voice of mind - by ルイランノキ


 説明不足の旅1…『傷だらけの背中』

 


シェラに貰った服は裾がほつれ、靴は踵が削れ、歩き続けた足は突っ張っているように硬くなり、汚く剥がれていたマニキュアは綺麗に全て剥がれ落ちている。
繰り返される戦いに体力は奪われてゆくばかり。──しかし、確実に力は備わっていた。
目に見える速さではないが、彼女の力が、ある魔力を消磨していることにまだ誰一人気づいてはいなかった。
 
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ルヴィエールで60枚入りの絆創膏を3箱も買ったというのに、気がつけば残り2枚になっていた。使いすぎないようにと気をつけていたのに、だ。戦闘力は上がってきてはいるものの、防御力は相変わらずのアールは、生傷が絶えなかった。時折、ズキンと痛む手の甲を見遣ると、傷だけでなく、青痣が広がり赤く腫れ上がっていた。殴り合いの喧嘩でもしたような手で、とても女性らしい手とは言いがたい。
しかし手に貼っている絆創膏は両手合わせても3枚程度である。絆創膏があっという間に無くなった一番の原因は見えないところにあった。──背中や腹部、腕、そして足だ。
 
「……かゆっ」
 アールは服の上から二の腕をしきりに掻きむしった。
 
爪を立てて力いっぱい掻くと痛気持ち良い。だが、それが原因でまた絆創膏が無くなってしまう。
 
「どうかしましたか?」
 アールの様子を気にかけたルイ。
「あ、ううん、別に……」
 と、アールは掻きむしるのを止めて足を速めた。
 
シェラと辛苦な別れをしてから、一行は数日間、黙々とひたすら歩みを進めていた。その途中、立ち寄った小屋で事態は起きたのだ。
アールはまた1人だけベッドで眠っていたのだが、その日はあまりにも疲れていたため、元々敷かれていた布団で眠りについた。汚れなど気にする余裕もなかった。そして朝起きると、全身に赤い斑点が広がり、痒みが襲ってきたのである。
その日から、痒み止めを塗れどなかなか治らず、寝ている間に掻きむしって血が滲み、絆創膏がみるみるうちに無くなっていった。
 
泉に入れば治るのだろうが、運悪くたどり着く場所は泉の無い、ただの空き地ばかりだった。余程ルイに相談しようかと思ったが、痒みの原因はきっとダニだろう。ダニに食われたくらいで心配かけるべきではないと思い、口を噤(つぐ)んだのだった。
 
彼女が自分の世界から持ってきた鞄の中には、ニキビの薬、頭痛・生理薬、腹痛薬、ビタミン剤などと一緒に痒み止めも入っていた。リアが用意していたわけではなく、彼女がいつも持ち歩いていたものだった。
薬を持ち歩き始めたのは社会に出てからだ。仕事中に体調を崩しても、学生の頃のように“保健室”に行くわけにはいかない。体調管理は自分でしなければならず、薬は必需品だった。
 
それにしても体中が痒い。昼間になると汗が滲み、痒みが酷くなる。戦闘中にピリピリと痒みが襲ってきては集中力を妨げた。
 
「次の戦闘、お前行けるか?」
 と、一番前を歩いていたシドが振り返ってアールに言った。
「え……うん……」
「なんだ、あんま乗り気じゃねぇな」
「ちょっと……」
 そう答えながらアールは背中に痒みを感じていた。
 
皆の目が気になって背中に手を伸ばせない。背中だけと言わずに一番後ろに移動して思いっきり全身を掻きむしりたい気分だった。
 
「顔色悪くねぇか?」
「ん……も……」
「『も』?」
「もう我慢出来ないーっ!!」
 そう叫ぶと背中を掻き、腕を掻きむしった。
 
あまりの痒さからか、掻いたときの痛気持ち良さに涙が滲み出て来る。
心配して駆け寄ったルイに、アールは観念して腕を捲くって見せた。
 
「うわぁーっ! 赤いブツブツだらけぇ!」
 と、カイが真っ先に声を上げた。
「小屋で寝た時からずっと痒いの。助けてください……」
「どうしてもっと早く言ってくださらなかったのですか……」
 ルイはそう言うと道の端にテントを出した。
「アールさん、お薬を渡しますから、中に入ってください」
 ルイにそう言われ、アールがテントに入ると、立て続けにテントへ入ろうとしたカイの腕を、シドが掴んだ。
「オメェは外にいろ」
「えぇーっ?! 俺も休みたーい……」
「別に休むわけじゃねーだろが」
「そうですよ、アールさんがお薬を塗ったら直ぐに出発です」
 と、ルイはアールに塗り薬を手渡しながら言った。
 
アールはテントで1人、慌ただしく服を脱いでルイに処方された薬を塗った。ひんやりとして気持ちが良い。腕、足、胸やお腹は自分で塗れるが、背中だけはどうしようもない。──シェラがいてくれたら……。そう思っても、もう此処にはいないのだ。
 
「ルイ、ごめん手伝って」
 と、テントの中からアールの声がして、
「俺が行くぅ!」
 と、カイが真っ先にテントに入ろうとしたが、またシドに止められた。
「お前は指名されてねぇだろっ」
「入ってもいいですか?」
 ルイはテントに入る前に尋ねる。
「うん」
 アールの返事を確認し、ルイはテントへ入った。
「ごめん、背中に塗ってくれる?」
 そう言ったアールは、タオルで前を隠し、背中を向けていた。
 
