voice of mind - by ルイランノキ


 百花繚乱28…『静穏な海』

 
ヴァイスが船から飛び立った瞬間に、まだ息があった巨大シャチが苦痛にもがきながら身を歪めた。
傾いていた船体の上で動かした巨体の表面がつるつるしていたこともあり、自ら滑り落ちて海の中へと飲み込まれて行った。
 
重りとなっていた巨体シャチがいなくなり、傾いていた船が一気に水平になる。
船尾はバッシャーン!と水面にたたき付けられ、大きな水しぶきを上げた。
 
小縁に掴まっていたアールは吹き飛ばされそうになったが、なんとか耐え抜いた。
操舵室の壁面にしがみついていたシオンは船体が水面にたたき付けられた衝撃で手を滑らせ、甲板に尻餅をついた。
 
「よっしゃ。 帰るぞ」
 
デイズリーはそう言ってプレートに手を翳した。ピンと張ったビニールのような結界が船を囲んだ。
 
「動きますか?」
 アールはそう訊きながら、お尻と腰を痛めたシオンに手を貸した。
「耐久性は抜群なんだよ」
 と、エンジンをかけ直す。
「そのようですね」
 
魔物がいる海へと繰り出す船だ。いくら結界で守れるとはいえ耐久性も必要だ。
 
「シオン、後でじっくり話を聞くぞ」
 デイズリーは舵をきりながら言った。
「……わかった」
 
小型船はスピードを上げ、グリーブ島へと引き返したのだった。
 
━━━━━━━━━━━
 
時刻は午後3時過ぎ。テオバルト家の居間には正座したシオンと、その向かいに座って足と腕を組むデイズリーだけ。
 
テオバルトはシオンが無事に帰ってきたのを確認して、アール達から武器を預かり、何も言わずに作業場に向かった。
 
ルイは台所で、まだ昼食を食べていなかったシオン達の為に鍋の中のおかずを火にかけ直していた。
 
シドは暇を持て余し、「島の周りでも走ってくるわ」と、外へ。
カイはダラダラと居間に寝そべっていたが、デイズリーのシオンへの説教が始まり、気をきかせたマスキンがカイをスーと共に外へ連れ出していた。
 
ヴァイスはいつの間にか姿を消し、ひとりになってしまったアールはルイから傷を治す薬を貰って肉食魚に噛み付かれた足を治してから、島を散策に外へ出た。
散策といっても、海辺と岩山と岩山の洞窟、堤防、墓場、森しかない。
 
アールは岩山に向かう道の途中で立ち止まり、両手を見遣った。小刻みに震えていた。
 
「…………」
 
疲労の震えではないことは、自分が一番よくわかっている。
 
──怖かったのだ。
巨大なシャチに襲われて、自分ひとりならまだしもシオンの命もかかっていた。
ルイ達の手が届かない場所にいて、もしかしたら仲間の目の前で自分共々シオンの命までも失うのではないかと。
 
そして生まれる絶望が。
 
完璧でいたいと思ってしまう。
仲間の前で、誰かの前で恥をかきたくないと、誰かに絶望されたくないと思ってしまう。
城に戻されてから一際強く思うようになった。
心を休ませる時間も、身体を鍛える時間も存分貰ったのだから……そう思うと、完璧でなくてはならないと。
 
アールは自分の二の腕を摩りながら、岩山へ向かった。岩山に立てかけてある梯子を上り、上ってきたことを少し後悔した。
堤防にヴァイスがいたからだ。彼のお気に入りの場所なのかもしれない。
暫くヴァイスの背中を眺め、ひとりの時間を邪魔してはいけないと思い、背を向けた。ヴァイスは一度も振り返らなかったが、アールがいることに気づいていた。
 
「何か用でもあるのか?」
「あ……そういうわけじゃないんだけど」
「ならなぜ引き返す必要がある」
 と、漸くヴァイスは振り返った。
 
堤防の上に立つヴァイスと、岩山の上に立つアール。
2人の間には橋が掛かっている。
 
「邪魔しちゃ悪いかなって」
 と、アールは顔を伏せた。
「邪魔をしに来たのか?」
「……そうじゃないけど」
 
先程まで巨大シャチが暴れていたとは思えないほど、海は穏やかさを取り戻していた。
そんな静穏な海の下には無数の魔物が悠々と泳いでいるのだ。
 
「拙者が邪魔者なら場所を譲るが」
 アールは顔を上げた。
「あれ?“拙者”に戻したの?」
「…………」
 
ヴァイスは寡黙であまり感情を表に出さないタイプだが、そんな分かりづらい彼なりの些細な目の動きや“間”、声のトーンの変化などはある。
 
アールの悪い癖で人の目を気にしてしまうところがあった。それが役に立っているのか、ヴァイスの些細な変化に気づけるときもある。
おおかた“拙者”と言うつもりはなかったが、つい癖で言ってしまったのだろう。と、アールは感じ取った。
 
「“俺”とは言わないの?」
 
アールは堤防へ掛けられた吊橋に足を下ろしたそのとき、ブーンと嫌な音が耳をついた。
 
「わっ、なに?!」
 
アールは手を払いながら辺りを見回した。カナブンのような虫がアールの周りを飛んでいる。
 
「やだ! やだやだやだっ!」
 
アールは身をよじりながら逃げるように橋を渡ったが、それでも尚ついてくる。
アールは虫が嫌いだった。全般というわけではないし、カナブンはどちらかと言えば平気な部類だったが、ここまでしつこく付き纏われると気持ちが悪い。
 
もし髪の毛に止まったらと考えると背筋がぞっとした。
 
「やだやだやだ! ヴァイスどうにかして!」
 
咄嗟にそう言って両手でカナブンを払おうとしていると、カチャリと小さな音がした。
ヴァイスはアールの周りを飛び回るカナブンに銃を向けていた。
 
「わあっそれやりすぎだから!」
 
銃を握るヴァイスの腕をアールは慌てて両手で掴み、下ろした。
 
カナブンは危機を感じたのか、森の奥へと飛んで行った。
 
ヴァイスは黙ったまま銃をガンベルトに収めた。
そのしなやかな手を見ていたアールは、不意に思い出す。
 
「あ、ヴァイスに渡すものがあったんだ……」
 
アールは腰に掛けていたシキンチャク袋から手の平サイズの袋を取り出した。
 

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