ル イ ラ ン ノ キ


 6…「白い犬」



「──でね、また目が覚めると、ここの和室にいるの。笑ってもいいよ」
 半笑いでそう言うと、お婆ちゃんは真面目な顔をして、
「笑わないさ。それはもしかしたらお狐さまの仕業かもしれないね」
 と言った。
「オキツネさま?」
「悪戯好きの、白い狐がいるのさ。昔からよく言い伝えられていたことがあってね、お狐さまの姿を見た者は神隠しに合うと言われているんだよ」
「なんで?」
 と、私はその話に興味を持った。
「お狐さまは遊ぶのが大好きな子供でね、自分と同じように遊びたがっている子供や、寂しそうにしている子供の前に現れる。それも、人間の子供の姿でね」

お婆ちゃんの話を聞きながら、ハッと思い返す。森の中で出会った男は最初、確かに子供の姿だった。

「警戒を解く為でもあるんだよ。突然狐が人間の言葉を喋って現れたら驚かせてしまうだろう? 人間の子供の姿を真似て、一緒に遊ぼうと誘ってくる」
「それで……一緒に遊んでいるうちに帰れなくなっちゃうの?」
「そうだねぇ、お狐さまが満足するまで遊んでやらないと、何度も繰り返しお狐さまと出会う前から出会うまでの時間を繰り返すのさ。それが七回続くと、お狐さまが怒って連れ去ってしまうんだよ」
「七回……」

夢だと思っていたはじめの1回目もカウントされるとしたら、今日で3回目だ。その話が本当なら、私は結局またお狐さまとやらに会いに行かなければならなくなる。

「遊んであげればその時間のループから抜けられるんだよね?」
 と、私は当惑した表情で尋ねた。
「だけどね、そう簡単じゃないんだよ、お狐さまは悪戯好きで、意地が悪い。ゲームをしようと誘ってくる。でもそのゲームはただ、お狐さまからの命令や要求に応えてやるだけのゲームさ」
「なにそれ……そんなのゲームじゃない」
「鬼ごっこをしようと誘われるならまだいい。そういう可愛らしいものばかりじゃないよ。それに、お狐さまは必ず3つの要求を突き付けてくる。全てに応えてやれないと、また、りんはここに戻ってくるよ」

私は考える間もなく、決心は付いていた。また電車を乗り継いで帰らなくちゃ。あの薄水色の手紙を開けに。

「お狐さまの姿が変わったのはどうして?」
「ふむ」
 と、お婆ちゃんは訝しげな顔をした。「なかなかのいい男だったんじゃないかい?」
「え……まぁ……」

思い返してみると、青年の姿に変わった彼は確かにいい男ではあったような気もしないでもない。

「これは言い伝えにはなく、ただの憶測だけどね、はじめは子供の姿で安心させ、次は人間が好む姿に化けたんじゃないかい? 男が相手ならその男が好む美しい女に化ける」
「……なるほど」
「姿に惑わされてはいけないよ」
 と、お婆ちゃんは注意を促した。
「うん。私ちょっと……用事思い出したから家に帰るね。用事が済んだらまた泊まりにくるから」
「あぁ、そうしておくれ。りんがいないと寂しいよ」
「ありがとう、おばあちゃん」

お婆ちゃんに話してよかった。
私は急いで家に帰る身支度を始めたが、お婆ちゃんに止められてしまった。

「今日はもう遅いから、明日にしなさいな」
「あ……はい」
 そうだった。1回目の時も止められたんだった。

お婆ちゃんの話が本当かどうかは確かめてみないとまだなんとも言えないけれど、本当なら面倒なことに巻き込まれたと思う。しかもよりによってループの“はじまり”がお婆ちゃんの家からだ。おそらく母が手紙のことで電話を寄こしていなければ、手紙の存在を知らないまま何事もなくお婆ちゃん家で過ごし、実家に帰ってから手紙を知って“はじまる”はずだ。
母が電話を寄こしてきたせいで、お婆ちゃんの家からはじまり、電車を乗り継いで実家に帰り、8月10日まで暇をつぶし、もしお狐さまを満足させられなかったら私はまた“はじまり”であるお婆ちゃんの家に戻され、また電車を乗り継ぎ……8月10日まで暇を……

「しんどいわッ!」
 気が滅入る。ますます母を嫌いになった。「やっぱスイカ食べよっと」

子供の前に姿を現すお狐さま。
私はまだ成人はしていないものの子供と言えるほど子供じゃないのに。私が小学生の時に芒之神社で会うならまだしも。

「…………」

私は居間でスイカを食べながらふと思い出す。
お狐さまが被っていた白い狐のお面が薄暗い中でぼんやりと浮かび上がるほど発光して見えたことと、青年に化けたときの白髪。私が小1の時に出会ったあの犬と重なった。

まさか私があのとき見たのは、犬じゃなくて狐だったとしたら……?

「おやおや、それ着てくれたんだね」
 と、台所から塩を持って来たお婆ちゃんは、私が着ているTシャツを見てそう言った。
「あ……うん、気に入ったからね」
「そうかい、よかったよ。りんちゃんに似合うと思ってねぇ」
「うん、ありがとう」

──と、玄関前の廊下に置いてある固定電話が鳴った。お婆ちゃんが直ぐに立ち上がろうとしたけれど、私が阻止した。

「あ、いいよ私出るから」

どうせお母さんだし、と思いながら電話に出ると、予想通りというか、シナリオ通り母からで、宿題はやったのか訊かれ、手紙のくだりがあって、電話を切った。
ケータイはお婆ちゃん家に来てまで親に干渉されたくはないから置いてきたものの、ここは母の実家だ。番号を知っているのだからあまり意味がない。でも基本はお婆ちゃんが電話に出るからか、鬼母も自分の母には気を遣うらしく、迷惑はかけたくないと思っているのか電話をかけてくる回数は少ない。

夜の10時にもなると、お婆ちゃんもお爺ちゃんも和室で早々と眠った。私はというと、ここぞとばかりに夜遅くまで起きて、バラエティ番組を観る。

お狐さまのことはお婆ちゃんから聞いてまだ半信半疑で、心のどこかでお伽話みたいだと思っているからか、大好きなバラエティ番組を観ている間は不安や不快感はすっかり忘れて笑っていた。

現実的に考えて、お狐さまがいるなんて有り得ない。
悪い夢でも見てるに違いない。

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©Kamikawa
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