ルイはアールの背中を見て、思わず顔をしかめた。胸に痛みを感じる。彼女の背中は傷だらけだった。いくつもの痣や傷が重なり、その上ダニに刺された痕が広がっていて、痛々しかった。ここまで酷くなっているとは思いもしなかったルイは、言葉を失い呆然と立ち尽くしてしまった。
 
「ルイ?」
「……あ、はい」
 
ルイはアールから薬を受け取って指ですくったが、背中に塗るのをどうしても躊躇ってしまった。直視出来ない……。きっと旅に出る前までは色白で痣などない、綺麗な背中だったのだろう。
 
「ルイ、こんなこと頼んでごめんね。背中、見るのも気持ち悪いでしょ。触りたくないよね。シェラも驚いてたから」
「いえっ……その、大丈夫ですか? 痛かったら言ってくださいね」
 ルイはそっとアールの背中に触れ、優しく薬を塗り始めた。
 
滲んだ血が塗り薬と混ざり、背中に広がる。
 
「ルイ!」
「はい! ……あ、痛かったですか?!」
「くすぐったい!!」
 と、アールは笑った。
「あっ、すみませんっ」
「そんな優しく塗らなくていいよ!」
「ですが痛そうですので……」
 そう言いながらもそっと塗るのを止めないルイに、
「ふふふっ……ちょっとぉ! くすぐったいったら!」
 と、アールは身をよじりながら笑った。
 
「なぁんか楽しそうだなぁ……いいなぁ」
 テントの前にいたカイが耳を澄ませ、不機嫌そうに言った。
「なに盗み聞きしてやがんだ」
 と、シド。
「だってぇ、ルイだけズルーイ」
「何がずるいだよ……」
 そう言うとシドは刀を抜いて素(す)振りを始めた。
 
アールは彼等より年上だと言うのに、背丈共に精神年齢も低すぎるからか、端から見ると彼等のほうが年上に見える。実際、しっかりしているのは彼等の方だ。もっとも、アールの置かれた立場で、しっかりし続けるのは容易なことではないのだが。
 
「ありがとう、背中の痒みも落ち着いてきた」
 と、アールは服に袖を通しながら言った。
「背中、痛みますか?」
「そんなに酷い? 常にジンジンしてるけど、見た目ほどじゃないよ、多分」
 
ルイは険しい顔をして、服を着終えたアールの背に触れた。
 
「シェラさんに頂いたこの防護服も明らかに不自然ですね。破れていないところにもアールさんの背中には切り傷がありました……。僕の防護服を着てみてください。動きづらいとは思いますから、せめて上だけでも羽織っていてください」
「あ……うん、ありがとう」
 
ルイはシキンチャク袋から予備の防護服を取り出し、アールに渡した。アールはさっそく立ち上がって渡された白いコートを上から羽織ってみたのだが、
 
「これは……ロングコート?」
 アールの膝下まで長かった。
「やはり少し大きいですね、動きづらくありませんか?」
 
アールは両手を前に出した。しかし、袖が長すぎて手が出ない。
 
「3回くらい捲くっておきましょうね」
 と、ルイは腰を曲げてアールの手を取ると、長すぎる袖を丁寧に折り始めた。その姿はまるで子供の面倒をみるお母さんである。
「ありがと。でも折目ついちゃうよ」
「大丈夫ですよ」
 と、ルイは微笑んだ。
 
アールの痒みもなんとか治まり、気を取り直して一行は再び歩き出した。
戦闘が始まると、ルイはいつもよりアールを目で追っていた。
 
「飛来結界!」
 と、アールがバランスを崩して地面に倒れ込む前に飛んでくる結界。
 
魔物の攻撃を交わしたにもかかわらず結界が飛んできてはアールの身を守った。
ルイの様子がおかしいことに、勿論アールは気付いていた。守られるのは有り難いことだが、これでは動きづらい。
 
「おいルイなにやってんだ! ホイホイ結界飛ばしてんじゃねーよ! 魔力も持たねーだろ」
 シドは呆れたように言った。
「すみません……アールさんが怪我をしないようにと……」
「戦闘には怪我が付き物だよぉ?」
 と、結界に守られていたカイが言うと、
「オメェが言うなッ!」
 と、シドが怒鳴った。
 
ルイは、アールの痛々しい背中を目の当たりにしてから、気が気ではなかったのだ。あれほどの傷痕が出来るまで気付いてやれなかった自分の不甲斐無さに嫌気がさしていた。
 
「傷付くことを恐れてちゃ何も出来ないよ。──恋愛のようにね?」
 と、人差し指を立ててすました顔で言い放ったアール。
「うまいこと言うなぁー!」
 と、カイが拍手をした。
「でしょ? んじゃ、カイ君、三唱して」
「はい! 先生!」
「では。『傷つくことをー…恐れていてはー…なんも出来ん』はい。」
「傷つくことをぉー…恐れて」
「馬鹿なことしてねぇーで先行くぞッ!」
 と、カイが三唱する前にシドが叫んだ。
「先生! 風紀を乱す人がいまーす!」
 カイはシドを見ながら言った。
「それはいけませんね。“生徒会長”あなたが指導しなさい」
 と、アールはルイを指差した。
「え? ぼ、僕ですか?」
 ルイの反応に、笑いが起きた。
 
さっきまで怒鳴っていた先頭を歩くシドも、笑っていた。どうやら、アールが言った“生徒会長”があまりにもルイに嵌まっていたことがツボに入ったらしい。
 
アールはルイが自分に気を遣っていることに気が付いていた。普通に「怪我をしても大丈夫だから」と言ってもルイは余計に気遣うだろう。
ほんとに大丈夫だよ。そう伝えるには笑って流したほうがいいと思った。
 
 

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