voice of mind - by ルイランノキ


 千思万考20…『母親』

 
大切なもの。
そう判断するのはいつだろう。この人は私にとって大切な人だ。そう判断するようになるきっかけは、なんだろう。決定的な瞬間があるのだろうか。あっただろうか。
この世界に来て、私にとっては共に旅をする彼らが全てだった。なにも知らない、何も出来ない私は彼らに頼るしかなく、彼らがいなければなにも出来なかった。
 
いつも思ってる。この世界はなんなのか。
私は長い夢を見ているのではないか。もしかしたらこここそが、死後の世界なのではないか。では彼らはなんなのだろう。彼らは本当に存在しているのか。
 
なにかの間違いであってほしいと始めは思っていた。けれど今、間違いだったと言われてももう受け入れられないところまできている。間違いだったで済まされるほど浅くはない。人が沢山亡くなった。もう取り返しはつかないのだ。
 
━━━━━━━━━━━
 
午後2時。
目の奥が痛んだ。眼球を押さえつけられているかのような重い痛みに眉をひそめ、まぶたを開けた。視界は白く濁っている。けれども次第にクリアに晴れてゆき、木目調の天井が見えた。薄いピンク色の笠を被った電気が白い光を放って部屋全体を明るく照らしている。
 
「……部屋?」
 
かすれた声が出た。体が重く、顔だけを動かして辺りを見遣った。整頓され、カーテンや布団が花柄であることから6畳ほどの“女性の部屋”のベッドに、アールはいた。
 
ここはどこだろう。誰の家だろう。私はなんでここにいるんだろう。
腕を動かすと酷い倦怠感に襲われて全身の力を抜いた。しばらく呆然と天井を見つめてなにもしない時間を過ごし、再び腕を動かして掛け布団を持ち上げた。パジャマだ。見覚えのないパジャマを着ている。
手を離し、また力無く腕を下ろした。これだけの行動に疲労を感じる。
 
キィ……と、音がした。顔を向けると部屋のドアが微かに開いており、そこから5才くらいの男の子がこちらを覗いている。
 
「…………」
 アールは無言で少年を見つめた。
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
「…………」
 
だれだろう、この子は。そういえば自分は確かエルドレットと戦っていたのではないか?
ぼうっとしていた意識がはっきりと鮮明になってゆく。
 
「まだ具合わるいの?」
「……少し」
 と、擦れた声で答えた。
「少しなら」
 少年はドアを大きく開けて部屋に入ってきた。その手には絵本が握られている。
「本読んで?」
 と、ドアを閉めてからその絵本をアールが横になっているベッドの上に置いた。
「絵本……」
 この少年が何者かもわからず、状況が把握できない。突然のこととはいえ、なんとなく咳払いをして喉の調子を確かめた。
「もうすぐお母さん帰ってくるから、それまでいい?」
「あ……うん」

少年は絵本のページをめくった。
エルドレット。彼はどうなったのだろうか。私は戦いに勝ったのだろうか。勝ったような気がする。でも気がするだけなのかもしれない。なぜなら彼が敗北したその姿を見た覚えがないからだ。
彼との戦いに勝ったのか負けたのか判断できないが、その後の記憶が無いことから、意識を失ったのだろうと推測した。そしておそらく、この家の誰かに助けられたのではないだろうかと。
 
「ここから読んで?」
 と、絵本を見せられた。
「途中から?」
 
ルイたちは大丈夫だろうか……。連絡が取りたい。
 
「ここからが好きなんだ」
「…………」
 アールはルイたちの安否を気にかけながら、文章に目を通した。
「えっと……《さぁ出発です。少年たちは声を揃えて歌を歌いながら森の中へとぐんぐん進んで行きました。少年たちの歌声に合わせて花が歌います。森の木も歌います。足元を覆う草も歌います。すると森の中にいる動物たちが少年たちの前に姿を現しました。リスさん、シカさん、サルさん、ウサギさん。動物たちは少年の列に並んで、一緒に歌を歌いはじめます》」
 
──と、その時だった。部屋の外から「ただいまー」という女性の声がした。
 
「あ、お母さんだ!」
 と、少年はドアに目を向ける。
「君のお母さん? 私を助けてくれたのかな」
「ん? 僕のお母さんだし、おねえちゃんのお母さん」
「え?」
 
部屋をノックする音がして、ドアが開いた。40代前半の柔らかい顔つきをした女性が入ってくる。
 
「あら、お目覚め? 具合はどう?」
 と、絵本に目を向ける。「あらやだ。だめじゃない本読んでもらったりしちゃ」
「だってぇ……」
 と、少年は口を尖らせ、逃げるように部屋を出て行った。
「ごめんなさいね」
「いえ……あの……ここは……」
「あなたの家よ?」
「……え?」
「心配しないで? お仲間には連絡して、あなたが無事なこと、伝えてるから」
「仲間……」
 
頭が痛い。この女性が言っていることが理解できない。頭を打ち過ぎたんだろうか。
 
「ルイくんたち。カイくんも、ヴァイスくんも、無事よ」
「なんで知ってるの……」
 
なんで仲間の名前を知ってるの? この女の人は誰なの?
急に警戒心が芽生え、上半身を起こしたが、あまりの倦怠感にぐったりとまたベッドに横たわった。
 
「まだ安静にしていたほうがいいわ。回復薬を飲みすぎたようだから体への負担を考えて一般の薬もあまり使えないのよ。早く治してあげたいけど……」
「あなたは誰なんですか……? 私はなんでここに……? ここはどこなんですか?」
「あなたが雪の中で倒れているのを見つけた人がいたの。ここはあなたの家よ。そして私は──」
 
