?!」
「なに? なんの騒ぎ?」
「今なんか裸の女の人が走ってた!」
「マジ?! どこ?!」

──最悪最悪最悪最悪最悪最悪ッ!!

私は本殿の裏でしゃがみこみ、小さく丸まった。

「りーん、1周成功。みんな愉しそうだ。──じゃあ2周目行ってくるんだ」

こんなことなら寧ろ神隠しにでもなんでも合ったほうがマシなんじゃないかと思った。けれど、大森稲荷神社で私の為に参拝してくれたおばあちゃんを思うと、諦めるわけにはいかなかった。

「お願い……そのお面貸して」
 と、私は立ち上がり、お狐さまが頭につけている狐のお面を借りようとしたけれど、
「ダメだ。これは俺のだ」
 相変わらず屋根の上から見下ろしているお狐さまにあっさりと断られてしまった。
「じゃあ服を返して! 顔を隠したいの! 顔隠すくらいいいでしょ?! さっきも手で顔を隠して走ったけど良しとしてくれたじゃない!」
 涙ながらに訴えても、お狐さまが頷くことはなかった。
「ダメだ。10数える前に2周目行ってくるんだ。ひとーつ、ふたーつ……」

──鬼だ。やっぱりこいつは鬼だ。
でも裸を見られたからって死ぬわけじゃない。死にたくはなるけど。

私は渋々また定位置についた。
それにしても、裸の女が現れて神社の裏に走って逃げたというのに、誰も覗きに来ないなんて。お狐さまが現れてから、本殿の裏は別の空間が広がっているような空気が漂っている。本殿の表と繋がっていない、別世界のような空間だ。

「ななーつ、やーっつ……」

私はお狐さまが数え終わる前に再び走り出した。さっきよりも本殿の前に人が集まっている。
私は集まっていた人を押し退けながら全速力で走り抜けて裏に戻ってきたが、そのままの足で3周目を走った。
誰かに腕を掴まれたときは全身に鳥肌が立ち、血の気が引いたけれど、自分でも驚くほどの力で振り払い、本殿の裏に逃げ込んだ。
そしてざわめく客たちの声を遮断させるように私は両耳を塞いでうずくまった。
お狐さまは本殿の屋根から飛び降り、私の頭に服を被せた。

「りん、よくやったな。面白かったぞ」
「最低……」
 私は目に涙をためながら、大急ぎで服を着た。「次はなに?」
「りん、怒ってるのか?」
「…………」
「怒ってるのは俺のほうだ」

そう言ってお狐さまは暫く考えたあと、第ニの要望を口にした。

「全部、やって」
「え……」
「今まで俺が命令したこと、一から全部やって。じゃあまずかけっこな。よーいどん!」
 と、お狐さまは森の中へと走って行った。

私は呆気にとられたが、直ぐにリュックサックから方位磁石を取り出し、後を追った。
お狐さまの姿がすぐに見えなくなったが、2回目だ。焦ったりはしない。確実に森を抜けることだけを考えた。

私は無事に森を抜けた先にある道に出ることが出来た。息を切らし、痛む足を摩った。風と共に姿を現したお狐さまは、私に休む暇も与えずに言った。

「じゃあ戻って今度は『まずーい』って叫ぶんだ」
「待って……休ませて……」
「ダメだ。じゃ、先に行って待ってる。あまり遅いとまた待ちくたびれて、もう許さない」

お狐さまは木々の上を跳びはねるようにして本殿がある方へと戻って行った。

私は木に手をつきながら、呼吸を整え、足を動かした。かけっこを早く終わらせようと足場が悪い中でなるべく歩かずにいたからか、疲労感が拭えない。それでも放棄するわけにはいかず、出せる体力を振り絞って、来た道を戻った。

くたくたになって本殿の裏へたどり着くと、私は地面に膝をつき、荒れている呼吸をなんとか落ち着かせようとした。

「早く行くんだ。待ちくたびれた」

私は顔を上げてお狐さまを睨み、リュックから財布を取り出した。
額から流れる汗を拭って参道へ向かうと、人の視線を浴びた。
そして──

「なぁ、あんたじゃないよな? さっき裸で走ってた女」
 と、20代くらいの男にニヤニヤしながら訊かれ、カッと顔が熱くなった。
「違いますッ!」
 そうは言ったものの、周りの視線が痛かった。

私は迷わずアメリカンドック屋の前に並び、前回と同じような会話を交わした後に、

「まずぅーーい!」
 と、叫んでやった。

前回よりもやけくそ感が増して、適当にごまかした。

「うそです。美味しくてビックリ!」

出店のおじさんの反応を待たずに、そそくさと本殿の裏に戻った。2回目となると気持ち的にも余裕が出ている。
お狐さまは戻ってきた私に顔を近づけ、お唄を歌う。

「にーらめっこしーましょ、叫ぶとまーけよ、あっぷっぷ!」

私は叫びまいと咄嗟に歯を食いしばり、口をつぐんだ。お狐さまの顔がみるみるうちに変形していく。顔の皮膚が焼け爛れ、めくれてゆく。剥き出しになった目玉が上下左右に異なる動きをして、裂けた口の中からはうねうねとウジムシが沸いて来た。

「──ッ?!」
 私は両手で口を塞ぎ、叫けび出しそうな声を押さえた。
「りーん、涙目だ」
 そう言って愉快に笑うお狐さまの顔が、ゆっくりと元の顔に戻って言った。

私はバクバクとしきりに動いている胸をおさえ、深呼吸をした。心臓に悪いことばかりだ。

「じゃ、次は木登りだ。一度登った同じ木でいい」
 と、お狐さまは森に足を踏み入れ、木の根元に立った。「この木だったよな」
「…………」
 後をついてきた私は黙って頷いた。

大丈夫。順調だ。一度は登った木にまた登って飛び降りれば、第二の要求はクリアになる。
私はリュックサックから縄跳びを取り出して、はじめに登ったときのやり方で上を目指した。
お狐さまはそんな私を見ながら、隣の木に飛び乗り、ひょいひょいと頂上まで上がって行った。

「……足がっ」

森の中を走ったせいで、枝に足を引っ掛けて上がるときに力が入らない。
何度か落ちそうになり、ひやりとした。
それでもなんとか上まであがると、待っていたお狐さまは予想通り言った。

「じゃ、飛び降りて」

一休みくらいさせてほしいけれど、まだ最後の要求も残ってる。
私は地上を見下ろした。──やっぱり怖い。
はじめに飛んだときは、自分の意志で飛び降りたんじゃない。足を踏み外して落ちたんだ。

「どうしたんだ、りん。飛ばないのか?」
 と、急かしてくるお狐さまに苛立った。

下を見なければいい。結果的に落ちればいいのだから、下を見ずに身体を傾ければいい。
私は一瞬躊躇いながらも、掴まっていた枝から手を離し、身体を傾けた。

「うっ?!」
 思わずお腹に力が入る。

それでも飛び降りれたのは、お狐さまが助けてくれるとわかっていたからだ。
飛び降りてすぐに聞こえたお狐さまの言葉を聞くまでは。


「──りん、死ぬなよ?」


その言葉が聞こえた瞬間、落ちていく中で、今度は助けてはくれないのだと察した。

[*prev] [next#]

[しおりを挟む]

[top]
©Kamikawa
Thank you...
- ナノ -