voice of mind - by ルイランノキ


 涙の決別17…『たらふく飲んで』◆

 
浴室からタオルを体に巻いて、ハンドタオルで髪を乾かしながら出てきたヤーナは、浮かない表情で自室に入って行った。
部屋の姿見の前に立ち、腕を摩った。血は止まったが、矢が刺さった跡がある。
 
「残ったら嫌だな……」
 ため息をこぼし、服に着替えた。
 
居間ではヒラリーがソファに座るカイとエレーナの手当をしていた。
 
「シド怒ってたなぁ……」
 と、カイ。
「それだけ心配してたのよ」
 ヒラリーはそう言ってカイの肩にガーゼを貼った。「ヤーナは大丈夫かしら」
「あの子はひとりで傷テープでも貼るでしょ」
 と、エレーナ。「強がりだし」
「そうね。でも一応救急セットを持って行ってあげなくちゃ」
「あ、じゃあ俺行くよ」
「え? あ、お風呂上がりだからでしょー?」
 と、見透かしたように笑うヒラリー。
「ち、違うよぉ! まだちゃんと謝ってないし、お礼も言ってないからさぁ……」
「気にしてないと思うけど、カイくんが気にしてるなら、お願いしようかな」
「うん」
 
ヒラリーは二人の手当てを終えると、救急セットをカイに渡した。カイはそれを持って居間を出た。
 
「大丈夫かしらね」
 と、エレーナは足を組んだ。
「怒ってないわよ、ヤーナは」
「馬鹿ね、ヤーナじゃなくて、シドよ」
「え?」
「ヒラリー姉さんじゃなかっただけまだマシだけどね。あの子、ヒラリー姉さんの事件以来、私たちにちょっとしたことがある度に大袈裟に心配したり怒ったりしていたじゃない。だからあまり私たちから余計な報告をしないようにしてたでしょう? どうでもいい報告はしてたけどね。ほら、前にヤーナが付き合ってた男と大喧嘩になって手を出されて逃げてきたことをシドに話してごらんなさいよ。相手の男を見つけて半殺しにしかねないわ」
「そうかしら……そうね……」
 と、ヒラリーは頷いた。
 
━━━━━━━━━━━
 
アールは咳込みながら、結界の上へ飛び乗り、アンデッドを目掛けて飛び下りながら剣を振るった。着地した瞬間、足がふらつき、地面に手をついた。死んだエノックスが手の平にベチャリとくっつき、払った。
 
──体力が持たない。
 
そう思ったが、クロエは構わずアールを引っ張り、アンデッドに向かわせる。アールは必死に食らいつきながら無意味な攻撃を繰り返した。
 
そんな彼女をルイはいたたまれない思いで見つめていた。主導権を握っているのは明らかにクロエだ。自分が手助けをしてそれを彼が許すとは思えない。
 
クロエは時折アールの手からすり抜け、自らアンデッドに攻撃をしかけることもあったが、アールの手に収まり、アールの力も借りた時と比べれば大きく異なる。クロエ単体では攻撃力が弱すぎるのだ。
 
「クロエ……がむしゃらに戦ったって……」
 
意味ない。
クロエ自身、理解していても怒りがおさまらないのだ。エノックスが町の住人を襲わなければ、最愛の妻も子供も失わずに済んでいたのかもしれない。
 
アンデッドの左腕が立っているのもままならないアールの頭を左側から直撃した。アールは横へ吹っ飛ばされ、受け身が出来ないまま地面に叩きつけられた。
 
「耳が……ッ」
 
右耳に激痛が走る。耳を押さえながら立ち上がろうとするアールの前に、個壁結界が立ち塞がる。ルイが咄嗟に判断したことだ。アンデッドは結界の壁にぶつかり、バランスを崩して足をもたつかせた。
 
「大丈夫ですか?!」
 
離れた場所から張るルイの声が、曇って聞こえる。左耳の調子がおかしい。
アールはクロエを握りしめ、壁の反対側へ回り、アンデッドの足に突き刺した。無意味だとわかっていても時間稼ぎをしなければ。結界で囲み、大人しく待つという選択はクロエにはないからだ。
 
「ヴァイス……」
 
早く戻ってきて……。
この際、シドでもいい。──いや、シドの手を借りようものなら、それこそクロエが黙っていないだろう。
 

全く、男という生き物は本当にプライドが高い。
そう思ったの。
 
でも、平和に暮らし、生まれ育ってきた故郷を荒らされ、大切な人までも奪われた悲しみは憎しみに変わり消化しきれなくなるのも分かる。
 
私も恨みたかった。
 
故郷から奪われたのは私じゃない。みんな、私がいなくなったことを知らないのだから。
そう考えると、やっぱり思うよ。
 
この世界は私から故郷を奪ったのだと。
 
だけど、殺されたわけじゃない。消されたわけじゃない。だから憎むに憎めない。
確かかどうかもわからない約束もあることだしね。
 
本当に私に返してくれるの? 全てを。
この世界を綺麗さっぱり忘れる代価に。
 

ルイは険しい表情でアールを目で追い続けた。手を貸したいが、出来ない。それも自分の意志で動きはじめたクロエのせいだった。下手に手を貸せば刃を向けられてしまうだろう。
 
時折町の跡地外に目を遣り、いっこくも早くヴァイスが戻ってくるのを願った。
 
「クロエ」
 
アールは歯を食いしばりながら足の痛みに耐え、アンデッドから距離をとった。
 
「お願いだから冷静になって。貴方の気持ちはわかる。でも確実に倒す為にも……」
 
 お前になにがわかる
 
「…………」
 
 愛する人を奪われた痛みと憎しみが、お前にわかるというのか
 
「…………」
 
アンデッドが方向転換をし、アールを感覚で捉えた。
 
「私は愛する人を殺されたことはないけど、愛する人を守りたい気持ちや、失いたくない気持ちは、死ぬほどわかるから」
 
 …………
 
「大切な人を殺される痛みは、クロエが感じた半分もわからないかもしれない。家族を殺されたことはないし、故郷を消されたこともないから」
 
アンデッドがゆっくりとアールに向かって歩き出す。そのスピードは徐々に上がっていく。
 
「私が知っているのは、この世界で出会い、親しくなった人の死。その悲しみと怒り」
 
──もしかしたらいつか、クロエの痛みを知るときが来るかもしれない。
 
 
 お前に托す
 
 
目の前にアンデッドが迫っていた。アンデッドの背後から高らかにジャンプをしたのはヴァイスだった。
 
「持ってきたぞ」
「……ありがとう」
 
ヴァイスの手には、聖水が入った瓶が握られていた。瓶はアールの手に渡り、ヴァイスが着地しながらアンデッドの頭に銃弾を数発撃ち抜いた。
 
「飲んで、クロエ。たらふくね」
 
アールはコルクの蓋を取り、聖水を剣にかけた。
いつだったから、アールの血を吸い込んだときのように聖水は剣の中へ吸い込まれ、青白い光を放ちはじめた。
 
「それじゃ、浄化するとしますか」
 

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