voice of mind - by ルイランノキ


 相互扶助1…『変わらない現状』

 

 
自宅の固定電話を置いている台の引き出しを開け、手書きのアドレス帳をめくっているのはシドの姉、ヒラリーだった。
時刻は午後11時過ぎ。ヤーナが喉の渇きを癒しに台所に行く途中、ヒラリーに気付いた。後ろから覗き込み、何をしているの?と尋ねた。
 
「確か、カイくんの連絡先を聞いていたと思うの」
「カイの? 聞いたっけ。てかなんの用事?」
「アールちゃんに用事があるの。シドに頼んだって絶対教えてくれないだろうから」
「なるほど」
 
ぱらぱらとページをめくり、カイの番号を見つけた。リビングの掛け時計に目をやって、電話をかけるには遅すぎるかなと躊躇った。
 
「起きてないでしょ。ルイならまだしも」
「それもそうね。ルイくんの連絡先を聞いておけばよかったわ……」
「アールに用事って、シドのこと?」
「えぇ。なにか進展があったなら知りたいし、シドに真実を伝えたことだけでも知らせようと思って」
「そっか。一応電話してみたら?」
「うん、でも……時間も遅いからやっぱり朝にするわ」
 と、電話帳を閉じた。
「朝のほうが迷惑じゃない? 朝なんてバタバタしてるだろうし。──あ、カイは寝てるだろうし。ていうかいつ電話しても寝てそうだけど」
「そうね」
 と、ヒラリーはクスクスと笑う。
「迷惑なら改めてかけなおせばいいんだし、電話してみなよ。姉さん最近全然眠れてないの、シドたちのことが心配だからでしょ?」
「ヤーナちゃん……」
「出なさそうだけど電話してみなって。なんならあたしが電話してもいいし」
 と、ヤーナは台所に移動して、ガラスのコップに水道の水を入れてぐいっと飲んだ。
 
ヒラリーはヤーナに促され、電話をかけてみることにした。急ぎではないけれど。
 
━━━━━━━━━━━
 
若葉村の宿で、カイは既に熟睡していた。
ルイはテーブルにノートパソコンを開いて調べものをしている。ヴァイスは風呂に入ったあと、窓際の壁に寄りかかって目を閉じていた。
 
「あ、エイミーのこと話しておかないとね」
 と、アールはルイの向かい側に座ってお茶を飲んでいる。
「……シドさんたちに、ですか?」
「うん。アリアンの塔探しを中断することになったら」
「そうですね。そのときは僕から話します」
「ありがとう」
 ルイの後ろではカイが布団を敷いて眠っている。寝相が悪く、掛け布団がはがれてしまう。
「シドとはなにか話した?」
「いえ、特には」
「そっか。私は話そうと思って呼び止めたんだけど──」
 
と、その時だった。誰かの携帯電話が鳴った。音を辿り、カイの枕元に置いてある携帯電話からだと気づく。
 
「カイさんのですね。電話でしょうか」
「誰から? 起きそう?」
 
ルイはカイを揺さぶってみたが、全く起きそうにない。着信相手を確認すると、《ヒラリーちょわん》と表示されている。
 
「ヒラリーさんからのようです……珍しいですね。急用でしょうか」
「出てみたら? 急用だと悪いし……シドのことかもしれないし」
「そうですね……では失礼して」
 と、ルイが電話に出た。
 
ヴァイスはそんなルイに目を遣った。スーはというと、テーブルに置かれた水入りの小皿の中にいる。
 
「もしもし、ヒラリーさんですか?」
『あら? ……ルイくん?』
「はい。お久しぶりです。カイさんは今寝ています。急用でしたら起こしますが……」
『急用ってわけじゃないの。カイくんにじゃなくて、アールちゃんに用があって。アールちゃんも寝てる?』
「いえ……起きていますよ」
 と、アールを見遣った。アールは小首を傾げる。
「アールさんにお電話です」
「私?」
 と、電話を代わった。「もしもし?」
『あ、アールちゃん? 急にごめんなさい。シドとのこと、気になって……』
「あ……連絡できなくてすみません。実はまだ、ちゃんと話せていないんです。タイミングを見計らっているっていうか……」
『そう……。実はね、シドに話したの。あの日、本当は何が起きたのか。ベンさんとワードさんのこと。彼らが私たちに何をしようとしていたのかも』
「え……それで?」
『信じていないようだった。全く信じてないっていうより、半信半疑』
「そんな……お姉さんが嘘つくわけないのに」
『シドにとってあの二人は、お兄さんや父親代わりだったの。それくらい彼らを信頼していた。だから疑いたくないんだと思うの』
「でも……」
『彼ら本人が認めてくれたら……一番いいんだけど』
「…………」
 アールは考えるように視線を落とした。
 
認めるだろうか。認めたところでなんの利益もない。シドを敵に回すだけだ。認めるはずがない。
 
『でも、認めたら認めたで、シドが心配なの。様子がおかしいときに誠心誠意支えてくれたのが彼らだから。悔しいけれど……』
「様子がおかしいときっていうのは?」
『国王様からお声がかかったとかで家を出てから暫くして、一度帰ってきたことがあったの。そのときよ。元気がなくて、聞いても答えないし』
「──ルイ」
 と、アールはルイに目を向けた。
「シドって旅に出てから一回家に帰ったの知ってる?」
「旅に出てからというのは、タケルさんと……? それなら、彼が亡くなったときに」
「そのときか……」
『もしもし?』
 と、不安げなヒラリーの声。
「あ、えっと……機会があったらもう一度、私から話してみます」
『えぇ……』
「…………」
 
その後の言葉が出てこなかった。じわじわと嫌な汗が滲んでくるのを感じた。早く電話を切ってほしいと思った。けれど、なにかを話すわけでもない、切るわけでもない沈黙がアールを襲った。
シドに組織を裏切るようなことをさせたら、シドは家族の元へ帰れなくなるかもしれない。二度とシドと会えなくなるかもしれない。シドが消されたら、お姉さんにどう伝えるつもりなのだろう。考えたくもない。考えたくない……。
 
「アールさん?」
 アールの表情が曇っていくのを感じたルイは、彼女の手からカイの携帯電話を受け取った。
「もしもし、ヒラリーさん?」
 
アールは背中を丸め、息苦しそうに呼吸を繰り返した。冷汗がにじみ出る。
ヴァイスが立ち上がり、彼女の横に腰を下ろして優しく背中を摩った。
 
ヴァイスの手は大きかった。背中から伝わる体温にどこか懐かしさを感じた。そして、ハッと息を呑んだ。
 
最後に雪斗を思い返したのはいつだっただろう。
少しずつ、彼を思い出す時間が減っている。
 
鼻の奥がつんとして、涙が出そうになった。
 

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©Kamikawa
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