  あなたのお母さんよ
 
女性はそう言った。クスクスと笑いながら。
なに言ってるの? こんな人知らない。
やっぱりあの戦いで私の頭がどうにかなってしまったのだろうか。ズキズキと脈打つような頭痛に顔を歪めた。
 
「詳しくは後で話すから、今は体を治すことを優先して? 飲み物は大丈夫? あとで水を運んでくるわね」
 
女性はそう言って部屋を出て行った。それと入れ違いに部屋に入ってきたのはスーだった。スーはアールが眠る枕の横に飛び乗ると、アールの額に手を置いた。

「スーちゃん……」
 スーの存在に少し安堵する。「今の誰なの?」
 
スーは喋ることが出来ない。体から作り出した手を動かし、アールの額を撫でた。
 
「意味わからないよ……」
 スーはずっと優しくアールの額を撫で続けた。
 
スーが何を言おうとしているのかはわからないが、焦っている様子も無ければ困っているようでもない。母親が子供を寝かせようとポンポンポンと一定感覚で体を優しく叩くように、スーはアールの額を撫で続けた。不思議とアールの中から不安が取り除かれていき、ゆっくりと眠りについた。
 
  * * * * *
 
「いつまで寝てるの?」
 母、佐恵子がベッドで眠るアールの体を揺さぶった。
 
眠い目を擦りながら体を起こすと、「仕事に遅れても知らないわよ」と不機嫌な母親の顔があった。
 
「お母さん……? なんか顔が変わった?」
 
どことなく違う気がするが、どこがどう違うのかがわからない。
 
「なに言ってるの。早く支度しなさい」
「うん……」
 
  * * * * *
 
少しだけ夢を見た。もしかしたらもっと長い夢を見たけれどその一部しか思い出せないだけなのかもしれないけれど。
アールは愕然としていた。夢に出てきた母親の顔が違っていたからだ。はじめは初めて会った女性が「あなたのお母さんよ」などと理解できない発言をしたせいで夢に影響が出たのだと思っていたが、起きてから自分の母親の顔を思い出そうとすると夢に出てきたどこかおかしい顔の母親しか浮かんでこなかったのだ。
 
──お母さんの顔が……思い出せない……。
 
動悸がする胸を押さえ、必死に記憶を辿った。母との思い出を脳内で再生し、そのときの母親の笑った顔が自然と浮かんできてほっとした。
母親の顔を忘れるはずが無い。そう自分に言い聞かせ、心を落ち着かせた。
 
「おねえちゃん」
 と、ドアがまた開き、少年が顔を覗かせた。
「ごはん食べる?」
「…………」
 
食欲は無い。まだ体のダルさが残っており、ベッドから起き上がるのも嫌だったが誰なのかも分からない人の家のベッドで寝続けるのも気分が悪かった。うまく力が入らない体に鞭を打つように無理矢理身体を起こして、ベッドから出た。ふらりと倒れそうになり、壁に手をついた。
 
「だいじょうぶ?」
 と、少年が心配そうにアールを見上げる。
「大丈夫」
 そう言ったものの、顔色は優れない。
 
部屋から出ると、目の前はリビングだった。大きめのテレビがあり、その前には4人がけのローテーブル。テレビの反対側には3人がけの白いソファ。リビングの左側はオープンキッチンになっていて、全体的にカフェ風で落ち着きのある纏まった内装になっている。キッチンとは逆の右側には庭に出る大きなガラス戸。

アールが真っ先に気になったのは、そのローテーブルとソファの間に座っている男性だった。ここからは後姿しか見えないが、その男性は体を捻ってアールを見遣った。女性と同じ40代前半くらいの、少しお腹の出た中年男性だ。
 
「おー、具合はどうだ?」
 と、気さくに声を掛けてくる。
「あ……だいぶ良くなりました」
 そう答えながら、いつの間にかテーブルの上にスーがいることに気づいた。スーはアールの視線に気がつくと手を振った。
「まだ無理しないようにね」
 と、キッチンからお盆に乗せた料理を運んできたのはさっきの女性だった。
「まぁ座りなさい。薬で栄養が摂れないなら食事で補わないとな」
 と、男性は空いている場所に置かれた座布団をポンポンと叩いて座るよう促した。
「あの……説明していただけませんか。あなた方が私を助けて下さったことに関しては有難く思っているのですが……」
「堅苦しいな。親子なんだからもっとラフでいいじゃないか」
 と、楽しそうに笑う。
「親子……?」
 
料理をテーブルに運んだ女性はお盆を持ってキッチンへ戻りながらアールに言った。
 
「ここは、フマラよ、アールさん」
「……フマラ」
 
思い出した。身分証明カードに書かれている自分の住所だと。実際に存在する場所だということは知っていたが……。
 
「え……じゃあここは……」
「君の家だ。君の住所はここだよ」
 と、男性は優しく微笑んだ。「とにかく座りなさい」
「でも……」
「本当になにも聞いていないのね」
 と、残りの料理を運ぶ女性。「一から説明するわ」
 

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©Kamikawa
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